2019年5月29日(水)

こうして日記を付けるのはわりと楽だ。その日あったことを好きな順に記述してるだけだし、慣れると自分のテンポみたいなのが分かるから、書く燃費が向上するに従って面倒くささが減る。もっと面倒な日は一行だけだったり、書かなくていいよということにして、それなりに続いてる。

でも、もう長いこと創作を気ままに書けていない。今のところ理由の仔細を書くつもりがないため思わせぶりな文章になるのだけれど、雑にいうと内面が不安定だった時期があり、いまは寛解への長い途上だ。そうして、こころが安定してくるにつれて、想像力はいつしか日照りの川みたいに干上がっていった。こういうふうに創作が止まることはちらほら聞かれることらしい。脳の空想/妄想の機能が錆び付いてしまって、いまや物語が作れない(大変な労力がいる)のだよね。

これから歳を取るにつれ集中力も落ちてくるだろうし、困ったなとそれなりに思ってはみるものの、なるようにしかならないとお気楽に考えている節もある。創作の形態やアプローチには、生活の改善も含めて色々あると思うから。

だから、ここで日記を書くことの一つの動機は、創作の書き方を忘れないための、例えて言うなら文章の鉛筆削りとひとりで位置付けてる。もう一つの動機は創作とは関係ないけれど、書き記すことで忘れない→記憶の連続性が生きてる実感に繋がっている、ということだ。まれにここに載せている短文は、錆び付いた頭をぎーりぎーりと絞って採れているもの。短文を増やせたら、どこかに集めて、自分で撮った写真をお話に添えたいなあ。

その晩は、新月へ向かう月が空の高いところにあって、静まりかえった街路や物陰を、そのほのかな明かりで照らしだしていました。夜更けの街では、誰もが昨日のことをまどろみの奥深くへと仕舞い込んで、こんこんと休んでいるのでした。

一方で、そこからこぼれたものたちはどこか輪郭がぼやけたまま、降り注ぐ月の光とはい上がる闇とのあわいを縫うように彷徨いました。

月の光がほとんど届かない街の深いところでは、暗闇は水底のように重く満ち、しかし全くの静寂には今一つ届かないような、覚醒を抱えたものたちの潜める微かな息遣いがありました。もしそこで感覚を澄ませたなら、闇そのものも粒子のごとく遊動していることが分かったでしょう。

波止場から見る海は凪いでおり、ぴちゃぴちゃいう控えめな波音とともに、潮のゆっくり満ちてくる様子が見て取れました。

水平線の向こうまで続くあかね色や紺碧が、それぞれの方角ですみれ色に向かって限りない階調を描き出し、しかもそれらは刻一刻と、宇宙まで続いている黒に染まっていきました。

彼女は桟橋の手前で当り前みたいに突っ立っていました。

夕暮れを背にした波止場の往来を眺めたり、積み卸しや海鳥の喧噪に耳を傾けたり、そよぐ潮風を嗅いだりして、そこにいることをひとりで楽しんでいたのでした。

感覚を感じるままの手放しにしておくことは彼女の良くやる遊びでしたから、人からの干渉を受けない限りは邪魔もせず、退屈もせずに過ごせたのです。

そのうちに夕陽はほとんど海の向こうへ沈み、水平線は一瞬のあいだ、真っ赤な火柱を映しました。天球からこがね色が失われ、彼女の視界に入るものは急速に青みを増し、辺りは眠たいような温度とやわらかな影に包まれていきました。

ちらほらと宵の空に、一番星、二番星と星が現れ出し、船が漁り火を点して続々と沖へ出帆を始めるころ、彼女はおもむろに桟橋から離れました。そして軽やかに人の波に乗って、その日の宿がある繁華街へと歩いて行きました。

短文というのはこんな感じの端切れ。深刻にならずにやっていこう。

2019年5月27日(月)

七月を思わせる強い陽射しの中、伊王野の道の駅へと原付を走らせていた。信号のない長い田舎道は風が心地よく、田と山の続く風景は緑の発色が鮮やかで、そこをひたすらのんびりと行く。道の駅の園芸コーナーでは、鉢植えの幾つかが土を湿らせつつもくたっと萎れており、こんな日だからビニール屋根の下程度では土が煮えてしまうのかもなあ、なんて思う。丁子草の灰青色がとても綺麗で、こうして名前を覚えたりもした。これからしばらく降水確率が若干高めなため、今日は日光を強めに浴びておいたのだった。

冷風が出ないエアコンのフィルターを試みに掃除した。確かにほこりがへばり付いてはいたけれど、この部品で影響が出るものだろうかと再度スイッチを入れると、夏を越せる冷たさの風ががんがん吹き出た。ありがたい。エアコンのフィルターは小まめに掃除するべきなのだな。

2019年5月26日(日)

那須野ヶ原公園のフリマを覗いた。道の駅のフリマに比べると店主たちの年齢層は若め。周囲をふらふらと見て回り、木村弓『千と千尋の神隠し』と柴咲コウ『かたちあるもの』のCDやシャツを買う。今日は各地で猛暑日という、五月ということを抜きにしても記録的な暑さで、そのため公園を訪れる人足が鈍ったのではないだろうか。ともあれ、足繁く通う道の駅では見ることのない掘り出し物があるかもと、僕にしてはくまなく出品を眺めたのだった。本やCDは持ち主の関心が分かるところが面白かったなー。

