イナカの灯台

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2020年5月

2020年5月1日(金)

金の光を受ける夕暮れの風景の中に、ぬるくて甘い遅い春の気配が流れていた。

五月到来。あんなにもったいない扱いしていた四月は風みたいに過ぎていった。あしたの気温は30度近くなる予報で、気候はもう遠慮せずに初夏へ向かうつもりらしい。ソメイヨシノが咲いた三月末から山桜が散る今日まで、息を吹き返したような心地よさを感じていたことは覚えているものの、なにをしていたかほとんど忘れた。もの愁い花の季節をもっと味わっていたかったのだけれど。

きょう業者さんが来て、育ちすぎた庭木を一日で全て倒し、ユンボやトラックで回収していった。アフリカの灌木みたいに「手を出したら命はないからね」と主張していた柚子もなくなった。こちらはもっか枝を水に挿し発根待ち。こういうご時世に手早く作業して下さった業者さんがほんとありがたい。そして庭ががらがらだよ。かつて日陰だった場所にはスギゴケがふかふかの森を形作っていて、それらを撫でるときの手触りが好きだった。日差しががんがん当たるようになったから、デリケートなスギゴケはたちまち干涸らびていくはず。周囲の湿度や風通しが変わるだけでもいたりいなくなったりする植物だものね。あとで少しばかり移植できないかな……。

2020年5月2日(土)

今日撮った写真の現像はあしたやろう。なんか眠たい。穏やかで暑い初夏の陽気だった。ふっと思う、人の感情というのは構造なのでは。それが瞬間ごとに切り出されて表出してるんじゃなかろうか。

2020年5月3日(日)

珍しく昼寝。すごい、気候にうっとりしているだけで一日が過ぎていく。日中はわずかに汗ばみ始めるくらいだった。普段こういうことをしないのだけれど、ロケットの打ち上げを中止したISTにお布施。例の給付金は庭木処分代の足しにするかーみたいな考えでいたから、それならいま夢を絶やさないために少し施してもいい、と思ったのだった。

2020年5月4日(月)

近所を散歩。身近な場所にもよく見るといろんなものがあって、そうした移りゆくものを探すことが楽しい。一枚目は朴の若葉とあけび若しくはむべ。今日は曇りだったので、木を下から見上げたら浮き上がって面白い構図になるのでは、と思いつつ撮った。二枚目はニガイチゴかなにかの茂み。空き地の一角に、脱走園芸種のオオアマナとミント類がはびこっているのを見掛けた。後者の葉を揉むとひんやりした香りがするけれど、それはガーデンものの鋭さではなく、例えて言うなら野天の気楽さといったものだった。

政府の緊急事態宣言は今月末まで延長された。BUMP OF CHICKENのMV全てがYouTubeで解禁されてるとのことで、このあと流してみる。二月から三月にかけて往時のベストアルバムを漁っていたころ、このバンドの曲のひたむきな感じがいいなあと思っていたのだった。

2020年5月5日(火)

物置の裏(栃木弁で後ろのこと)に並べた椎のほだ木から、握り拳よりも大きなしいたけが三本、にょっと生えていた。去年の三月五日に祖父と菌駒を打った木だ。あのときは祖父宅の裏庭で一緒に作業していたところで、そこへ暇そうな叔父もやってきて、闘病の辛さから来る冷笑混じりで僕らを見物していた。もう二人はいないけれど、こうして思い出すことはできる。

野辺で写真を撮ることは他者の感情を刺激するかもね、みたいに書いたのは、確か桜が咲くころだったような。感染拡大の怖れが低い状況で手早く撮ってはいるものの、気ままに振る舞うことやそうして撮ったものをアップロードすることに引け目を感じない、と言うと嘘だ。現時点では適切な判断をしながら撮影してるつもりだけれど、見えない不平等感や抜け駆け感が周囲に強まってきたら考え直すつもり。

きょう、石油ストーブを片付けた。午後から小雨。降り始めは青葉の匂いが、しばらくして雨の匂いが流れてきた。

2020年5月6日(水)

