イナカの灯台

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2020年8月

2020年8月1日(土)

家父長制をぶっ壊せ、みたいな意見を見ると、晩年の祖父がときおり見せたさみしそうな顔を思い出す。昔と変わって発言力を付けてきた彼の子や孫たちから「でかい顔をされてしまうなあ」ということを、孫の僕にぽつりと漏らしたんだった。抑圧され辛い思いをしてきたから世の中を変えるんだという人であれば、追いやられる立場の生きづらさにはなおのこと、理解があるんじゃないだろうか。上のものたちがやってきたことを、否定しながらもかたちを変えて繰り返すことには、僕は賛同をためらう。

八月入り。関東甲信に梅雨明け速報が出た。夕方近くになり、いかにも夕立らしい土砂降りが通りすがっていった。やっと夏らしい気分が出てきた。ただ、降水確率は来週を通して高め。

2020年8月2日(日)

 眠たい。次週はスターウィークだとか。

2020年8月3日(月)

サガ スカーレットグレイス 緋色の野望がセール中で80%オフだった。気になりながらも価格を理由に手が伸びなかったゲームだ。購入先を辿ると想定していたSteamではなく、AppストアとGooglePlayストアでの割引になっていた。それで、Googleのほうでは端末が対応していないと表示される。いま使ってるMotorolaのスマホはOSのバージョンには問題ないと思うのだけれど。むむ。

2020年8月5日(水)

『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』を観た。エピソード5を観たときの感想に、レイは系譜のどのへんから来た人なんだろう、と書いていたことの謎が解けた。びっくりだよ。これまで培ってきた出来事がもつれ合い、推進力を伴って一つの未来へと向かっていくことに、もうただ気持ちよく引き込まれていた。過去のエピソードで見覚えのある場面が頻出しており、基本を踏襲して順番に視聴したことは意味があったと思う。そしてベンが笑ったのがとてもよい。あとC-3PO、おまえというやつは結局しんみりしないじゃないの。本作公開を受けて作品を最初から追ってきて、それらの締めくくりを観ることが出来て、よかった。これでスカイウォーカー家の物語は一息ついたわけだけれど、Wikipediaを開くと新たな三部作の予定があるそう。『ハン・ソロ』に登場したL3-37が好みの人物だった。もう少し彼女のせりふが見たいとなると、ダニエル・ホセ・オールダー『スター・ウォーズ ラスト・ショット(上/下)』かなあ。特定のキャラクター目当てに読むのも酔狂だけれど、文庫を安く手に入れられたら。

修理に出した刈払機は直るけれど高く付いてしまうということで、園芸好きや農家向けのホームセンターへ行き、新しいものを買った。型番の違いを訊ねた店員さんが使い方を懇切丁寧にレクチャーしてくれた。雑草相手となると農薬散布は出来るけれど、刈払機は危ないということで祖父には使い方を教わらなかったから、説明を受けられたことがとてもありがたい。うちの周りの笹藪と祖父宅の雑草少しを、お盆前か出来れば今週中に刈る予定。

2020年8月5日(水)

日没ごろに町の中を少し歩いて写真を撮った。梅雨が明けて晴れたらやりたいと思っていたことの一つ。疫病対策や人の目もあるから、じっくり町撮りというのはむつかしいだろな。手早くこそこそやるべし。祖父宅の雑草は藪漕ぎするような勢いで生い茂ってる。そこの叔父宅に住んでいるいとこや叔母たちは早ければ年内にも引っ越すのでは、とうちの母から聞いた。なんか疲れてしまった。早いとこお布団に入ろう。今年は梅雨が長かったせいかまだ暑さにはやられもせず、のんきに過ごせている気がする。

2020年8月6日(木)

明日の朝に祖父宅の草刈り(一部)を予定してる。土日のどちらか天候がよい日に那須の本屋へ行けたら。お布団で本を読むべし。世界への祝福の顕れについて考えていたら、もっか読んでいるワーズワースの詩集に、そのことがほぼそのままのフレーズで出てきた。読書ってときどき、偶然が必然のように起きる。

2020年8月7日(金)

