2018年12月1日(土)
来週に鍋会の予定が立った。
カブの給油をしているそばでクロスカブのオーナーな従業員さんと少し会話。バイク乗りというのはこんなふうに情報交換してるんだなー。
来週に鍋会の予定が立った。
カブの給油をしているそばでクロスカブのオーナーな従業員さんと少し会話。バイク乗りというのはこんなふうに情報交換してるんだなー。
午前に市街の公園へ立ち寄った理由は、ポケモンGoでストライクの巣なのを思い出し、進化形ハッサムの強化を済ませたかったからだった。コミュニティ・デイというやつなのか、あれーと思うほどのトレーナーが集い、公園の外周をわらわらとたむろっていた。一箇所に花吹雪が舞っているのを見つけて僕もルアーモジュールを差す。周辺域のポケストにも刺す人が続々と現れ、昼過ぎに掛けてじわじわと公園の人口密度が上がっていった。なんだかポケモンGoがリリースされたころのようだったなあ。二、三時間のウォーキングで、これまで手の掛かっていたデンリュウ/バンギラス/カイリューをやっと図鑑に登録した。肝心なストライクというかハッサム用のアメはあと二十個ほど欲しかったなー、というところ。折を見てまた集めよう。
それから、冬恒例の地域のたい焼き屋が開店しているのを見かけた。
マップカメラへ下取りに出した77mm F1.8 AL Limitedは、わりあい素早くポイントに変換された。現金よりも10%増しだ。そのポイントを注ぎ込んで31mmの中古品を注文し、近く手元に来る予定となった。
なんか胃の調子がよろしくないなー。
今年最後の歯の診療を済ませた。暖かく湿っぽく、肥やしのにおいがどこからとなく流れてくる日。暮れ頃のウォーキングで小雨がぱらついた。
31mmが届いた。外せないフードを守るためにステップアップリングを二つ重ねて、マルミのC-PLフィルターを装着。ちょっと撮ってみた感じでは、エッジが効いている今風のレンズと違って甘いところはあるみたいだ、という感想を持った。20-40mmの代わりとなる単焦点をと思って手に入れた今回の31mmは、流石に画角は自分に合っていそうだから、あとで日の下で弄ろう。
夜になり、歩いたり走ったり。
トーベ・ヤンソン『少女ソフィアの夏』は今後、幾たびも読み返す本になりそうだ。歳の差七十歳の少女とおばあさんの交流を描いたもので、夏の長期休暇を家族水入らずの孤島で過ごす、という構成になっている。思いのままに振る舞い、時には衝突もして、相手の自由を尊重することが、こんなに年の離れたふたりのあいだで成立していて、麗しい。
高校生のころから使っていた電気ポットがコードを断線したため、代わりのものを購入してきた。
大気の急な寒さを感じてる。tenki.jpの予報には多少誇張があるものだけれど、来週に雪やみぞれのマークが出た。柚の実を霜焼けしないうちに収穫しておいて保存処理をした方が良さそう。
そういえば昨日今日と、高原山を中心とした山々の頂を、雪煙が防波堤に遮られるかのように覆っていた。
市街の古くからある園芸店にふらっと入る。和物を中心に、君子蘭や老爺柿などの上級者向け植物が展示されており、いずれも半ば色あせた園芸札が結わえられていた。足繁く通うことはないかも知れないけれど、うらぶれた雰囲気と温室の空気を吸えたことは収穫になりそうだ。
トーベ・ヤンソン『彫刻家の娘』と武田百合子『犬が星見た ロシア旅行』をそれぞれ中古本で作者買い。ムーミンコミックスとトーベ・ヤンソン・コレクションではどちらを先に揃えたものか。
祖父の自然薯掘りを手伝って僕も二本貰う。今年は去年に比べて、実りがかなり多かった。
マフラーをしていると静電気が溜まることを思い出した。指先から日がなぱちぱち。コインランドリーで乾かしてきたふかふかの毛布を今宵から使う。
未明までに初雪が降り、日が出てもしばらく溶け残っていた。
クリスマスの少し前にムーミンコミックスが届く手はず。
抗がん剤の投与が済んだであろう叔父に、本の差し入れでも持っていったものかと思案中。今晩がふたご座流星群の本命なのだけれど、夕時には雲量5くらいの雲が空に掛かっていて、今はやっと月が見える程度だ。一眠りして夜にまた見てみる。
