2018年11月21日(水)

流感の予防接種を受けた。

二年ほど前から、気になった音楽や耳に残ったものをYoutubeの「小型アンテナ」というリストに追加していた。そのリストの中身が今しがた300曲を超えていて、その小さな記念。馴染みの音楽を聴くんならSpotifyのラジオに依存しても良いのでは、なんて少しは思うけれど、意外に自分の中での住み分けが出来ている。サムネイルがある動画というのはイメージを共有しているから頭に入りやすいのかもね。

夏の暑さに負けて溶かしたアーティチョークの蒔き直しは、二つの株が小さなロゼットになってそのまま、この冬を堪え忍ぼうかというところのようだ。アブラムシだかアザミウマを避けるためには、風通しを良くする必要があるらしい。

2018年11月19日(月)

ポケモンGoのタスクを進めたところ図鑑が多めに埋まった。SFで笹本祐一『星のパイロット』シリーズを幾つかと、レイ・ブラッドベリ『火星年代記』やフィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』といった古本をお取り寄せ。第9回APOLLOではCDとダウンロード楽曲をそれぞれ一つずつ掘り出した。眠い。

2018年11月18日(日)

夜更けから朝四時までかけてホーガンの『星を継ぐもの』を読了。読後の清涼感と動揺をない交ぜにした忘れられそうにないエンディングだった。設定がすごいというか、設定を解説するだけで作品になっているところも骨が太くてすごいなあ。巻末の広告に新井素子の名前を見つけていずれ読みたい作家に思う。以前ここに書き付けたティプトリーの『愛はさだめ、さだめは死』が未読。

正午過ぎくらいにのろのろと起き出して今までうだうだ。買ってきた小ぶりのみかんが甘さも酸味もたっぷりとあり、「このみかんはアタリだぜえ」(紅の豚)といった風情。

去年までは烏龍茶にハマっていたのだけれど、今年に入って以来、深蒸しの煎茶が自分の中で流行りだ。ほくほくした栗の香りにうま味を併せ持っているお茶が好き。うま味だけなら市販の茎茶をだらだらと急須で蒸すことで得られることが判明したり、一方で加齢のためか渋みを旨く感じられるようになってきており、いずれにしても自分には濃い目の味を好む傾向があるみたいだ。釜炒り茶ではぶどうの香りの香寿をまた手に入れて、味覚の精度が上がる雪の降るころ淹れるつもりでいる。

喪った猫にもう一度会いたいなあ。

2018年11月17日(土)

午前中は麗らかなる小春日和。

九時ごろ、カブの運転を練習がてら道の駅へ出掛けた。フリーマーケットの店主たちがゆるゆると自分の店を組み立てているそばを通り過ぎ、地元のイベント案内が様々に貼られているのをチェックしつつ、産直へ入る。目当てにしていた干し柿を素早く見つけたのち、目的もなくうろうろ。さつまいも売り場に紅あずまや安納芋、シルクスイートなどとあり、未だ食べたことのないシルクスイートを焼きいもにするつもりで一袋見繕う。よく見掛ける野太い形状とは違い、楕円形でころころとした芋だ。それなりなひと気と午前の自然光が館内で混じり合い、早くも年末特有の雰囲気を醸し出していた。思わず笑みが溢れる。

ベンチで少し往来を眺めてから、ポケモンGoのポケストを回し、神社に参拝。歩調が緩む。参道横の大銀杏はひとたび霜が来れば、目の覚める黄金に染まるだろうんだろうな、なんてことを写真を撮りながら思う。七五三に近かったからだろうか、子どもたちの姿をちらほら見かけた。

それから少し離れた高台へと向かった。カブのギアチェンジがへたくそなせいで坂道を空ぶかし状態になりながらよろよろと進む。おあつらえ向きの東屋と展望案内板が見つかり、犬と散歩をしている老人に挨拶なんかしつつ、そこで小休止を入れた。風が吹けばぶわーっと舞う枯れ葉はケヤキだっただろうか。東屋のベンチには折り紙製のふくろうが二羽座っていた。那須連山の山影は案内板を見てもいまいちピンと来ない。

帰り道に地域の土産物屋を覗く。ここの郷土品売り場はいつでも極めつけにまったりとした年の瀬感を漂わせている場所だ。意外な物品としては手漉き和紙があった。築百数十年という開放された古民家の中で、老人たちが囲炉裏を囲んで火を焚いており、木の燃える香ばしい匂いが辺りに吹き散らされていた。