お盆が近いからと言われ、祖父宅の入り口付近の雑草を草刈り機で刈った。長袖長靴に帽子をかぶってエンジンの排気ガスを浴びながら、騒音の中黙々とブレードを払う。都心ではことし初めての猛暑日となったらしく、広く気温が上がって熱中症対策も呼び掛けられるような天候だった。上記のような安全を考慮した服装にすると、体内にこもった熱の逃げ場は主に顔面からのみとなり、保護メガネ(透明でサングラスのような形状)の内側に汗をかくという、一見わけのわかんないことが起きる。実際の作業時間はそれほどでなかったはずだけれど、簡単に大汗をかいてふらふらし、小休止にはペットボトル飲料を数本分、ごくごくと飲んだ。自分で草刈りをするまでは早朝にうるさいあれくらいに思っていたものの、これは熱や騒音や排気ガスなどのストレスを浴びながら体力を酷使する、危険を伴う重労働なんだと思った。ただ、野放図に育ったいのちを刈り取る邪なよろこびはある。様子を見に来た近所のおじいさんから「触れて音がしてもいいから歯をもっと低くして、根元から刈るといいよ」とアドバイスをもらった。そういえば先日のホームセンターの方も、回転する歯やそれを固定する部位は消耗品だから持ってきてくれたらメーカーで修理交換できます、みたいに仰っていた。

屋敷のうち人の出入りするあたりを刈り終えたころ、母と土地の境界の話をしていた本家のおじいさんが耕運機に乗ってやってきた。管理するものがいなくなり雑草の楽園と化している祖父の畑を、僕の使っている刈払機で払うのは大変だからと、耕運機でうなって(耕して)くれるという。機械が畑に入って少しうろうろするあいだに、藪漕ぎするような草むらはあっという間に肥沃な畑の土へ漉き込まれた。おじいさんが言うには、漉き込んだ雑草が枯れたころにもう一度うなる必要があるから、また来るよとのこと。ひらにお礼を言い、帰着。

断絶やわかり合えないことって、自分にはないものだと捉えれば、確実にそこにある豊かさとも言えるのではないだろうか。仮に相手そのものを許容できなくても、こちらが踏み込めないその淵を大切にすることができたら、それは精神的な多様性に繋がる気がする。利己的な考えかも知れないけれど、留飲を下げることはできそうだ。

2020年8月8日(土)

わけもなくぐったりしてしまう。これから一週間くらいが一番暑い盛り。梅雨が長かったとはいえ、季節が巡れば気温の変化の影響は受けるか……。無理にやる気を求めると空回りして辛いだけだから、床や寝床で溶けて秋を待ち、夜の虫の音や涼やかさに感覚を傾けるべし。LisnのNo.330『プル〃』は、ばあちゃんちにあったような仏壇スイーツの香りだった。小さいカップのフルーツゼリーみたいなひんやり感がある。

2020年8月9日(日)

『バーフバリ 伝説誕生』と『バーフバリ2 王の凱旋』を、Amazonのレンタルで続けて観た。有無を言わさぬ展開にツッコミが絶えなかったけれど、感情のフルスイングの連続がよかった。日ごろ映像作品に慣れていないため、自宅とはいえ映画の二本立てに集中するのは疲れた……。おかげで眠たい。早めにお布団へ入って、あしたの天気次第で那須の上のほうに行けたら。今福龍太氏がちくまに寄せた「少年の日の思い出」関連のエッセイに影響され、ヘッセつながりで古本の「シッダルタ」を手に入れた。「車輪の下」ならむかし読んだ記憶だけがあるけれど、そちらは窮屈という印象がおぼろに残ってる。作者へのイメージは変わるだろうか。しばらく積ん読かも。

2020年8月10日(月)

