2022年1月4日(火)

地元の神社に初詣。境内に常に誰かしらいる、くらいの人影だったのは、やっぱりみんな人混みを避けてやってくるんだろうか。参拝のあとで参道を逸れ、いつもの墓地脇の日だまりへ立ちよった。地元の人が抜け道に使うらしいほかは、ちょっと忘れられたような場所だ。意図的にくつろぎたいときするように、視覚へと集中しがちな感覚を聴覚や触覚、嗅覚などに分散しながら、桜のこずえの先にある空を眺めた。いまはこんな感じ、と思う。初め駐車場から境内へと上がってくるときに市街を一望したのだけれど、そのときにも思ったのが、なんというか、今年もこの町の世話になりそうだ、ということだった。いいんじゃないかな。自分自身の時計はまた動き始めたことだし、いずれどこか遠くへ出かけるにしても、ホームポジションはここにあるってことだ。季節のきのこや山菜が採れる場所を知っていて風景には記憶が宿っている、ひとところに暮らしながら培うそんな事々も、わりあいな財産なんだろう。納得ずくで生きられるわけはないのだけれど、じたばたできるわけでもないのなら、自分自身が導く了解を大切にしたい。帰り際におみくじを引いた。吉。雪融けでようやく春が訪れた運気とある。徐々に好転するから着実に/堅実にというのは、わりといまの状況を指しているようで、この内容を引いてよかった。帰り道、地元の冬の祭りが開催予定なことを道ばたの看板で知った。これは冬場のちょっとした楽しみだったから開催されるなら嬉しいけれど、疫病の第6波がじき来るんだよね。様子見。

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