ついでに玉藻稲荷へも立ち寄った。その辺りから見る那須の山々は頂上に白く荒々しい雲を抱いていた。去年の今時分に上のほうまで行ったときは既に薄ら雪が積もっていたから、あの雲も雪雲なのかも知れない。去年と違うのは見川鯛山の本を読みかけていることで、あの山深いあたりにひっそりとした集落の暮らしがあることを僕は知っている。稲荷そのものは特に変わり映えせず、池の水がやや浅いのと、水芭蕉が芽だけ伸ばしているのを見て取ったくらいだった。

今日は日がな人心地が着いていて、晩秋の気配をしみじみと感じていた。常にこうありたいと思う。それから今日明日と第9回APOLLOがあるから、出来るだけ作品を聴いておきたいところ。

2018年11月16日(金)

そういえば、ムーミンのほかにちらほら読むものとして、『現代俳句歳時記(春夏秋冬)』がある。季語は手っ取り早く季節感を拡張できる上、現代の太陽暦に従って説明されているから、生活感が身近で取っ付きやすいんだよね。強く印象に残っている句は「縄文の土器の吐きだす青嵐 岡田恵子」や「火のようにさみしい夏がやってくる 近三津子」なんかだろうか。

夕空はもう冬のそれだなー。

2018年11月11日(日)

カブのクラッチの操作を覚えるつもりで買い出しなど。そこはかとない年末感を感じ始める。

メルツェルはつるはしを振るう彼女の後ろで、その氷を掘る様子を見ていました。底の知れない暗緑色した氷壁が、つるはしの一振るいごとに、もう色の淡くなった雪片を床に撒き散らすのでした。

「上は風が吹くからね、こうして穴を掘って往き来する」

彼女はメルツェルにそう教えてくれて、またつるはしを振るいました。ひとが通れる穴を地面に掘ることについては、メルツェルだって反対ではなかったのです──なにしろ氷上では、厳しい季節風がびょうびょうとうなりを上げていましたもの。

メルツェルは彼女に言われるがまま、幾度となく、掘り起こした雪氷の欠片を一輪車に乗せて来た道を辿り、それを氷上へ運び出しました。

短い極地の日が水平線下へ消えようかというころ、彼女ははたと振り向いて言いました。

「おや、もう日暮れかい。カンテラをつけてごらんよ」

言われるがままに火を入れると、とたんに氷のトンネルは、翡翠色や橙や紫苑色の、無数の色をしたプリズムで輝きました。そして数限りない氷の表面に、メルツェルの石油カンテラもちらちらと揺れ動くのです。メルツェルはその光の饗宴にしばし見とれました。

「いいでしょ。これが冬の楽しみだよ」

彼女はそう言って、氷窟に見惚れているメルツェルを放っておきながら、一輪車へと氷を掻き上げるのでした。

2018年11月10日(土)

武田百合子『日日雑記』が古本で届く。ちらっと読む。面白そうだ。

ここ一年ほどで面白いひとさまの雑記/日記は、読了/未読含め手元にあるものでこのとおり。石田五郎『天文台日記』、須賀敦子『須賀敦子全集〈第1巻〉』、ダンピア『最新世界周航記 上下』、矢島翠『ヴェネツィア暮らし』、ハンス・カロッサ『ルーマニヤ日記』、そしてトーヴェ・ヤンソン『島暮らしの記録』。

ほかに『すずしろ日記』という読み物が面白いのでは、なんて嗅ぎつけはしたけれど、お値段がそこそこ良いために躊躇してる。

2018年11月8日(木)

スーパーカブの納車日だった。Dioと違い、ギアを自分で変更するタイプになっている。全体の操作を覚えるために近所で馴らし運転をした方が良さそうだ。

BEASTERSの11巻を読む。こういう着地の取り方するんだーという感慨がある一方、続きが気になるところ。もしかして、作中の季節が春になるまでに(進級して)完結するのだろうか。それからトーヴェ・ヤンソン『島暮らしの記録』を読了。岩礁で珈琲を飲むとか僅かな土に薔薇を植えるといった、『ムーミンパパ海へ行く』で断片的に目にしていた記述に気付く。積ん読に『少女ソフィアの夏』が控えてる。