2019年12月4日(水)

晴天。那須の山々は雪雲にすっぽりと覆われ、風景の中で白く消失したようになっていた。北日本は暴風雪警報が継続する天候らしく、秋田で積雪40cmだとか。冬場でも屋外の作業ができるここ平地/太平洋側の気候がありがたい。降雪の境目はすぐそこにあるんだもの。

なんか疲れた。祖父が工場で伐採した樫の丸太を八本、要るならやるというので一緒に回収してきた。彼の屋敷にプールされている桜と栗の丸太は追ってうちへ運ぶつもり。オンライン注文で取り寄せかなーと考えていたきのこの菌駒は、都合のよいことにいずれも、近所の園芸・農業向けホームセンターに入荷していた。やったー。なめこ/クリタケ/タモギタケ各400本を購入。祖父は椎茸ドリルをお前にやるから、菌は自分で植えろという。彼によればなめこは生の丸太(桜)にすぐ打ってよいというけれど、クリタケとタモギタケの要求する環境が分からない。あとで菌駒の取説を読む。広葉樹の丸太を手に入れ放題な環境は祖父がいるいまの期間だけだろね。

ニュースに登場する土地のことを知りたいという祖父に、やっと彼向けのタブレット端末を披露できた。といってもきょうは触りだけ。こういうことが出来るよというていでGoogleEarthを動かしたら、いまは便利なものがあるんだなあ、と話していた。祖父の周りにいる人たちに関わって欲しいと思ってここまで声を掛けてきたことだから、あとは叔父が去り繋ぐ糸の細くなっている従弟を巻き込めたら。

2019年12月3日(火)

午前の低い陽差しとその景色に、しみじみと冬を感じる。なんていうんだろ。弱く優しく注ぐ光と暮れの慌ただしさとの対比というか、『STILL LOVE HER(失われた風景)』の世界観だよね。

今日の昼ごろ、はやぶさ2が地球へ帰ってくるためにエンジンを噴射し始めたとか。それから喪中はがきが文具店にない。あした隣町の店に寄ってみる。

2019年12月2日(月)

二度目のローグ・ワン観た。この熱さは信念に手を貸す人々の熱さだなー。「この再会は、罠だろう」と半ば独りごちる、手練れなソウの猜疑心と孤独、そこから破滅に向き合った気高さを思う。ていうか登場人物みんなが渋いかっこよさを持ってる……謎触手に自白を強いられた元帝国軍パイロットのボーディーは、時の経過に従ってしっかりと基地の偵察やフライトをこなしており、それは元からあった責任感と誠実さに裏打ちされた行動に見える。デススターの設計図奪取となってから最初に手を貸したのも彼だったしね。「楽には行かないよな。ていうかかなりキツいけど、やれるさ」という台詞で見通しを持てた。野武士ぽかったベイズは、冷めたことを言いながらも本拠地まで一緒に来て奮闘してくれたし、キャシアンは彼自身の戦いを抱えていたものの、最終的にはジンと運命を共に行動した。彼が彼女の側にいてくれてよかった。また、ジンがK-2SOにブラスターを渡した場面の「これを使って。欲しかったんじゃないの」「ジン・アーソ。あなたの行動は、常に予測不能です」が、信頼を共有していて、よかった。そして盲目の武闘派僧侶、チアルート・イムウェがかっこいい。見えないものがあるが故に、信念がそれを可視化する、その熾烈さが、つよい。頼むからそこで死んでくれるなー。部隊全滅ってなんなん。そうか二次創作だったか、ごちそうさまだよ……。あまり上手く行ってない連中がひとときでも連携して未来を託したところに、伝説にはないヒリヒリする感じがした。

さっきもそうだったんだけれど、週二くらいの頻度で祖父が電話を掛けてくる。どうしたんだろうと思いつつ直近の出来事など交わしていて、最近になり思うのは、じいちゃんは話し相手が欲しいらしい、ということ。用事がなくても彼のもとに立ち寄ろう。格安回線のSIMが届いたんで祖父に渡すタブレットの調整をしているところ。

