2020年7月10日(金)

たぶん共感を示すためには、感情を発散させる言動は悪手で、静かに受け入れるか、現実を変える力を実際に振るってみせたほうがいいんだ。それは社会への作用だったり、自分だけが知る決意や祈りのかたちをとるかもしれない。ただ、誰かの苦しみに言及して結果的に消費するだけの行為は、僕は避けたい。心を共にしたいことについて自分なりの指向性を持ち、その範囲から外れる事柄には沈黙しながらも「知っているよ」という立場でいたい。いまのオンラインには過剰な言及がはびこってる。

定期通院先の先生に前週の趣味の内訳を報告したら、あなたは情緒が豊かですねというようなことを言われた。どのへんからそう判断したのか聞けばよかった。言語化するのはいまが初めてになると思うけれど、自分はものを感じる心を衰退させたくなくて、細々と火を灯す感じで、関心領域を身の回りにつなぎ止めてきたつもり。こうしてひとさまからいただく評に、なんとかいまのところは好奇心を維持できてるのかなー、と思う。

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