2021年4月9日(金)

めぐりズムのおかげで目の周りの凝りが一時的にでも解消された気がする。疲れていそうな家族に一包ずつ渡した。きょうは風が強く寒い日。タンポポの葉と野蒜を採ろうと祖父宅へ寄ると、母が草むしりをしていた。彼女は人がよすぎるように思う。定期通院先では長い待ち時間のあいだに舟をこぐ人々が現れ、看護師さんが窓を開けていた。自分も診察でながっちりをしたことは度々あるから、診察室から出てきた人は肩身の狭い思いをしなければいいなと思う。文庫を持ってきてよかった。星野道夫『旅をする木』(文春文庫)はこうした待ち時間に読み進めている本で、なかなか読み終わらずにもう数ヶ月も方々を行ったり来たりしている。その中にある、生命体の本質は他者を殺して食べることだ、という文が目を捉えた。動物たちの霊をなぐさめ、いつかまた戻ってきてふたたび犠牲になってくれることを祈る、その無言の悲しみに私たちが耳をすますことができなければ、人間と自然との関わりを本当に理解することはできないのではないか……というもの。人間が肉を食べるのは自然なことだということを、ふんわり考えはしつつも根拠をうまく言葉にできずにいたから、納得しながらその悲しみにこちらまであてられてしまった。先生は引き続きどこかくたびれて見えた。

2021年4月7日(水)

微妙に体調が悪く、静かにしていた。『デジタルカメラマガジン 2020年7月号』のカラーグレーディング特集に目を通しているところ。写真のプロ25名による色の補正は、どれも言語化された理由や目的によって的確な編集が加えられている。言語化であれば、ある程度は慣れ(文章化された手順)を組み合わせることで取り組める作業なのかな、と思う。とりあえず特集から覚えたいところを要約してメモに書き出してる。折に触れてそのメモを反芻することで、それら個別のスキルが身についていくはず。暖かい季節につき蚊取り線香を焚いた。認識が一瞬で夏を目指す、よい匂いだ。個人的に好きな匂いのベスト3が蚊取り線香(金鳥の除虫菊の)と潮、それから朽ち木。lisnの166 PORTATIVE ORGAN(香木のミックス)は廃盤になったらしい。いいお値段したから仕方ないかもね。でも、あれはよい香りがしたなー。

2021年4月5日(月)

雑多なことをせっせとこなすうち一日が過ぎてしまった。茉莉花は地際から切り詰め、すいかずらは伸び放題だった蔓をほとんど切り落として坊主にし、それらとくちなしにマグァンプKとオルトラン粒剤を与えた。これで株が更新されていけば花付きもよくなるのではないだろうか。ほか部屋の整理や買い物など。もう春だから余計なものは徐々に仕舞っていこう。身体が動くようになってきたここ数年で分かったのだけれど、自分は生活の中に秩序や構造を求めたり、スケジュールを埋めることに喜びを感じたりする人間らしい。大昔はそうだったかもしれない。

2021年4月4日(日)

トレリスの設置とクレマチスの植え付けや誘引がやっと終わった。トレリスはかなりいい感じにしゅっとした見栄えに仕上がった。じつはワイヤーメッシュ三枚の横幅が想定していた長さに少し足りなかったのだけれど、鉄線同士の端をフックのようにかみ合わせたままテンションを掛けることで、かえってすっきりと設置できた。あれなら構造的に風が吹いても音は出ないだろうし、揺れも少ないはず。珍しく機転が利いてえらい。クレマチスはあと一、二週間で咲き始めそうだ。

2021年4月3日(土)

一日中、トレリスを作ったりクレマチスの植え付けをしたり、母と庭の作業をして過ごす。くたくたに疲れた。とりあえず設置までこぎ着けたトレリスは時間も針金も足りなかったので、あす雨が降ってくるより前に固定作業を片付けるつもり。クレマチスはもう蔓もアーモンド大のつぼみもばんばん上がってきているから、いいかげん誘引してやらないと地面でのた打ちながら咲いてしまう。穴を広げたり土の配合などのために屈み通しで、ずっと股関節が痛かった。花散らしの雨となる前に夜桜を伺おうと、夜更けに神社のある高台へ行った。疫病禍で自粛しているとはいえ、そこは八時か九時までぼんぼりに明かりが入っていたと思われるけれど、さすがに僕の着いた二十三時過ぎには辺りは真っ暗だった。日没後の神域はおっかないから頼まれても踏み入れたくない。ので、駐車場の近くにあり町並みを見下ろせるいつものベンチで、缶コーヒーを飲みながら夜景や送電線の赤く点滅する光を眺めた。春の夜の光源は滲んで賑やかな感じがとても好きだ。あの点滅する航空障害灯は風景が持つ緩やかな呼吸なんだなあと思う。日付が変わるころ撤退し、スーパーで買い物をして帰途。

2021年4月2日(金)

ワイヤーメッシュにまずは防さび塗料を塗る作業を母と一緒にやった。あしたはそれらにペンキを塗り、乾くのを待つあいだにクレマチスを植え付けたのち、トレリスとなったそれらを設置&蔓を誘引、まで行えるといいな。日曜は雨らしいからあす中に済ませてしまいたい。ワイヤーメッシュは鉄線の直径が2.6mmとおそらく最も細いもの。強度に多少の心配があったけれど、柱にかみ合うよう素手で曲げ加工を施すには都合がよかった。飛びだした鉄線を折り曲げるためには祖父の残した道具が役に立った。彼の道具類を欲しがったのは親族のうちでも僕だけだったけれど、こうしてありがたく役立っている。形見分けとして自分が引き取ってよかったと、しみじみ思う。『自転車泥棒』観た。題名の通り、不況のローマでやっと職に就いた父親が仕事に必要な自転車を盗まれ、それを息子と一緒に探し回る物語。やわらかいところをぎゅっとつかまれるような、居たたまれなさや容赦のなさが入り交じった映画だった。徐々に余裕を無くしていく父親は見ていてけっこうどんよりする。人々が剣呑なだけでなく振る舞いもどこか粗雑だと感じたのは、これが古い映画だからなのかなと思ったけれど、不況で殺伐さがはびこった風景でもあったんだろな。でも、こうしたやりきれなさ一辺倒ではないんだよね。盗まれた自転車は分解されて市場に出ているはずだと、仲間が朝から一緒に探し回ってくれたりする。盗品探しがばれないよう分散して探そうと言っているのに、なんとなくみんなくっついて歩き回ってしまうところは、ああそういうのってあるよねという感じがして少し微笑ましかった。物語のあとで親子は心になにがしかの傷を持っただろうけれど、二人が手を握り歩いていく場面を思い出すと、つらい世の中でも希望を手放さずに生きて欲しいと願う。……僕も子供のころ、近所の悪たれに自転車を盗まれたことがあり、そいつのひがみを酌量しても許せんといまだに根に持っている。こういう理不尽に降りかかってくる悪意って、無理に飲み込もうとしても喉につっかえて苦しいのだよなー。週末の夜につきラジアンF待ち。