2019年12月1日(日)

産直目当てで道の駅三箇所を回る。川岸の堤防を行く道すがら、そこに繋がる私道の途中に後輪が脱輪&スタックした車を押している人たちがいた。いったん通り過ぎてから状況を飲み込んで原付を止め、押すのを手伝う。一斉に力を込めると、左後輪の下に敷いた板きれとタイヤの摩擦で白煙が上がり、車は堤防のあぜ道へ「のっし」という感じで復帰した。道の駅がすぐそこだったから原付にまたがると、笑顔のおばあちゃんが駆け寄ってきて、お礼を言いながら荷かごに千円札をねじ込んでくれた。僕が近寄ったとき「車屋呼ぶしかないよ」みたいな話が聞こえたのと、戻した際にその場の皆から歓声が上がったので、きちんと役に立てた対価として受け取れて、結果的によかったのではなかろうか。なお、うちへ帰る前に立ち寄ったスーパーはレジ前が混雑しており、並ぶ僕の後ろで「ここ並んでるんですが」「えっ、俺も並んでるよ」というやりとりが少々交わされ、僕は列の作り方が悪かったかもなと内心ぎゅっとしていた。世の中はこんなふうにしてバランスが取れている。

ぽつねんと思うこととして、先の即位礼正殿の儀の会場は香り豊かだったのではないだろうか。儀に用いられた衣類も、それに色彩を与えた染料も、古い時代の伝統を踏襲して全て天然素材だという記事を読んだ記憶がある。それなら、布を染め上げた色から木や草の匂い、香辛料の香りも漂うかもしれない。儀は映像で覗った以上に、様々な香りがしていたのかもと思う。そもそも昔の生活空間のにおいってどんなだろ。祖父宅の縁側や座敷のそれだろうか。

2019年11月30日(土)

だらだら。早めに眠って、あすは道の駅巡りにいけたら。湯船で過ごす時間が伸びると持ち込むものも増える気がする。入浴剤やスマホに続いて、食べ物や飲料も抵抗がなくなってきた。脱水して汗をかくと立ちくらみが起きるから、水分補給できるものを摂りながら、というのは理に適ってる側面もあると思うんだけれどさ。まあ居心地いいんだよね。

2019年11月29日(金)

さんむい。那須岳とその向こうに見える会津の山々が雪化粧をしていた。未撤収のプチキュー(一粒きゅうり)は、おそらく今朝の冷え込みにより葉がしわしわに萎れた。片付けなきゃね……。

臨時収入があってAmazonギフト券5000円分が届いた。むう。どうだろ、これを元手に、自分にクリスマスのプレゼントをするというのは。去年はムーミン・コミックス全14巻を自分に贈った。そのときから、次はトーベ・ヤンソン・コレクションを手に入れたいと思っていたんだ。どちらも一度に揃えるといいお値段するけれど、ヤンソンさんの作品はあまさず享受したいもの。

秋に読むと決めている『ムーミンパパ海へ行く』と『ムーミン谷の十一月』は、いま手をつけているところ。冬のさなかに読みたい講談社文庫の『ムーミン谷の冬』は物理的に綴りが解れつつある。これはこれで愛着が湧くけれど、読みやすい他の版があってもよいかも。

さっき届いた県の防災メールに大雪注意報の発令された市がちらほら見えた。これが県内に出るの、今年は今日が初めてのように思う。山沿いはもう雪かー。

2019年11月28日(木)

今朝から気温は低くなる一方。明日の最低気温は予報だと-3.5度だとか。北海道なんか全域で真冬日の予報が出ているし、北日本の風雪は当り前みたいに報じられるようになってきた。季節は冬の入り口に差し掛かってるなー。地域の産直には、人の出入りの緩急から来る(と思う)あの「銭湯にかぽーんと音が響く」ような、年の瀬のゆるい雰囲気が漂い始めた。クリスマス前にまた、例の高台に立ち寄ろう。一年のうちでも夜景が綺麗なはず。

2019年11月27日(水)