那須ブックセンターへ。店主らしき男性が出入り口前に、珈琲販売かなにかの設営をしていた。ぼっそり挨拶して店に入る。中は静かだった。椎名誠や沢野ひとしを中心とした書籍コーナーがあったり、郷土関連の本にこだわりがあるのかなと思わせるチョイスが目に入ってきたりと、個人の書店ってこんなふうに性格があるものだねえと気持ちよかった。ヘイト本とSFコーナーは見当たらなかった気がする。岩波文庫が多めでうれしい。ながっちりをしてから本の雑誌とその別冊な古典案内を購入した。本の雑誌は興味を持ちながらも近隣の書店には見当たらず、Amazonで取り寄せたものかと保留にしていたもの。PR誌の図書もなんとなく手が伸びた。それから山の上のほうへ。ロープウェイ駅まで原付で行けるか確かめたかったのだけれど、ギアを低速に入れてのたのたと粘るうち、目的地より上の茶屋にまでたどり着いた。来られるものだなあ。大気はしっとり涼しく、木々の甘いにおいがした。この快適さは確かにひとが来るかもね。初めから山を登るつもりはなかったから、そのへんを少しうろうろして花の写真など撮り、帰途。那須街道は登るときも下りるときもちょっとした渋滞で、多種多様なナンバーの中には神戸や盛岡、所沢なんてのも見かけた。ハイシーズンの避暑地+お盆前+山の日に山の組み合わせはどこへ行っても人がいた。もうちょっと自分はほかの日にできなかったのという気がするけれど、これはこれで県外から見た那須の印象を確認できた、ということかも知れない。今年のペルセウス座流星群は天候に恵まれなさそうなので、今夜のうちに雲間が覗くかどうか、少し様子を窺うつもり。

2020年8月11日(火)

きょうは今夏一番暑い日だったのではないだろうか。地元のアメダスでは最高気温が36度ちょっとあり、40度を超えた地域もあったそう。このあたりの予報だと今後は真夏日くらいで済みそう、という感じ。昼の盛りに出かけると路上には熱風がこもっており、気体というよりはとろりとした温かい液体の中を行くようだった。きのうの山の上は涼しくていくらか雲によるミストも掛かっていたから、高原は地上の熱気を避けるには都合のよい、恵まれた環境なのだなあ。道の駅で見かけた花オクラは、雑に刻んでわさび醤油で食べると粘り気が出て、そのうまさに意外なくらいびっくりした。ここへ来て食と季節がしっかり合流したような、夏を食べてる気分。きのうの夜更けはそこそこ晴れ、一時間ほど星空を見ていた。散在流星とペルセウス座流星群がそれぞれ二つ、極大の二日前だからそれなりに流れたと言ってよさそうだ。今夜と当日のあす夜は観望の期待薄。

2020年8月12日(水)

午後より自宅と山道の草刈りをした。密集した篠藪は一度に刈ることがむつかしいため、切断した篠をちまちま除けながら、三時間ほど掛けてひとが楽に通れるような幅を作った。高さ三メートルはあると思われるあの藪は、うずらや雉や狸が安全に暮らすにはこれ以上ない隠れ家になっているんだろうなあ。緻密な篠藪の上部ではオニドコロや藤の蔓が樹冠に近いものを形成しており、それらに絡みつかれた篠は根元を刈るだけでは倒れてこなかった。ああ、けっこう疲れた。水風呂が心地よい日。明朝は墓参りがあるから、早いとこ眠ってしまおう。

2020年8月13日(木)

墓参りへ。それから、祖父宅やいとこたちのことを気に掛けてくれる近隣のお宅へ、ビールを持っていったりした。祖父亡き後の相続については基本的な話の方向性がまとまり、懸案な叔父の家屋に関しては田舎の人脈で話が付くかも、といったことを聞いてる。あしたは朝のうちに祖父宅へ線香を上げに行く予定。昨晩は意外にも星空が覗き、ペルセウス座流星群が流れるのを一時間ほど眺めた。

2020年8月14日(金)

む、Wordpressのアップデートで文章入力画面のフォントが見づらくなってる。朝のうちにいとこたちの元へ出向き、祖父の初盆に坊さんが読経を上げてくれるのを聞いたり、自分で線香を上げたりしていた。世が世なので長っちりは避けるところだけれど、出してもらった麦茶とまんじゅうくらいは食べたほうがよかろうと思い、もしゃもしゃやってから帰着。あれは、お客さんに出したけれど誰も食べなかったねー、みたいな会話が一日の終わりに発生するのは、そういうものだけれどさみしいんだよね。人口が少し増えた田舎のお盆の浮ついた雰囲気は好きだ。もちろん、そうした慣習や淑気を苦痛に感じるひとも世にいることは知っているけれど。なんとなく、お盆期間中に夜の散歩があってもよいかもね、と思う。ラジアンF待ち。

2020年8月15日(土)