MouserからIntelのSSDの発送通知が来ていた。アメリカより一週間ほど掛けて来るそう。なんとなく中国か東南アジアで製造してるのかなーと思ってた。

この何年かで想像する力が干上がった。はっきりした原因は分からないけれど、こういう疾患では認知機能を含めていろいろな脳機能が減退するし、同時期に内面が安定してきたことも関連があるのかも知れない。日記雑記的な描写は想像とはまた別の作業らしい。基礎からやり直しかもねと思って身体を鍛え始めたり、本のインプットに力を入れようとしたり、遠回りでも定番の立て直しを図って、それなりにあがいてみている状態。外へ出掛けていく趣味として始めた写真は、人や社会でなく自分と世界に向き合うところが性に合っていたらしくて長続きしてる。ので、現時点では、日常の文章と写真の二人三脚で創作や表現が出来たらいいなあと画策してる。長いこと、あの手この手で二十四時間自分を癒し続けてるけれど、復帰にはなお時間が掛かるだろな。こうした感覚は、SF作品で宇宙船が長距離ワープに入り異空間を行くときとか、タイムトラベルで時間の流れから切り離された場所にいるとき、そういう状態が近いかも。周りと流れが全く異なる生き方ではあるけれど、いまを受け入れ未来を信じる心境。こうした中で表現を褒めてくれたり、作品を見せてと言ってくれる人たちの存在が、光のように思える。オン/オフ問わず、見えることでも見えにくいことでも、いろんな人に支えられ、ときには見逃して貰いつつ過ごしてる。

昼に雨。日没ごろには止み、雲の上で夕焼けしている変な光が辺りを満たしていた。

2020年5月7日(木)

祖父の遺産相続の件が、こじれているわけではないのだけれど込み入っていて、うちの意見は一致させておいたほうがいいよねという話になった。満月が物陰まで照らし出してる。眠たい。

2020年5月8日(金)

祖父が活用しないまま残した桜の丸太を回収するついでに、屋敷の生け垣から茶の新芽を摘んできた。いま屋敷を管理する者は事実上いないため、敷地内にはさっそく雑草がはびこりだしてる。生け垣の一角には黒くべったりしたすすのような病気が拡がり始めていた。すす病かなと思って検索。たぶんこれだ。羽虫がわんわん飛んでいたけれど、あれはアブラムシだろな。ベニカXとオルトラン粒剤が手元にあるから、天気を見て近く散布しに行く。相続の件で、祖父の屋敷に関しては誰が引き取るかまだ判らないけれど、実際に手入れをしていくのは自分かもな、という気がしてる。なにをどうやればいいか把握しているのは僕だけなうえに、いとこたちはここを早く脱出したがっているもの。

一芯二葉で摘んだ茶の芽は烏龍茶にするつもりで、少し前に手揉みした。いまは風通しのよい窓辺で発酵が進むのを待ってる状態。植物自体の青いにおいの中に、華やかな香りがわずかに混じってる。明朝にまた確認することにして、寝床でラジアンを待とう。

2020年5月9日(土)

きのう放置したお茶はほんのり花の香りを放っていた。急須で淹れてみると、花の香りと植物の青い匂いが半々に入り混じった、野趣に富むお茶の出来上がり。新鮮さに満ちていて、意外とおいしい。発酵がそれほど進行しなかったのは揉捻が足りなかったためのように思う。もっと葉の細胞壁を壊しに行ってもよかったのかも。摘んだ茶の芽を揉み一晩置けばよい香りがするということが、人類はこれを尊び歴史の中で求めて来たのだなあ、という実感につながるようで、不思議だった。祖父宅へ寄ったらまたお茶を作ってみるつもり。

夕過ぎにSSDが届いた。やっとだよー。注文したのが二月十八日、三月下旬に台湾で製造され、アメリカの空港いくつかを経由して辿り着いたらしい。ものすごく輸送のお世話になっている……。Cドライブにあてがうつもりでいたパーツがこれで揃ったので、自作PCを組む作業をゆるゆるとやっていけそうだ。十年ぶりで新たに手に入れるパソコンってどんな挙動をするんだろう。写真編集のために性能のよい部品を手に入れはしたものの、これでまた十年は保たせたいんだよね。

