2022年6月6日(月)

ふと思いついてブログ内検索をしたら、先の五月はまれに見るペースでしんどいと書きつけており、なんか笑っちゃう。そんな忙しくないだろうにきょうは忙しかったという感想になるのは、疲労感に対して自覚が薄れている状態なんだろう。雨のなか移動して病院や買い物をしたのもたしかに疲れることではあったよ。しばらく休息の日々にする。関東甲信で梅雨入り。大好きな輝かしい気候はことしもよく味わえたと思う。

2022年6月4日(土)

早朝オープンのガーデンさんに向かうため朝早くから出発した。金色の日差しを横から受け、がら空きの那須街道をまっすぐに遡上する。きょう一日になにかあるというより、新鮮な緑のトンネルをくぐり抜けるこの一瞬ごとの変化がすべてに思える。ガーデンさんのばらの咲き具合と晴れた朝の光線はどちらも素晴らしく、だれかほかの来園者が「最高のコンディションだな」と話すのを聞く。あっという間に朝の時間は過ぎた。これ綺麗だねと思った品種を三つメモ。
「ジュビレ・デュ・プリンス・ドゥ・モナコ」……ガラス細工のような特有の繊細さと透明感がある。
「ライラック・デイズ」……紫がかった小ぶりの花はびっくりするくらい写真写りがよかった。
「ブルー・フォー・ユー」……人を引き留める、そつのない美しさ。
ばらはとにかく手がかかると聞くけれど、ちょっと手を出してみるのも楽しそうだなあと思う。ばらとの名コンビであるクレマチスについては多少なり解像度を上げた状態なので、そのへんを手がかりに登攀するかもしれない。退園したあとは割れた殺生石を見たり、那須の展望台のあたりまで行ったり、那珂川河畔公園を少し散歩したり。面談ではなんというか、こちらの過剰反応かもというニュアンスも伝えていただき、きちんと伝えたら分かってもらえるのではということで、それなら直接伝えて解決を試みることにした。いまになり疲れた。眠る。

2022年6月3日(金)

暗がりでもそもそ夕飯を食みながら、網戸越しに遠い路上の往来や葉擦れや落ちてくる飛行機の音や地上よりはずっと明るい夜空や熱の下がってきた大気を窺っていると、古今東西こんなふうだろねって感じが心の凝りにすーっと効いてよくほぐすのだった。なにしろ初夏なので。あしたは晴れそう。件のガーデンさんが早朝オープンしているから、今夜は早いとこ眠って訪問のために備える。そのあと昼からは面談。もっかα7R IIIで使っているHD 43mm F1.9 Limitedは、パンケーキレンズにもかかわらずこの写りというおかしな快感があったのだけれど、ボケの輪郭がちょっと気になっていた。前にペンタックス機で活躍してくれたsmc 31mm F1.8 LimitedをAPS-Cモードで運用したら、好きな画角で綺麗なボケをまた使えそうだね、という期待があり、あした試すつもり。

2022年6月2日(木)

芝張りをしたり、排水路を整えたり、手元に残っていた苗の植え付けなど。夕立が来る予報はさいわい外れた。電話で連絡を入れたところ、ありがたいことに面談の枠を作っていただけた。ふと思い立ち、網戸で風通しをよくした暗がりの中でぼそぼそと夕飯を食んでいた。ことし初めて焚く蚊取り線香のかぐわしさのなか、ときどき光る空や葉擦れの音が心地よく、風景やなにかを眺めながらの食事って普遍的な娯楽なのかなとか考える。古今東西の人々も、初夏の明るい夜空を前にもしゃもしゃやっていたのかもしれない。そういうのはまた夕飯のおりに考えると楽しいんだろう。自分を取り巻く状況はゆるやかに変わる一方、それを立ち止まって内的なものに変換する時間やゆとりは、仮にあってもいまは前に進むために使いたい。

2022年6月1日(水)

一週間前に知り合った人からすごい素早さで執着されており、メンタルがやられてきついのだった。うんうんと話を聞いていると距離感の壊れる人というのが存在するため、ふだんは共感を示しすぎないよう注意を払っているつもりなのだけれど、油断してしまった。そうした人がどういった一連の言動をとるかはほぼ分かるだけに、今回の自分は言うべきところをきちんと伝えており、今後もひたすら適切な大人の対応をするつもり。ちょっと懸念しているのは、自分のネット上の居場所についてオフラインが起点の人には知られたくなくなってきた、ということ。これまでは仮に誰かにウォッチされていたとしてもまあいいかくらいの気持ちと振る舞いでいたから、ここへきて心境の変化というか、危機感が生じ始めたのかもしれない。いま書いている文章も少し気をつかう。思うところが多数あるけれど、とりあえず休息は取ろう。