お盆も後半。宵のころに花火大会の音だけが聞こえてきて、そういえば少しばかりあるんだと思い出し、家の前で花火をした。ドラゴンとロケット花火に、回転しながら上昇するとんぼ花火が一袋ずつ。値段なりにすぐ終わってしまったり、上手く打ち上がらないものもあったけれど、いいものだなあと思う。火薬の匂いはいつまでも嗅いでいたくなる。上空で響く破裂音も余韻が気持ちいい。ひとりでやる花火なんてつらいだけと感じていた人生の時期を通り過ぎ、いまでは自意識や人目をさして気にせずに、好きなことを好きにやれるところまで来た。とても楽。花火で遊んだあとで近所をぐるっと散歩した。お盆期間中の田舎は人口が増え、気持ちも賑やかというか安心感がある。街灯が木の枝越しに路上へ投げかける光や自販機の照明、足下を照らすごく小さな明かり、それから紫電で星空を照らすかなとこ雲といった、誰もいない場所を照らすささやかな光源に、しっとりと優しい夜の雰囲気を感じながら歩いた。明朝は送り盆だから早めに眠る。ジャスミンは今夏二度目の花期が訪れたところ。さっき見たら白い花が二つほど開き、芳香を放っていた。

2020年8月16日(日)

朝から父の墓へ出かけていって送り盆とした。帰りがけに、川縁に整備された花の道を母と見る。周りの人たちそれぞれの根深い問題をなにかの拍子で目にするたび、『ムーミン谷の冬』でムーミントロールが考えた(みんないろんな悩みを抱えているんだなあ。あのジャムのことなんか、とりたてて言うほどのことじゃないんだ。)というせりふが思い浮かぶ。人の悩みを察知する理由って、自分が相対的に気楽なためなのかも。あまり関係がないけれど、やりきれなさや溜飲下げたさからちくちくとものを言うことがないよう、気をつけようと思う。そういうのは他人の居場所を奪うものね。

2020年8月17日(月)

日没後の暗くなっていく空を見ていた。南には背の高い入道雲が残照を受けて青白く映え、その下のほうでは雷が瞬いて、雲のなかやその後方を音もなく照らすのだった。西の空高く、赤く輝いて目立つアルクトゥールスを皮切りに、星がちらほら出てきていた。青や緑から黒へとゆっくり減光していく空は、普段のように気にも留めないような雲量の多さではあったけれど、その隙間から覗く深い色彩に一日の終わりを感じて気持ちが安らいだ。買い物の帰りだったから、見通しのよい田んぼの真ん中へ原付を止めて、虫の声のほかは静かな日没をしばらくのあいだ眺めていた。この眺めを目にすることができたし今夏は上がり、みたいな考えが頭をちらっと横切った。

夕空のへりは暖かい季節に見られる赤く滲んだものではなくて、秋冬特有の眠たいような緑と水色をしていた。田んぼの中を行く路上には飛び交う虫たちが増え、いかにも実りの季節を待ちわびているようだった。みぞおちに入ってきたのはそれらを捕らえるコウモリだったんだろうか。季節がゆっくりと、確実に巡っていくことを、肌で感じる。

ニュー・シネマ・パラダイスを観た。よかった。子供のトトに対して同じ目の高さで向き合うアルフレードの誠実さを思う。

2020年8月19日(水)

シャークネード5 ワールド・タイフーンを観た。なにもかもが雑な中、人命も特に尊重されてはいないところがよかった。突っ込みどころの多さに疲れて中盤からは笑うだけになっていたような。法王から授かったチェーンソーがそのあと出番を持たなかったところ(たぶん)や、変形して要塞化するオペラハウスに「単なる派手な建築物ではなかったんですね」というコメントが入るところなんかがツボ。サメ映画は健やかになれそう。いまくらいになると蝉の声は減ってくるようで、耳鼻科へ寄った昼ごろの風景には暑くて静かな、ひなびた感じがした。

2020年8月19日(水)

ライムライトを観た。チャップリンの映画は比較的短いものならいくつか観て知っているけれど、今回のはがっつり尺があった。カルヴェロの拗ねは分かる気がするよ。そうした感情に任せるせいで別れがきてしまう。きのうは大学の先輩と久しぶりに少しやりとりをした。そのことを振り返りながら買い物へ向かっていると、受ける風が急に雰囲気を変えたように、懐かしく感じられた。もうここにない風景の記憶を感覚から引き出すことと、懐かしさも予感も等しく時の奥行きを見透かすものだということを思う。