2020年5月10日(日)

とても湿度の高い日。ぼそぼそとパソコンを組み立て始めた。オンラインの記事も参考にしながら、少しずつ形にしていく。組み立てそのものは、合う規格ごとに繋いだり配置したりしていけば立ち上がるところまでは行くのかもなー、という感じがしてきた。このまま行けば馴染みのないBIOSの設定もなんとかなるかも。M.2 SSDは板ガムみたいなサイズと形状をしていて、一緒に組み込んだごついHDDから記憶装置はここまで進化したんだとびっくり。夕の庭でジャンボあけびや残りのスイカズラを地植えにしたり、白いクレマチスの花束を撮ったりしていた。別のクレマチスで、ひと月ほど前に地植えにした’フォンドメモリーズ’は展開がとても早い。もうちょっとしたらフェンスの上まで行ってしまいそう。部屋で飼ってる八重の小くちなしとスイカズラの’グラハムトーマス’も、鉢の環境が安定してきたようで一安心。麗しい五月をたくさん吸い込んでいこう。

2020年5月11日(月)

印象的な雲が流れる。ウェザーニュースのつぶやきに、光の梯子が地元へ降り注ぐ写真が載っていた。ちぎれ雲からときおり雨粒が落ちてくる青空の日。Lightroomで表現できる手札を増やせたらと思い、youtubeとnoteの記事のいくつかを漁ってる。

2020年5月12日(火)

さして迷うこともなくパソコンは組みあがり、OSのインストールもすんなり終わってしまった。ので、ストレージのフォーマットをしながら、そのデスクトップ機でこれを書いてる。フラットな画面だなー。ソフトウェアを入れたりデータを移したりといった作業が残っているけれど、今回の自作PCはうまく組めたと言ってよさそう。いまのところとりあえず、デジタル写真のRAW現像を快適に行うため十年ぶりで手に入れた虎の子なので、また長く面倒を見ながら使っていく予定。二年の分割払いを頑張ろうな。

パソコンや周辺機器への理解も深まるといいなあと目論見つつの組み立てはいい線行った気がする。デジタル寄りの写真撮影はこうした機械ありきの趣味なので、その性能や仕組みを知ることは作品の出来栄えと結びついていくし。組む前といまで理解が異なって見えるのは、やっぱり筐体内部の配線かなあ。この部品をこういうふうに接続すれば所定の機能を果たせるというのが、なんだか生物の内臓を弄り回しているみたいだった。パソコンは連結された電子部品の集合なのだなあと思う。

2020年5月13日(水)

昼前より雷鳴、続いてにわか雨が降る。昼過ぎから日没にかけて風が強かった。いま、わずかな風に透明感と涼しさが乗っており、ほんのり秋口じみたさみしさを感じる。鉢植えにして部屋で飼っているすいかずらの枝先に花芽が付いていた。野生種の花の香りも強いものだけれど、これはとりわけ香りが強く花も大きい改良種だそう。花が咲くことを思うと気持ちが前向きになるなあ。少し前に発生した台風1号はなんとなく北上するルートに見える。

2020年5月14日(木)

もう春が終わりつつあることにびっくりだよ。ずっとぼーっとしていた。いまは眠たい。

2020年5月15日(金)

たいへん眠たい。沖縄では梅雨入りしたとか。スクービーの『月光』に、梅雨時の夜中の静まり返ったような印象を持ってる。

Windows10は使い始めた初日にスタートメニューが出なくなり、三日目のきょう、ブルースクリーンに遭遇した。なるほど、こんな感じなんだ。導入して間もないWindows7にサービスパック1を入れたとき、エラーを乗り越えるために金曜から月曜まで格闘したのを覚えてる。10も現行のOSとはいえ、うまくいかないことはまだまだあるんだなあ。

