庭の芝生を芝刈り機で刈った。ほか、クレマチスの枝を切ってテラスを通りやすくしたり。ことしはモッコウバラの勢いが強い。たしか春先に堆肥と油かすをたっぷり遣ったんだった。夕方から降ったり止んだりの天気で、いまは過ごしやすい気温のなか小雨。なにがしかの待ち時間に持ち歩いて読む次の本は、レヴィ=ストロース『悲しき熱帯 I』(川田順造訳、中央公論新社)にした。数年前に『アマゾン河の博物学者』を読み終えたことをTwitterに書いたとき、フォロワーさんが合わせて読みたい本として言及してくださったのがこれとコンラッドの『闇の奥』だった。いらい、後者も積ん読にしてあるのだよね。それはそれとして、レヴィ=ストロースというひとは哲学方面でも頻繁に名前を見かけるから、たぶん自分の求める読みものとしてよい位置にある本なんだと思う。始めは実存主義について知りたくて本を探していたはずなのだけれど、いつのまにか構造主義関連の新書が何冊か手元に集まってしまい、なかなかの行き当たりばったり。
2023年8月5日(土)
軒下へ置いたままうっかり放置していたフレンチタラゴンが枯れかけており、慌てて水をやった。一鉢は枯れてしまったみたいだ。過湿に弱いからと雨の当たらない場所へ置いてそのままになり、二ヶ月くらい放置していた気がする……。それから、うちの庭へ移植した祖母のクレマチスが年々勢いを弱めていくので、このへんでルートンを使った挿し芽で株を増やしておくのがよいかなあ。ことし初めて金鳥の蚊取り線香を焚いている。郷愁ある除虫菊の心地よい匂い。
2023年8月4日(金)
定期通院先へ夕遅くに行くと、先生はよれよれだった。週末だし、その日の患者さんはだいたい捌いたころだろうしね。お疲れさま。最近は夕ごはんをランプの明かりで食べることが習慣みたいになっている。月明かりの綺麗な晩で、窓を開けてその光をぬいと楽しんでいたら、いつのまにか床で眠ってしまっていた。いま夜が明けつつあり、つくつく法師の声が響き渡るなかこれを書いている。日の出前の空の色が綺麗。お布団へ行ってもう少し眠る。
2023年8月3日(木)
残暑見舞いのお手紙書けた。印刷したポストカードも同封して重量を量ると、ありがたいことにぎりぎり切手一枚ぶん。あす、というかきょう投函するつもり。しばらく前から手足の数ヶ所に水疱(汗疱?)ができている。これはたぶん夏場の気候に身体が疲れたとき出るものだから、そうしたサインだと思って、自分をあまりストレスにさらさないようにできたらよいな。ただでさえ疫病の第9波が吹き荒れているタイミングで、なんであれ感染症にはつけ込まれたくないしね。夜闇から聞こえる虫の音はすっかり種類がさまざま。
2023年8月2日(水)
溜まっていた洗濯ものを洗って干したり、産直で野菜を見繕ったり、NPOさんのスケジュール表をいただいてきたり、あれこれ。ひとさまに手紙を送るつもりで写真を印刷したり文章を考えていたら、すっかり日付も変わっていた。そろそろ眠る方向で。
2023年8月1日(火)
八月入り。昨晩から大気が不安定で、一日じゅう雷鳴が聞こえていた。断続的に雨が降り、それが止んだ宵のころからは気温も下がって快適な空気。
2023年7月31日(月)
きのうの果物を剥いて食べた。心身ともに安定してはいる(と思う)んだけれど、連日の暑さでぐったりと不活発になってる。きょう降るはずだった雷雨は経路がすり抜けてしまった。気温を下げてくれるような雨がほしい……。北関東の夏の夕立(らいさま)は景気よく湧くものの、降水域がわりと狭いために、土砂降りに見舞われるかどうかは運次第なところがある。予想進路がかくんと折れた台風6号はこちらへくるんだろうか。モッコウバラを弄って以来この一週間ほど、毛虫に触れたかなにかしたらしく、左肘の内側にかゆみを伴う水疱ができてる。
2023年7月30日(日)
朝から果物市場を覗いてメロンと桃、それにぶどうを見繕った。そのほかには暑くてなにもする気が起きなかった日。深夜になっても昼間の熱が立ちこめている感じ。眠ろう。春から病院の待ち時間なんかに少しずつ読み進めていたイザベラ・バード『日本奥地紀行』(高梨健吉訳、平凡社ライブラリー)を読み終えた。
2023年7月29日(土)
暑くてぐったり過ごした日。読みさしの『日本奥地紀行』があと少し。
2023年7月28日(金)
夏休みイベントのお手伝い三日目、最終日。自分が加わった後半の活動はフルーツポンチをつくって食べるというもの。行程の終盤に、児童のひとりが遊んでいて転ばされてしまったというできごとがあり、それについての注意がスタッフさんからあった。解散後にとある参加者さんが、最近の子たちは駆け回って遊んだりしないから怪我するくらいでちょうどいいんですよ、と仰っていたけれど、せっかくの夏休みイベントの締めに暗い表情を浮かべていたその女の子の気持ちを思うと、すこし言い淀んでしまうものがあったなあ。進行役を務め注意をしていたスタッフさんはユーモアを交えつつも、ときおりぎすっとするくらい疲労がにじんでいた。それでも日程はなんとかすべて終了し、おおよその子たちからはこの三日間が楽しかったと言ってもらえたのでは。ひとが捌けた調理室で後片付けをしていたら男の子がひとり戻ってきて、自分を含め「先生」たちに手紙をくれた。活動楽しかったです、という内容のちまっとした封筒に入ったお手紙。しっかりしているねと思うと同時に小さな宝ものをくれたことがうれしかった。子供たちみんなが帰ってから、アーモンドラスクの乗ったすいかジェラートの差し入れがあり、その場にいた人たちと一緒にいただいたのち、自分は離脱して帰路。そういえば調理の準備をしていたとき、当該のスタッフさんがよれよれになりつつ「子供たちを効率よく動かすにはどうしたらいいんでしょうねえ」とため息をついていたけれど、お手伝いに終始した自分でさえ気疲れでくたっとなったのだった。遊びたい盛りの子たちをまとめるのって底なしのスタミナが要るんだろうね。。。ひとまず気を張るイベントは終わり。ちょっと懸念していることとして、あれだけの人数(全員で20名強)で密集して過ごしたら疫病の感染リスクを無視はできないなーというのがあり、一週間なにも変化がなければ逃げきりかと思う。八月以降の生活の方針も考えるべし。それから、お誘いがあってMisskeyのインスタンスのひとつに登録してみた。