2020年8月20日(木)

『ミツバチのささやき』観た。クラフト・エヴィング商會『アナ・トレントの鞄』に頻出するので気になってた映画。始めのほうで母親が手紙にしたためていた「人生を本当に感じる力」って、現実と幻想のあわいを行き来するアナの(子供の)感じ方のことかも知れない。なんかみっしりしたものが水面下で静かに圧迫感を持っているような、ほのかな不穏さもあったように思う。見終えてからDVDのパンフレットやあらすじを読むと、舞台となる40年代のスペインでは内戦が終わり独裁が始まっていたそうだから、そうした当時の情勢を反映しているのかも。映画の中の映画としてフランケンシュタインがでてくるのだけれど、僕はそちらを履修してはいなかった。いずれ視聴できたら。ラスト近くなり、連れ戻されたアナを診た医者が「(ショックを受けたことは)少しずつ忘れていくよ。大切なのはあの子は生きてるってことだ」と母親に言うのだけれど、最後の場面でアナは月の光の下、精霊と話をしようとしており、それはアナがなんらかの価値観に抗うかのように見えた。『アナ・トレントの鞄』で触れられていた(たぶん有名な)少女二人が線路の上にいる場面を見ることができてよかった。

2020年8月21日(金)

古い映画を観てますと医師に話したら渋いですねと言われた。もうちょっと減薬できそう、という話をする。『天使のくれた時間』を観た。よかった。天使というには少し物騒なあの青年が言う「煌めきを見せてる」って、ちょっと飛躍するけれど松崎ナオ『川べりの家』の歌詞で言うところの「一瞬しかない」なのかもなあ、と思う。いなくなった人たちのことを思って少しさみしい。

2020年8月22日(土)

日が傾いてきたころに来た雷雲はすごかった。積乱雲が発達するのに合わせて、雲の底は龍かなにかみたいに激しくうねり、それが雷鳴とともに続々と上空を通過していくのだった。山の上のような涼しい風が木立へ叩きつけ、次第にばらばらと雨も落ちてきて、夕立の本隊となった。残りの夏のぶんのらいさまをまとめて落としていったかのよう。

『バグダッド・カフェ』を観た。ばきばきと音がしそうな空の青さがよかった。そしてしょっちゅう誰かがコーヒーを飲んでいた。ヤスミンがお客たちにコップの手品を披露しているあたりの雰囲気が好きだなー。物語前半はみんな殺伐としていただけに、居合わせた人たちとお店の片隅でまったり盛り上がっている感じが、潤いが差してくるその過程の幸せに見えた。お店がすっかり繁盛したときよりも、その手品のあたりの場面が好きだ。

2020年8月23日(日)

アシタバの花がいくつも咲きかけていたため刈り取った。花が咲くと株は枯れるそう。春先に猫の墓の周りへ植えたシュウカイドウは、うれしいことに、早くもピンク色のぼってりした花をうつむきがちに咲かせていた。茉莉花はいま咲いている花でお仕舞いかなあと見てる。花期を終えたら菊鉢へ植え替えるつもり。日中、強い西日に照らされる稲穂を見て、収穫の時期は近いなあと思う。

2020年8月24日(月)

メモ。風景に記憶が宿ることについて。[映画] 未来のミライ: 極東ブログ 夜はもうだいぶん涼しくなってきた。虫の声を聞いていたい。冷房のいらなくなる時期が待ち遠しい。

2020年8月25日(火)

春先から手を付けていた『たのしいムーミン一家』を昨日の夜に読み終えた。冨原眞弓さんが仰るところの夏の章は光に透明感があり、ずっとそこに浸っていたくなる。季節の巡りに合わせてムーミンを読むのが長いこと習慣になってる。次に手を付けるつもりな『ムーミンパパ海へ行く』の作中で流れる時間は、八月の末から十月三日まで。普段から複数の読みさしを平行して(集中力に合わせて少しずつ)進めているけれど、「海」は今年もおおむねその範囲で読むつもり。家族の再生や一家の休暇といったものを軸にいろいろな読み方ができ、そのたびに新しく思い至ることがある、味わい深い作品だと思う。あの力強いラストシーンへたどり着くのが楽しみ。