夕暮れから夜にかけての気温の落ち着き方が夏のそれな日だった。まだ梅雨入り前で空気は乾いているし、空は終始好天で、なにをするにも過ごしやすい日ざかりの季節。これが梅雨に入ると、生活空間がとっぷり水に沈んだようで、どこか籠もって照明も落ちた感じがするからまた好きだ。この時期の夕暮れには青い時間が長く続く印象を持っている。家並みの黄色い照明とその眠たい青の対比に、すうっとため息が出る優しさを感じて、いい季節だな、と思う。

2019年5月25日(土)

道の駅のフリマから帰ってきて、僕には珍しく昼寝。今日は真夏日の場所がずいぶんあったらしく、サーキュレーターの風がうっとりと心地よく肌を撫で、起きてみればもう青い闇が降りていた。今夏は天候不順かもとか。

昨日書いたスターリンク衛星に関しては、隊列になりながら空を横切っていく動画をTwitterで見つけた。なるほどああいう感じに見えるのかー。これから徐々に衛星間の距離を取っていくのだな。

新しいカメラのボディが欲しいなーとぼんやり思う。現在使っているPENTAX K-50は、2014年に型落ちで購入した入門者向けのデジタル一眼で、電源に単三電池を四本使うレトロぶりをしている。ペンタックスを抱えるリコーは、同ブランドのリース期限が迫るとかでめっきり開発に力を入れていないけれど、次期のAPS-C機そのものはいずれ、という話を聞いてる。おかげでボディ貯金をする余裕がある。こつこつ貯めよう。

それから、写真に思想を持ったほうがいいのかなあと軽く揺らいでる。初めは野外へ出掛けていくための趣味だった。今でも第一にそれがあるし、単純に楽しいと思える姿勢でやって来たから、写真趣味がここまで続いてる。でも、もう少し上達を目指すのもありだ。上達というのは技術もだけれど、撮ったものに通底しているものの見方が、ということ。たぶん、日ごろなにを見てなにを感じているのか、それを常に言語化していったり、自分に問いかけていけばいいんだと思う。

2019年5月24日(金)

SpaceXがこのたび打ち上げたスターリンク衛星のリプレイ動画を見ていた。あの積み重ねた什器みたいな衛星が宇宙でどう放出されて展開するのか、一度に60機も上がったそうだし見物なはずと思ったのだよね。でも、youtubeに載っているのは打ち上げから回収までの、衛星よりも下部の中継のみのようだ。衛星自体の諸元はホールスラスタが用いられていたり、いずれ宇宙空間でのレーザー通信が予定されていたり、とても先進的なことをやっているのだなあと薄ら思う。こういうのがこれからどかどかと打ち上がるのかー。

あんまり脈絡がないけれど、日本の最新の宇宙開発についてはISASニュース|宇宙科学研究所に掲載されている月刊の広報誌(PDF)が情報量が多い。インターステラテクノロジズの堀江貴文氏もメルマガにロケット開発のコラムを設けているそう。

絶賛晴れまくりなこのところの気候は、ひとまず日曜まで続く予報になってる。フリーマーケットをやっている場所を新たに確認したし、気分次第で覗くことが出来たら。

2019年5月23日(木)

ポケモンGOにて、やっとカイリキーを図鑑に登録した。画面が全体的にムキムキしてる。

例年のようにかじり読みしている『楽しいムーミン一家』が今年もいっこうに進んでいない。愛おしいやらもったいないやらで毎回本の初めから手を付けるのだけれど、二章最後のあの、闇を抜けてしらじらと夜が明けていく声もない時間を想像するあたりで、たいてい至福に眠くなって本を閉じてしまう。春先からそういうことを繰り返してる。八月の末にはしれっと読み終えているから、心配してはいないんだけれどね。三章の終わりには、大夕立の向こうで遠い世界の鐘が鳴り響く、この本でたぶん最も予感と幻想が閃く場面があるのだ。そこの季節が現実と重なるように読み進めていよう。踏み慣れた道を繰り返し行くのはトフトのようだ。

2019年5月21日(火)

明日からしばらく高温の日が続くそう。

以前に比べて、なにかを待つ時間がそれほど耐え難いものではなくなってきた、ように感じる(当社比)。例えば、ひどい不眠と共に過ごすかつての夜はじりじりして長かったけれど、いまや闇は愛おしいものの一つだ。じっくり本を読むための夜更け48時間分とか、朝を迎えたくない人のための闇の底一週間分とかを、いつでもどっぷり浸れるように用意していたい。手持ち無沙汰なときたばこに頼らなくなったことや、歳を取ったこともこのゆとりと関係があるのだろう。

2019年5月20日(月)

方々の畑の麦が色づいてきており、麦秋が近いのだなと思う。今夕から明日昼にかけてまとまった雨。雨のにおいはいいね、しっとりとして気分が落ち着く。空気が甘く匂うのは花だろうな。

2019年5月19日(日)

明日から強めの雨が降るとか。水源が潤うといいなあ。

リーフルの春摘みダージリンがだんだんに入荷されてきているのをウォッチしてるのだけれど、ここ、こんなに初物を仕入れていたっけと驚いてる。そういえば最近のお茶のトレンドは春摘みや台湾高山茶の淡い香りに傾いてきてるって話を読んだのだった。

茶葉の商品紹介や解説って「果実のような」とか「花のような」とか、なんかふわっとしたイメージの羅列に読めそうなものではあるんだけれど、あれは茶葉の特徴をわりと詰め込んだものになっている。例えば僕の求めて止まない草原の香りなら、コピーに「青い」という言葉が入ることが多い。お茶に限らず(知る範囲ではお香やコーヒーも)香りというのは、この表現が入るならこの香りがするというように、けっこう定型的な言葉で表されているようだ。