2020年9月18日(金)

プライムビデオの『ムーミン谷のなかまたち』後半を視聴。自立と自己主張のメッセージを感じる。原作の持つ絶妙なバランス感覚や、それぞれが自由に振る舞いながらも落ち着くところへ落ち着いていくただそのことの、慈愛に満ちた視座を思い出す。制作者への敬意を引き出す前にこう感じるのは、いま僕に余裕が足りないということなのかも知れない。食事制限をしているのだけれど、日中にカロリーが足りないためか動作がもたつくことがあった。身体の燃費が飢餓モードに入るのは避けたいところ。それにしても空腹に身体が順応するこの感覚は久しぶりだなー。夕餉に一人鍋を始めた。昔の友達が「冷える季節には一人鍋と梅酒」と話していたことを、いまくらいの時期になるたび思い出している。

2020年9月17日(木)

疫病の流行以来、たぶん初めてとある直売所へ行った。古民家を中心に食堂や休憩所も兼ねたような施設で、和紙や背負いかごといった、地域で作られる民芸品も取り扱っている。たしか春先には営業を自粛していた記憶があるけれど、きょう行ったら開いており、ひとの出入りも変わらずにあった。古民家では近所で栽培された種なしピオーネの直販が開かれていたらしい。午前のうちに捌ききり休憩となったようで、囲炉裏の周りにくつろぐ年寄りたちの姿があった。ここへ来る前に僕が道の駅で買ったぶどうはたぶん、同じ農園のものだな……。直売所の野菜と民芸品をぐるっと見て回った。季節が冷え込んでいくたびにこの民芸品売り場の雰囲気を書いている気がする。時間の流れが違うみたいで、銭湯に桶の音がかぽーんと響くあの感じがする。あるいはクリスマスと正月の間にあるあの六日間のような、世間の緩急をよそにゆったりしている感じというか。この雰囲気が好きで年末が見えてくるたびに立ち寄ってる。今年ももう一度くらいは来てみたい。帰りがけにマタタビが生い茂る道路沿いへ立ち寄った。歩道にはみ出した下草はざっくり刈り取られ、実がなるようなマタタビの枝先も伐られたあとだった。虫えい(虫が入って変形した実)を集めて果実酒を作りたかったのだけれど、仕方ないか。蔓を何本かちぎって葉を落とし、リース状にした。宛てはないけれど、うちの誰かが猫飼いのお宅へ行くときのお土産になると思う。その後帰着。見た感じ、田んぼの稲は半分以上が収穫され、藁と焚き火の匂いが道々に漂っていた。

2020年9月16日(水)

ディルの種を小型プランターに蒔いた。この時期なら秋蒔きにちょうどよかろ。チーズやヨーグルトにディルを混ぜるのが中東風らしく、うまく育ったらやってみたい。成長に高温と強い日差しが必要とあるから、来夏まで気長に育てるつもり。ローズマリーも手元に置きたい気持ちはあるものの、豊富な園芸品種の中から気に入るものを選ぼうとすると、時間を掛けてでもじっくり考えたくなってしまう。おおむね自己満足。

2020年9月15日(火)

祖母の命日。この三年で去っていった祖父母や叔父のことを思うとき、すきま風が吹くようなさみしさと、接点やつながりの閉じていく感覚がある。それらは裏を返せば自由へとつながっているものなのだけれど、空しさや踏み出していくことへの恐れが視界を邪魔して、物事を見えづらくしているんだろう。少しの勇気がいる。

プライムビデオに『ムーミン谷のなかまたち』を見つけた。海外で製作されたフルCGのテレビシリーズで、日本でも去年かおととしにBSで放送していたけれど、僕はきょうがほぼ初見。ひとまず4話まで。平成ムーミンと比べてミイの出番が多そうで、ムーミントロールの煮え切らなさは強調されていそうだった。いいんじゃないかな。というか平成ムーミンも構成の水準が高かったのかもしんない。

2020年9月14日(月)

涼しい。今朝のように、時間帯によっては気温が20度を下回る日が現れ始めた。例年であれば九月末には奥日光で初霜初氷が観測されるのだけれど、もっかラニーニャ現象が発生しているため残暑は長引くかもという話があり、季節の変わり目はどのへんに来るだろうかと様子をうかがってる。それによってカメムシ対策をする必要もあるしね。

2020年9月13日(日)

祖母の命日とお彼岸が近いということで、母と早めの墓参りをした。そのあと猫や故人の写真を入れたSDカードを携え、地元のカメラ屋さんへ。プリントの注文を一人で登録できるカウンターもあったのだけれど、ハキハキと応対してくれる店員さんに案内してもらい、持ち込みデータのプリントを進めてもらう。猫ちゃんかわいいですねと言われると悪い気はしないものだね。待ち時間で買い物を済ませて再びカメラ屋さんに立ち寄り、今日のぶんのプリントを受け取り、帰着。祖父の遺影のプリントは切り抜き作業を施すため後日に。

2020年9月11日(金)

各地で大雨。ここは雨雲をそれたらしい。市内の二河川で上流ダムからの放流が行われているとメールがきた。日中の雲は時化た海面のように毛羽立った積雲となって空を行軍していた。ラジアンF待ち。

2020年9月10日(木)

念入りな掃除を終えて換気していると夕立がきた。新鮮な湿度が涼しい風と一緒に入ってくる。室外機の上で日差しを謳歌しているマツリカちゃんやくちなしにとって、この雨はいい葉水かもね。いま面倒を見ている五鉢のほかにもう少し植物を育てたいと思い、関心のあるものをリストアップしてる。ディルは確定済み。中東ではヨーグルトに入れて食べるらしくやってみたい。パチョリ/ウッドラフ/ローズマリーは香りも楽しみたいという色気による候補。規模の大きい園芸店へ足を伸ばしていろんな植物に触発されたい気持ちがあるけれど、もっか世が世であるし、手元にあるもので関心を探っていくのがよかろ。すいかずらの花芽はここ数日、急に膨らんできた。こいつは環境が合うと野放図に伸びる。そうした変化の多さには喜びつつも、あんどん仕立てが鳥の巣になっていくのは避けられなさそう。

2020年9月9日(水)

道の駅きつれがわの産直へ。戻ってくる道すがら、稲の収穫が始まっているのをちらほら見かけた。きょうは刈り入れ向きの好天だったものね。そのためか、夕方近くには夕立が通っていったけれど。ウマオイなどお盆のころの多様な虫の声と、アオマツムシが圧倒するいまの夜の声とを比べると、ひとには秋めいてきたばかりに感じられていても、生き物たちは季節の巡りの中を渡っていく真っ只中にいるのだなあと思う。きょうは根拠もなく負の感情が湧く、疲れる日だった。眠るべし。