果物市場を覗くついでに那須の園芸店へ寄った。身体に受ける午前の風は涼しく、これは夏というのではないな、と思うような肌触りをしていた。ディルやなにかハーブの種を見繕いたかったのだけれど、園芸店の種売り場は手が入ったらしく、少しばかりのハーブとあとはよくある野菜や花の種が並んでいた。季節柄だろうか。オミナエシの黄色が目に付いた。

2020年8月26日(水)

青果売り場はメロンとすいかが消えて桃が減り、梨やみかん、ぶどうが並ぶようになってきた。桃が並ぶころの売り場はほかの果物も織り交ぜた芳醇な香りがして、それを吸い込むのが好きだった。世が世なだけにそうしたことは当分できないだろなあ。近隣の梨園にはことしも営業を知らせるのぼりが立った。あれを見ると実りの季節だと思う。祖父がいたころは収穫だといっては畑仕事にかり出されたり、冬が来る前に済ませたい種々の作業のために呼ばれもしたのだけれど……。祖父宅と同じ敷地内に住むいとこたちはこの秋にも地元を出て行くそうで、屋敷全体の手入れはそのあとから行いたいと母が言っていた。知っている風景が滅びゆくさみしさに慣れるまで耐えたり、新しい風景の中に居場所を手に入れたりしていくことは、わざわざ言及するまでもない人の営みなんだろう。いまくらいの年齢になって初めてこうした感覚に実感が湧きつつある。

2020年8月27日(木)

スーパーで手に取ったいちじくが美味しくて、というかうまくて、ひとりで感動していた。瑞々しさとほのかな甘さに加え、花の香りのような味わいがする。ほかの果物とは美味しさのベクトルが全く別のほうを向いていながら、人の味覚を捉えて放さない。以前はこんなに美味しくびっくりするわけでもなく、祖父が畑の隅っこから採ってくれてもいまいちピンとこなかったのだった。そしてあの畑のいちじくは邪魔だからと祖父が伐ってしまった。ありがたさに気付いたときにはもういない、よくある後悔だなー。びわやいちじくは農家さんがよく敷地内に植える樹だけれど、その美味しさは大人になってから分かるもののように思う。

きょうの空は変化と動きに富んでいた。雲の下から雨の降っている様子が方々に見えたり、虹が出たり。刷毛で掃いたような雲も見えた。空の季節は目に見えて移り変わっていく。菊鉢へ植え替えたジャスミンの写真を友達に見せると「マツリカちゃん」と呼んでくれた。ので、僕もそちらの株をマツリカちゃんと呼ぶことに。Twitterの「ド嬢最新刊のムーミンの話に泣いた」というつぶやきを切っ掛けに、『バーナード嬢曰く。』五冊をこれから読み進めるつもり。

2020年8月28日(金)

いずれフェンスを立てるために、祖父宅の土地境界の杭を動かしたり。ローカルな音楽ファイルを漁る弾みで耳にした槇原敬之『STRIPE!』がよかった。和音が乗る感じというやつだろうか。人々を音楽で励ましてきた人物が苦境にいるときは、大勢が支える側に回れるとよいのだけれど。ラジアンF待ち。

2020年8月29日(土)

データ置き場を漁って祖父母や猫の写真をLightroomから書き出していた。あとで母が遺影や手に取れる写真にするため、町の写真屋さんへ持ち込むとのこと。思いのほか写りのよい写真が触られもせずに埋もれてる。ラジアンFの寝不足が影響したのか、夕方に芝刈りをしていて軽いめまいがした。早いとこお布団へ行くのがよかろう。

2020年8月30日(日)

昨日に引き続き写真を漁り、RAWからJPGへ書き出したり。日が傾くころに夕立がきた。

2020年8月31日(月)

午後より雨。洋上の台風9号は九州へ近づいてから大陸のほうへ進むらしく、十日予報を見ると雨雲はしばらく掛かり続けそう。10号候補は九州/四国へ上陸しそうな予測を見かけた。台風はこれまでの発生数の少なさを補うようにやってきては、季節の巡りを促していくのだろうなあ。きょうの風は植物と地面の蒸れた匂いがなくなり、明らかに秋の爽やかな透明感を持っていた。ムーミンの取り上げかた目当てに手に取ったバーナード嬢曰くは五巻まで読み終えた。初め頼りなかったド嬢こと町田さわ子がこの作品ごと成長しているような。いい漫画だった。

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