2024年1月9日(火)

ことし初日の就労移行支援は集中でき、それなりの滑り出しだった。あすは午前だけの予定だから気が楽。道すがら、溶け残った雪が日陰でつるつるの氷になっており、ここで転ぶと大ごとだなーと思いながら原付でそろそろと往復した。ゆっくり進んでも後輪がわずかに横滑りするあの感覚には身も心もひゅんってなるから、路面の氷は早いとこ溶けきってほしい。夕方になりすこしうつらうつらしていたら外が暗くなってしまった。早めにお布団へいって明朝へ時間を回すがよい。いまの季節は春へ向けた庭の下準備を考え出すころ。目隠しの植栽としてほどよいコニファーをひと株と、庭のあちこちへ植えたいクリスマスローズ、菜園で新たに育てたい野菜、そのほかことし楽しみたい苗ものをウェブで物色できたらよいのだけれど。日の光が増してくれば活力は徐々に湧いてくるだろうから、一月は日常が維持できればよしの水準で過ごそう。

2024年1月8日(月)

昼ごろ雪かきをした。さして積もっているふうではなかったものの、日陰はあす以降も雪が残ったり、路面が凍った状態のままになりそう。年末年始で十日ほど休めたことになるけれど、精神的にはどうだろ。若干のしんどさは、冬場の気候と人に合わせた活動を再開すること、が要因かなー。たぶんここで早く眠れば明朝は楽。着ていく服にはもうアイロンかけたことだし、眠る用意しよ。雪が積もった晩は、音の聞こえかた……というよりは静けさも含めた音の通りかたがいつもと変わるから、それでなんとなく感覚が向いてあたりに耳を澄ますのかもしれない。

追記:歯を磨きながら、自分は言葉で縛るような約束を内心で嫌う傾向があるなあとか考えていた。信頼は尊ぶように思うけれど。他者との関係性に絡め取られることに不自由を感じて好かないのかもしれない。それに対して、信頼はひとりでいても成立するような。

2024年1月7日(日)

のんびり。夜も更けるころ、ふと窓の外へ目を向けると、雪があたりに白く降り積もっていた。昼過ぎに買い物へ出たときはまだ晴れていたから思いがけないこと。改めて大気を嗅ぐと雪の夜特有の冷たいにおいがする。こういう晩は嗅覚がふだんより利くからと、とっておきの春摘みダージリンや台湾烏龍茶を淹れて外のにおいや静けさを窓から楽しんでいた。一年前前後のここの雑記を読み返すと、春以降~翌年の春までを心気症や慢性的な不調に見舞われながら過ごしている。そういえばその心気症はいつのまにかなくなった。そのおかげか、今冬はここ数年の冬と比べれば格段に楽に過ごせている、と思う。それでも活力が痩せ細りストレスがたまる傾向なのは変わらないけれどさ。一月はいちばん厳しい気候なことと、「去年よりはずっとましに過ごせている」という自覚そのものがメンタルを支えてくれることに期待して、50点くらいの体調でOKを出しつつ立春あたりまでをやり過ごそう。気疲れが回復しないままとはいえ、就労移行支援に通いつつの生活で去年よりましという状況は、相当に上向いているんよ……。

2024年1月6日(土)

午前中からゲームの会へ。居合わせたほかの利用者さんと連絡先を交換できたり、別の利用者さんともやりとりできたりして、楽しい会だった。そのあと残った三人で近所の神社へ参詣。自分はもう別の神社で引いていたものの、ほかの二人はその場でおみくじを引いて大吉と吉だった。それからフリースペースへ戻ってきて、ポケモンSVを持ち寄る会というのを立ち上げてはどうかという話になり、概要と日時のチラシをその場でつくって壁際へ貼った。ポケモンやアイテムの交換、ゲームの進行など、ゆるく交流などできたらというもの。とりあえず一週間後に人が集まるかどうかだね。うちへ帰ってきてからはポケモンSVでゆるく遊んでいた。人と会いに出かけてよかった日。

2024年1月5日(金)

なにごともなかりし日。昼寝をしたら夜になっていた。椎名誠の新刊が文庫本で幾冊かが届いた。この方の本はあるときはまってむさぼるように読み(たまにそうした波がある)、やたらと刊行されている著書はあらかた読み尽くし、それから熱が引くようにしてすこし忘れていたのだった。流行病に罹ったという風聞で存在を思い出し、直近に刊行された文庫をそれとなく取り寄せたのだけれど、読めばおもしろいのは知っているのだよね。ナショジオの『NO SIGNAL』やキュー植物園の植物図譜で彩られた『Remarkable TREES』もこの居心地よい闇に紛れてめくりたいきもち。でも、あす午前中に開かれるゲーム会へ行けたら行くつもりで早めに眠ろう。ひとと会うのはいつでもできることではないものね。