祖父宅の茶のすす病についてはオルトラン粒剤を撒き、ベニカXスプレーもついでにかけてきた。明日は雨が降るそうだから、粒剤の成分が浸透してアブラムシを絶やすはず。すすは生け垣の内部で蔓延しているみたいだった。茶が病虫害に弱いということと、なんともないように見えたものも祖父は世話をしていたのだなということの両方を思う。彼が愛用していた小刀を見つけ、だれも使わないだろうと判断してもらってきた。一つの場所に暮らすことで風景に記憶が宿り、やがて人々の暮らしも思えるようになっていく、そういう感覚がある。

2020年5月16日(土)

コーヒー豆の自家焙煎に手を出した。いつでも新鮮な豆が得られることと、少しは安く上がりそう、と思ってのこと。煎りはじめは麦茶のようなこくのある香りが立ち、それから焦げたような煙に変わっていった。ふだんフルシティローストが好きなため、2ハゼなるタイミングで焙煎を切り上げた。豆の色は知ってる濃いあずき色だけれど、ふくよかな香りがぶわーっと広がる……というのとは少し違うな。あれはプロの技なんだね。煎った豆を極細挽きにしてモカエキスプレスで抽出したのを飲んでみると、味のほうはいい線行ってる。個人的に珈琲にモナンのヘーゼルナッツシロップを入れるのが好きなのでだばあと加えた。手間が満足感に乗っておいしい。至高の珈琲を求めてこだわる人の気持ちがわかる気がする。自分で煎っても満足あるものができそう、という確信が得られたことだし、これからは生豆をストックしておいて必要な時に煎り、新鮮なものを使ってもよさそうだ。各所の記事で見かけた「チャフ(豆の薄皮)が飛び散るため、焙煎後は周りの掃除が必要」というのは、事前に豆をざるで研いだところ、ほぼ抑えられた。

『天使にラブソングを』を観た。初めてハモる場面に胸のすくような感じがしてよいなあ。ウーピー・ゴールドバーグという人物の作品に触れるのはこれが初めてだった。あーいい気分。

日がな小雨の降る、潤いある日。梅雨に入る前のからっとした気候と降り注ぐ日差しは、季節のうちでも一番美しくて快適だと思う。身動きを取りにくい状況ではあるけれど、今年もそういう光景を写真で記録できたら。そういえば、銀の針のような雨がけぶって緑と調和している光景、というのを五月には見かけることがある。今年はそういうのに遭遇するだろうか。

2020年5月17日(日)

夕暮れにISSが天の高いところを行くのを見た。火曜以降の週間予報には傘が並んでる。

CP+2020で公開されるはずだったものを、リコーが15日に動画で公開していた。その中にD FA 21mm Limitedというものの説明があり、こ、これは触ってみたいと、いつになく興奮したのだった。ペンタックスではDFA(つよい)とLimited(すごい)の組み合わせってこれが初めてだと思う。中二ぽい「来た!」という感じ。半分オールドレンズの域にいるFA Limitedをデジタル対応で超えて来るんだろうか。寄れるということはDA 15mm Limitedの上位互換になりそう。こちらは持っていて空を撮るのに重宝してたので、今回公開された21mmに目が釘付けになったのだった。ほか二本のレンズと、APS-Cの次期フラッグシップ機の紹介。あー。次にカメラボディを新調するときはフルサイズと決めているものの、写真を仕事に活かせたらという思いがあり、それならユーザーの多いキヤノンかニコン、あるいは高級高性能のソニーが着地点かなーと思っていた。ペンタックスにもフルサイズのデジイチはあるから、そちらを選べばいまのレンズ資産は活用できるのだけれど……ペンタックスでこの先やっていけるかどうか、確信が持てないのだよね。

新しく組んだ自作PCは動きがきびきびしてる。Core i9-9900KにGeForce RTX 2070 SUPERとメモリをたらふく積んだところ、Lightroomはストレスなく操作できるようになった。OSやソフトウェアを置くCドライブにIntel SSD DC P4511 1TBという頑丈なM.2タイプのSSDを組み込んだから、この部分は少なくとも十年くらい元気なまま機能してほしい。このパソコンでものをつくっていこう。パーツの分割払いもしっかりな。