日がな霧雨の降る日。母と鷲子山上神社に参拝してきた。この神社は近年、フクロウの神社として親しまれるようになったところらしく、僕は今回が初めての訪問。ぎょっとするような坂道を数キロほど行った県境の山の上に、太い杉の木立に抱かれた境内がある。雰囲気のよい茶屋や社務所の前を歩いて行くと鳥居の奥に楼門があり、そこから伸びている96段の石段(往復することでふくろうという語呂合せ)を登り、本殿や樹齢千年というご神木の杉に至る。きょうは付近の遊歩道沿いに植えられている山茶花を見に来たのだけれど、そうした花が咲くにはまだまだ時期が早かった。さりとて紅葉には少し遅い周辺をぐるっと散策。地元の人たちから奉納されるらしいフクロウの石像が遊歩道のそこかしこに佇んでいるのを、まばらに撫でて回る。山茶花のほか、紫陽花も数多くの品種が植えられており、それは季節を通して来訪者が周りの風景を楽しめるように、という配慮らしかった。赤い縁台があると華やかな感じがするものだなあ。帰り際に「日本一の大フクロウ」像のもとへ立ち寄って、帰途。平日の閑散とした雰囲気の中、大フクロウ像の傍らの願掛けスペースに数名が並んでいたのは、年末の宝くじ関連だろうか。金運の御利益があるという文章をちらほら見かけた気がする。

『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』を観る。二度目。この物語で最初に目にしたのが地上波で流れていたこのエピソードだった。旧三部作/新三部作を回ってくるにあたって『フォースの覚醒』で事前に得た情報は、程よくネタバレというか、いろんな関係が次第に繋がってくる楽しさがあったから、結果的にはよかったかも。これって家族の物語なのかと思えた切っ掛けなんかはカイロ・レンの「祖父よ」というせりふがあったからだし。C-3POがR2-D2に言う「かわいそうに、まるで別ドロイドになってしまって」からの「おかえりR2、さびしかったよ」に、こちらまで愛しさを感じる。

2019年11月26日(火)

市場を覗いたついでに祖父のところへ寄る。買ってきたぶどうを一緒に食べつつ近所の観楓スポットの話をすると、彼には珍しく「見に行ってみるか」という。ので、昼餉ののち、御殿山へ向かった。祖母と桜を見に来たことは近年にもあるそうだけれど、この時期にここの紅葉を見に来たのは小学生以来で、七十年ぶりくらいと言う。いまは銀杏が葉を落としつつあるころで、木々も色褪せ散り始めており、祖父は「来るのが少し遅かった」などと言った。軽くあたりを覗って引き上げる感じかなーと思っていたら、意外なことに祖父は、紅葉を背に自分を撮れと言う。慌てて数枚ぶんのシャッターを切った。家に戻ってからカエデの植え込みを背に、更に数枚撮る。彼は「お前に(カメラで)写真を撮ってもらうのは初めてだ」などと話していた。写真嫌いな祖父なりのサービスなのかも知れない。僕としては、撮れと言われて即座に「これは遺影候補かもな」ということが脳裏を掠めた。だとしたら準備もなく広角で人を撮って大丈夫か。それからお茶を飲み、桜のほだ木の話などをして、帰途。

2019年11月25日(月)

寒さの訪れとともに関心が内向的になってる気がする、というのは去年もそうだったような。あのときはとにかく体力を温存して厳しい気候をやり過ごしながら、精神的にはずいぶん参って、ただ春を待ちかねていた。そういうやつれの対策として、長湯の習慣を付けたことにずいぶん助けられたように思う。というか、辛かったはずの前の冬をこうして俯瞰しているときの自分の感情の中に、懐かしさのようなものがあるのはどういうわけだろう。いま余裕があるということなのか、辛いなりに注ぐ感情はあったということなのか。それともただの、季節への哀愁か。もっかの冬への対策としては、生活の各所に工夫を差し込む、というのが冴えないなりに有効そう。先ほど触れた、入浴剤とお風呂でラジオの組み合わせとか、そういうの。