2024年1月4日(木)

午後になり、きつねのぬいといっしょに神社ふたつをはしごした。初めの稲荷神社は以前足繁く通ったものの、さいきん足が遠のいていたところ。ひとまずごあいさつ。本殿とほこらにお賽銭をして回り、それから周りの湿地に水芭蕉の芽が出ているのを確かめた。光が差し込む朝などまた撮りにこられたらよいな。本殿にはFGOのタマモキャットのフィギュア(ついったで受動喫煙しているため分かった)や、九尾というラベルの純米大吟醸が供えてあった。この日本酒のほうも見覚えがあり、いま検索したら地元の酒蔵でつくられているらしい。地酒としてなにかの手土産にできたら喜ばれそうね。次に訪れたのは高台にある、地域の大きめな神社。もう四日だけれど割りかしな人足だった。こちらも本殿と横の稲荷神社へごあいさつ。自分はお参りするとき、とくに願いごとは念じず、代わりにあいさつや近況報告をしてる。そのくらい気楽な関わり方が好みなのだよね。それから参道を横に逸れ、ひとりでくつろぎたいときくるひっそり開けた場所へきた。そういうときよくするように、身体の感覚を分散させ、遠近の音を拾ったり陽の温もりや風の冷たさを感じ取ったりするうち、こんなものかなという感じに雑念を払って一息つけた。帰り際におみくじを引こうと財布を覗いたら百円玉がなく、じゃあちょっと高いけれど学業のお守り八百円を買って千円札を崩したら、おみくじは三百円だった。雑。せっかくだしと、そこから長めの石段を降りた先の自販機であたたかい柚子レモンを買ってお札を崩し、やっとおみくじを引いた。末吉。こういうのって都合のよい言葉だけ拾って心構えとするものだと思ってる。自分には当てはまらないかな~という運勢を省いて目にとまった言葉は「実力の不足がやや見える状況に立っています」「じっくりと腰を据えてひたすら実力を蓄えるべき」「実力不十分の観あり、ここは努力、努力、努力。」というところ。現状も鑑みると、ことしいっぱいはすることに迷う必要はなさそうだ。きょうのこれはお守りでも買って一息ついていきなさい、というお告げかもね……と思うと悪い気はしないものだね。市街を見下ろせる位置へきて、さっきの柚子レモンを飲みつつそちらをぬいと眺めていたら、わんこを連れた高校生ふたりがきておみくじを開けはじめたため、そっと場所をゆずった。帰りにスーパーで買い物をして帰路。末吉についてちょこっと気になり検索したところ、これは吉のランクというよりは未来を示す運勢、みたいな記事を見かけた。ので、ことしはそういうことにして気分よくいよう。年末に参加したボウリング楽しかったなあ。近隣のボウリング場へひとりで行って遊ぶのもよさそうね。

2024年1月1日(月)

ゆっくり過ごした日。夕方、DVDで『バグダッド・カフェ』と『ムーミン谷の彗星』を観なおしていたら、唐突な地震速報のあとから長い揺れがあった。能登半島で震度七。暗くなるなか津波で避難する人々がおり、現地はゆれ続けており、ネットを見れば情報が氾濫しており、こうしたとき無事だったものは普段通り過ごすのがいちばんよいと思った。お正月という気分を感じているかどうか分からなくなったけれど、初詣はいつ行こうか。

2023年12月31日(日)

大晦日。遅くに起き出したものの、窓拭きなど掃除をしたり、洗濯ものをしてシャツにアイロンを掛けたり、靴磨きをしたり、そんなことをするうち宵のころに差し掛かっていた。掃除を残したところは来年の課題として切り上げて、紅白をラジオで聞きつつお蕎麦を食べた。夕方に降った雨は日付が変わるころには止み、かわりに強めの風。気まぐれな除夜の鐘がまばらに聞こえてくるのを、ぬいといっしょに、開けた窓からランプの明かりの前で聞いていた。それから友だちとあけおめのやりとりも交わしたり。このように、身のまわりのことを淡々とこなして過ぎていった大晦日だった。ことしはさまざまな方々に支えられていろんなことを動きだせた年だった。少なくとも2024年いっぱいは迷わずに進める年になると思う。それはきっととてもありがたいこと。不安を感じないのは、手を差し伸べ見守ってくださる方々のおかげなのだろうね。そろりとおふとんへ入ろう。