2020年5月18日(月)

曇りがちの蒸す日。スチルのためにシネマを知る必要があるんだろうかと考えていた。目当ての分野はカラーグレーディングというそう。路傍にムラサキツユクサがわっさと花を咲かせているのを見かけた。明け方か雨の日に撮りたい。花撮りもいいけれど、そのへんの風景からもっと概念や観点を汲み出せたらと思う。

2020年5月19日(火)

これまで言葉に直すことを避けてきたけれど、僕は他者の感情に敏感なせいで要らない苦労をしているな……。感情の制御が利きづらい精神の構造をしていることもあって消耗しやすい。と言っても他者との境界が溶けるような感じではなく、あくまで別々の感情として、おおむね独り相撲をしている状態。

ふと思い出した。2017年9月のちくまの『心へ飛び込んでくる世界』に、栂嶺レイという方が自身の「自我が完全に崩壊してしまった経験」について書かれていた。「私はまるっきり霊感を信じてはいないが、外界との境界を失った心が、普段は気づかないごく微細な光景の違いを何か感じ取るのである。」とのこと。高野山の墓石の造形一つ一つから死者に対する残された者の叫びを感じ取ったり、だれもいない山中の里山でそこに加えられてきた人の意思に気分が悪くなってしまったり。面白い体験や出会いもあったそうで、そのなかで熊野という土地に親しみ、本を書くようになった……というのが『誰も知らない熊野の遺産』(ちくま新書)という本を紹介したその記事だった。積読になってる。導入が長かったけれど、これほどまでに外の世界に影響されてしまう体験というのもあるのかと驚いたのだった。

感情の制御権を自分が持つことは僕の人生の課題なのだろうなー。オンラインにありがちな、敵意や憎悪を直接こちらへねじ込んでなにかさせようとする言動に対しては、わりとすんなりと距離を取れるというか、いい加減に対処できる。真に受けて後を引きずるのは、どうでもいいとか気に入らないとかの、日常にありふれた小さな段差や、投げっぱなしな負の感情。そういうものに僕は足を取られやすい。こちらに向けられているわけではなくても受け止めてしまいがち。意気込みだけじゃ変われないと思って認知療法の考えを取り入れたりもしているものの、これは実践が肝心なので、実際に場数を踏む必要がありそう。「多くの人にとって自分自身の言動は当たり前のことなのだから、そうしたそれぞれのありようを理解しよう」っていう考え方は、そうなる予定はあるけれど、いまは仏のように思える……。感情のことを書いてると吐き出す気持ちよさが簡単に独りよがりになっていくのを感じる。こうした対策もいいけれど、対処するような状況に陥らないことのほうが大切で、機嫌よくいられるときって仏でしょ、ということ。

2020年5月20日(水)

寒い日。いまの気温は10度を割ってる。

2020年5月21日(木)

今日も寒い。道の駅の産直が復活しているとか。

2020年5月22日(金)

道の駅の産直へ。歩道の中に設けられているささやかな緩衝地帯としての芝生に、赤と白のニワゼキショウや黄色いカタバミが満開となっていた。ここには初夏にかけて、ネジバナの群落も現れる。ネジバナのほうは芝生が伸びるとまとめて刈られてる。こういうものに注意を払う人はあまりいないのだろうけれど、ここへ来れば特色ある小さな草花を確実に見つけ出せるから、個人的にはきのこでいうシロ(発生ポイント)扱いをしてる。ただ、なにもなさそうな道端にしゃがみ込む熱心な人というのは、他の人から見ると意味が分からないね。日本のネジバナには花期が初夏と秋で異なる二種類のタイプがあるそう。そうした報告を束ねるハッシュタグ #ネジバナリレー #ねじばなネットワーク がTwitterにあると知り、咲いていれば写真に撮ろうという下心もあって訪れたのだった。それから、バイオームという自然の生き物の図鑑をつくるアプリを知ったので、知っている植物たちをリストに加えようという思惑もあった…のだけれど。これは撮った写真に位置情報の付いていることが必要で、うっかりその設定を切ったスマホで撮っていた。急ぐものではないからまた追々。営業を再開した産直の様子は普段通り。出入り口付近にはナスやバジルなど、菜園御用達な苗が並んでいた。野菜を作る祖父がいないと、こうした苗には少し距離が開くなあ。

