2018年9月19日(水)

祖母の通夜お終い。ああ、親戚ばかりで気を遣うなー。でも悲しい湿っぽい葬儀というのではなかったように思う。明日は尺がより長いし、人ももう少し来るようだから、貯めごろごろしとこ。

2018年9月18日(火)

日が落ちた野辺のかぐわしいこと。金木犀/焚火/稲の藁。夕空も虫の音も美しい。

ジョギングの歩幅を伸ばしてより跳ねるように走ると、身体にリズムが生まれるようだ。今はすぐに息切れするから、一度に走れる距離は徐々に伸ばしていこう。

葬儀の受付は祖母の近所の人たちが担当することになったとか聞いた。

2018年9月17日(月)

礼服を買う。家族葬に関する通夜と葬儀の予定表をコピーしてもらった。兄弟・従弟と共に葬儀の受付をしたり立ち続けられない祖父の相手をしたり、何やかやの役割が勝手に舞い込んできており、げんなり。とはいえ後者には、祖父に最も懐いている孫が僕である、という判断があったのかも知れない。今日と明日のあいだに体力を温存しておく。

2018年9月16日(日)

寺の空き具合等を考慮したらしく、十九日大安の日に通夜、翌日葬儀と日取りが決まった。今日は祖母の部屋の片付けを手伝い、服の買い出しは明日若しくは明後日に。

生きてる実感ていうのは、僕に限っていえば日々の記憶の連続性なのでは、と雑な思考が浮かぶ。この雑記もそれに荷担しているわけであるよ。

2018年9月15日(土)

午後八時ごろ祖母が亡くなった連絡を受け、病院にて親戚の顔合わせのようなものをしてきた。祖母は最期に苦しまなかったようだと聞いたし、一昨日に会ってなんとなく察してはいたから、今のところ衝撃的な悲しさといったものはない感じ。一親等の人たちが今夜から各種手続きや葬儀で大変そうだ。明日、喪服を買いに行く。

十年くらい前からCDで持っていた中村中の「風の街を捨てて」を最近よく聴く。このシングルのもう一曲「汚れた下着」が思い出深かったある時期も少し、思い出すなあ。

2018年9月14日(金)

オイル漏れしていたスクーターはとうとう、燃料ポンプという部分が壊れたようでエンジンが掛からず乗れなくなり、止まったその日のうちに廃車となった。ここへ来てから八年間お疲れさま。それから祖母が熱を出したらしくて、落ち着かない。

2018年9月13日(木)

祖父母宅を訪問。お盆にはこたつの前にいた祖母は現在、介護ベッド上で寝たきり状態になっており、言葉を喋るにも喘ぐ様子だった。僕はにこにこしているのがよいのだろうけれど、正直なところどんな顔をして祖母と対面したものか、かなりな戸惑いがあった。この戸惑いに慣れることは無さそうだ。いま申請している祖母の介護認定がそれなりであれば、ヘルパーさんを呼べたりデイケアを利用できたり、周囲の負担が軽くなるとのこと。

僕の場合、身近な人が去っていくのは、二十年前の父のとき以来になるんだろうな……。いや、この七月には猫のことがあったか。あのときは腫瘍の摘出自体は上手く行き、その説明を受けつつ安堵から僕は幾年分も泣いた。

それはともかくして、敬老の日が近いから祖父の好物な鮎など持っていったのだった。

関係のない話で、夜の街明りに紛れて散歩やジョギングがしたい。不審者と思われるのは不本意だし、懐中電灯のほかに反射素材の何らかも揃える必要がありそう。

BEASTARSの9,10巻を一気に読んだ。青少年の王道らしい展開を踏んでいながらも着地点が全く読めなくて、わくわくするなあ。それにキャラクターたちが描かれながら成長していて熱い。

ディエンビエンフーtrue endの3巻が刊行されたとのこと。途中で黒歴史化が行われたり掲載誌を放浪したりで、物語冒頭のあの爆破シーンへ辿り着くまで、とてもひどい難産(サバイバル)だったと思う。やっと終わった物語なればいずれ粥のように読みたい。

2018年9月12日(水)

半数ほどの田で稲の刈り取りが済んだみたいだ。日没後の農道を走りつつ、収穫月の藁の匂いを胸一杯に吸い込んだ。

ここしばらく過ごしやすい気温が続いており、ココアのぬくさが身体の奥へ伝わっていく。コンビニにおでんが並ぶのや、スーパーにハロウィンのかぼちゃが展示されているのなどを見て、気が早いなーと思う。