2021年9月13日(月)

クローゼットの中へ置くつもりのたんすが届いた。もう一つ、チェストは一ヶ月後くらいに届くんだろう。チェストはたんすの下に設置する予定でいるから、届いた梱包はしばらくしまう。きょうは日がなどよんとした気分で過ごした。ただ、ぐつぐつと煮えた思考をするうちにふと気が晴れるような解釈が浮かんで、それからは少し楽になった。こういうの非効率であるし、自分で考えて納得するまでは内心いつまでも執着をすることも、怒りや苦しさを自分で維持/再生産してるなあと感じる。感情にも多様性を適用して一つの感情に支配されなければよいのでは、とする記事( これ )をたまたま読んで、へーと思った。それから母より聞いた話で、諸事情により祖父宅の防風林を切らせて欲しいと言ってきた懇意の農家さんが、母が契約書を書いたあとから条件を変えて業者へ伝え、やりたいようにしたそう。こうした寝技へ持ち込むえぐさについては、僕も祖父の振る舞いを見ていたつもりだったけれど、同じみたいだ。性別によって舐められたりそうでなかったのだろうなという感触について地方の保守性にもうんざりするけれど、こうしたことについて、もう後ろ盾もなく正面から対処していくことになるなーと思う。

2021年9月12日(日)

祖父宅の草刈りが片付いた。疲れた……。特に理由なく湧き出す不愉快な感情を抱えたまま、刈り払い機を力任せに振り回した。最終的には作業のほうへリソースを振れたのだけれど、たった半日のあいだ自分の心の動きを放置したことがいまになって影響しているのか、身体の疲労もあってしんどい。夕刻、ざわざわしているなーという思いでシャツにアイロンを掛けたものの、特に気分には変化なし。こんなことでやつれてこの先大丈夫なのか、心配以前に分からない。多少なり腹筋を鍛えていたおかげでなんなく動けたし、疲れといってもあれこれタスクをこなせるような感覚のものなのだけれど、これ、実際に疲労感が出てくるのはあしたかあさってだってこと、身をもって知ってる。あー、書くに任せているとネガティヴな表現が出てきやすい……。早いとこベッドへもぐり込むのがよかろ。祖父宅からの帰り道に靴屋さんへ立ち寄り、セール品のランニングシューズを買った。売り場をうろうろしていたら店員さんが話しかけてきてくださった。ここまで書いていくらか落ち着きが見えてきたように感じる。ここで雑記を書く行為には、雑念を書き出して外すとかその日の締めだとか、そうした鎮静の作用が含まれているんだろうと思う。

2021年9月6日(月)

きのうは雑記つけるのを忘れた。春に庭の北側の日陰へ植えたツルニンジンは、いつのまにかつるをフェンスへぐるぐると絡ませ、釣り鐘のような花をたくさんつけていた。別名を類似種との対比からジイソブ(爺のそばかす)というそうだけれど、これは姿かたちのよい、なかなか渋くて美しい花だと思う。ていうかこの花好きだ。

2021年9月4日(土)

周りの片付けをしたり、シャツにアイロンを掛けたりするうちに過ぎた日。天気はしばらく雨降り。旅系の雑誌類を取り出しやすいところへ置こうと思い、本棚の一段をそっくり占めていた吉田篤弘のハードカバーをしまうことにした。

2021年9月3日(金)

耳鼻科のあとでユニクロへ立ち寄り、デニムパンツを見繕う。当社比で細めのが入るようになった。それなりの期間を脳内で涵養していたあちらの星の話、暫定でアクリル(仮)と呼んでいるけれど、そちらの断片をビラかチラシのような体裁でPDFへ落とし込んで、ネットプリント経由で不定期に発行するのはどうかと考えていた。見切り発車で動き出せる勢いは大切だけれど、やりたいこととそのために必要な技術、そしてそれらをある程度フォーマット化することは続ける上で大切なものだから、わくわくを押さえ込みながらしばらく考えることにした。具体的な目的があるわけでもなく、想像力の呼び水にと思ってこれまで蒐集してきた観光パンフや旅系の雑誌類が、ここへきてにわかに焦点を合わせはじめたことが、ぼんやりと気持ちいい。積ん読を「いまこそ読むべきとき」と感じて手に取るあれだ。それが主観で都合よく解釈されているものだとしても、ここへくるまでの蒐集物がいま意味を持って手元に積み重なっていることが、愛おしい。友だちに教えてもらったおすすめの化粧水や乳液は無事にドラッグストアで見つけた。