それから果物市場へ立ち寄ると、気の早い桃やぶどう、メロンにスイカなどが並んでいた。袋詰めの小梅も置かれてる。茨城産のスイカは都市圏に近く土質が良いとかで、このへんではわりと定番の産地。春先は果物のバリエーションの少なさが惜しいものだけれど、しばらく見ないうちに世の中は移ろっていき、売り場に並ぶものも品定めする人も賑わいが出てきていた。うん、よいことだ。これからの季節、青果売り場の芳醇な香りが好きなのだよね。

雨が降る。祖父と一緒に収穫した枇杷を漬けた果実酒が、もうそろそろ一年経つ。今年の一月ごろになんとなく禁酒を始めたら現在まで続いてしまっており、自制できる自信があればちびちびやるんだけれどなあ、みたいに思う。禁酒はあくまで自分ルールなんだから、酒の味見も緩い裁量でやればいいと思うよ。大叔父のどちらかに持って行けば相手してもらえるかもね。

2020年5月23日(土)

明け方までラジアンFを聴き、起きたら昼過ぎになっていた。夕刻より雨。録画のベニシアさんを観る。物忘れが増えたとのことで、細くなられたなあ。かえるの声は盛りを過ぎつつある。ゆっくりと春が終わっていく。

2020年5月24日(日)

穏やかなる日。網戸から風がゆるりと抜けていく。youtubeで機動戦士ガンダムF91という作品を観ていた。ガンダム作品に触れるのはこれが初めてのような。んー、地球はなにかの理由で住みにくい場所になっており、近傍宇宙への移住が進んでいる、という前提がたぶんシリーズ全体にあるお話ぽい。人らしさと機械じみた、が対照的に見えた。パン屋のお嬢さんは成り行きにすんなり順応していくけれど、抗わないのだろうか。小惑星らしきものを資源にして宇宙空間にコロニーを建造できるということは、もっと人間向きの条件がある場所、例えばほかの惑星表面やそれらの衛星圏にも、地球を離れて自律した居住エリアが広がっていたり……するのかもしれない。それとも、未来の人類はモビルスーツといった有用なテクノロジーを手にしながら、地球の周りでああした諍いを繰り返しているんだろうか。本来ならそうしたことを制御する立ち位置なはずの連邦政府というのがなんかダメそう、というのは伝わってきた。

明日は歯医者の予約が入ってる。緊急事態宣言が出され自粛の嵐が吹き荒れた四月半ばに、一度この予約を先延ばしにしたのだよね。感染の拡大を食い止めるために協力することは妥当な判断だったと信じるけれど、自分の小さな虫歯はこのあたりで治療されるがよかろう。

2020年5月25日(月)

自作PCへのデータ移行も済んだから、筐体を据え置くついでに部屋じゅう掃除したり、ケーブル類を束ねたりした。お嬢様の巻き髪みたいなあれ(名称がわからない)でDisplayPortや電源ケーブルなどを束ね、くるくると覆う。乱雑だったものが単純になる気持ちよさ。検索したらスパイラルチューブというそう。古いマシンのウィンドウを閉じて電源を切る際に、別れのようなさみしさを弱く感じた。『ムーミンパパ海へ行く』で、島での生活が始まり砂浜の高いところへ移動させられた冒険号に対し、ムーミントロールが「かわいそうに、でもボートは眠っているのかもしれない、それに漁に出る日はあるだろうし」と思う場面がある。あんな感じ。自分は情がわいたのかもしんない。あの古いマシンを引っ張り出す機会はあるだろね。

きょうはただ、生きていることに感動していた気がする。開闢以来、果てしない未来へ向かって暗く冷えていくだろうこの宇宙にいま溢れる、相対的にはほんのひとときに過ぎない恒星の光のさざめきや生命の生み出すしわぶきが、そうしたものを実現可能な諸要件を備えたこの時空に鳴り響く、祝福の鐘か鈴の音のように感じられるのだった。命というものは、うねる岩の混沌からひとりでに発生するもので、在りようそれ自体に聖性を宿すように思う。触れて感じることのできる彩りあるものごとを、ちょうどよい時代に存在しながら受け取る幸運が、おそらくはかなくいずれ消えていくものだとしても、ここにいる一個体としてこの移ろいゆく様子を、夜が明け日が沈むときと同じように満ち足りて見ていたい。

すいかずらの’グラハムトーマス’のつぼみはいい感じに成長してる。今朝は目覚ましがなにか鳴らず、寝過ごした。歯科の予約はまたね。

2020年5月26日(火)

午後より雨。気候はもう初夏に踏み入れており、天気がいい日の午後にはこうして夕立が通りすがるようになってる。雨脚が遠のく宵のころって、夕立のしっぽのようなものが有機的な闇の向こうをずるずると這って行くみたいで、なんというか辺りがうら寂しい密林に思える。

以前ここに書いた『スプリガン』を読み終えた。オカルトネタの飽和ぶりがすごい。理念のためにあえて守護に回る人って、言い切ってしまえば簡単なのは分かっているけれど、格好いいなあ。優の父親が神秘を追い求める冒険者であったり、師匠の朧が求道心のために他者を犠牲にしたりするのとは対照的だよね。自分も欲で駆動する性質が強く、そうとは思わないままに周りの人たちの盾の内側にいることへの後ろめたさを感じる。感謝していこうな。そして、ボー・ブランシェがああなってしまってやり切れない。脳筋のネオナチであることを除けば(それでほとんどだ)暑苦しくていいやつなのに……最後まで哄笑していてほしかった人物だ。登場したころはこの人ズレてる枠かなと思って読んでいたけれど、それでいてブレることは一切なく、終盤すごい化けた。検索したら「気高い差別心」「ベジータ理論」とか評されていて笑う。

漫画サイトaluでスプリガンと同時に薦められた『パンプキン・シザーズ』も古本で手元にあるんだけれど、こちらにはちょっと嗜虐性を煽るところがあり、そういうのが苦痛に感じられたので、読むのをやめた。aluにはほかに『プラネテス』を挙げてもらったような。いずれ。残酷描写の閾値って僕の場合はどのへんにあるんだろう。ヘルシングくらいだとなんか大丈夫。その場面に必要があるか無いかをこちらで取捨してるんだろうか。

2020年5月27日(水)

昼下がりに通り雨。蚊取り線香を焚いてる。

2020年5月28日(木)

三月は蛍光灯 / 四月はろうそく / 五月はクリア電球 / 六月は月明りと常夜灯 / 七月は自動販売機 / 八月は紫電 / 九月は街灯 / 十月は西日 / 十一月は東の空 / 十二月は玄関照明 / 一月は焚火 / 二月は朧夜

月ごとに夜の光源にはどんなイメージがあるか、というのを温めていたのがこれ。二月の光源は、夜縛りでなければ午前の日差しかなあ。

2020年5月29日(金)

昼過ぎの八溝山地から雨雲が湧き出していた。五月はまだ終わっていないのに、空は一足早く夏になってる。そろそろ梅雨前線が九州にかかってくる頃とのことで、平年並みなら関東もあと一週間かもう少し、といったところ。聴く曲が春のものから移動し始めた。それから、布団やぬいぐるみのダニが気になったため、布団乾燥機を動かして殲滅している最中。週末はどのみち深夜ラジオを聴くために起きてることだし、夜中まで続けて一度に終わらせてしまおう。唇は若干荒れ気味。

2020年5月30日(土)

以前撮った写真のうち、デジタル現像していなかったRAWファイルを編集していた。保存用HDDを漁ると掘り出し物がちらほら出てくるからありがたい。あした大叔父に電話する予定。それで会えたらちょっと話を聞いてもらえたら、と思ってる。

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