ふたご座流星群は、14日の未明に見たものが最も良く流星を見られた、という結果になった。見えるときに見るべし。
抗がん剤の投与を続けている叔父の見舞いへ。午前中に来院するも面会は午後からという。少し用事を済ませることにして、スーパーあさのが営業を再開して賑わっているのを覗いたり、コメダ珈琲で時間を潰したりした。あさのでは、目当ての干し柿がお手頃から化粧箱入りまで豊富に揃っており、市田柿とあんぽ柿を見繕う。市田柿の良いところは析出した果糖で柿が宝石のように見えるところだ。白くさらさらした粉が舌に触れるそばからすっ、とひんやり溶けていく。僕は黒糖のようにかちかちで真っ黒なのも、蜜を湛えて崩れそうな干し柿も同じくらいに好きだ。店の前にはみかんの箱売り、量り売りに人だかりが出来ており、なかなかに活気があった。コメダ珈琲で歳時記を黙々と読み、時間を調節してやっと叔父の個室へ。叔父は読む本は(物語のある)歴史物でなければ駄目なんだと言い、僕の持っていった本(ちくま12月号/現代俳句歳時記 冬/垢石釣り随筆)はお払い箱になった。そのほか、心細さあるいは歓迎の現れなのか、あれこれと小言をお見舞いされ、そんな元気があるんならまだ大丈夫そうだ、という判断をこちらで下した。長話は疲れるからと言われ、そこそこの面会で帰ることにし、帰着。佐藤垢石の随筆を持っていったのはまた一緒に釣りをしたい、という含みもあったのだけれど、それどころじゃ無さそうではあった。
年末の実感が薄い。
最近写真撮りをしていないなあ。
『楽しいムーミン一家』を読みたい気配。
原付に乗っていて老夫婦の車にぶつけられた。直進する道で、無理に右折しようとする対向車に巻き込まれたもの。その場の話し合いで済むようなものだったのだけれど、ああいうとっさの態度には人柄が出るようでげんなりする。男性の「(車のボディは)交換すると高いんだよね」とか「俺が泣く(泣き寝入りする)よ」とか、こちらを気遣う前から牽制するようなふるまい。思い出したらむっとしてきた。
今年も年末寒波の予報が目に入り始めた。二十七、八日くらいに一段と冷え込むそう。
焼却センターに粗大ごみを出してきたり、ブックオフで古本を見繕ったり、ゆず湯に入ったり。
いつか欲しいとここで書き付けていた、ムーミン・コミックス全14巻セットが届いた。少し早いけれどクリスマスの自分への贈りもの。読むのが待ち遠しい。
特別なにも祝わずに過ぎ去りし日。ムーミンのコミックスをじわじわと読んでいるところ。明朝は冷える予報。
四月末くらいのにぎやかな宵を想像すると身体がくつろぐ。それはそれとして「現代俳句歳時記 冬」を読んでいる。冬の季語にはじんわりと広がる味わいがあって良いね。
今年最後のごみ出しおしまい。気象予報で今年も年末寒波が来ると言っていた。一年いっぱいを喪に服すと決めているけれど、なにも祝わない正月ってどんなんだろうか。
市街を見下ろせる丘でしばし夜景を眺める。当分はここで暮らしていくのかもなとか、こうして年の暮かーとか、この夜景は変わらないなあとか、ほんの少し感慨に触れた。また来る頃には桜など咲いて、もっと暖かくなっていることだろう。
この一年で身に付けた習慣に長湯がある。湯船に浸かりながらラジオを聴いたりネットを見たりして、三十分とか一時間くらいをまったり過ごすようになった。風呂でラジオは去年の五月くらいから続けていたもので、スマホを防水仕様の機種に変えてからというもの、長湯に拍車が掛かった。自分を癒す手段としてお風呂は優秀だと思ってる。
今夜は雪が降るかも、という予報を目にした。五、六年前のダージリンなんかを見つけたし、味覚が冴える雪の晩にお茶を淹れたい。
積もることなく路面を濡らす程度の粉雪が、間断なく降りしきる日だった。明日いっぱい低温注意報が出てる。
今年は猫と祖母を喪い、生活の感覚がじわじわと変わった年だった。去年からの禁煙が功を奏したらしく、体温や睡眠といった身体の状態は改善されたように思う。
昼下がりのスーパーはなかなかの人出だった。年越し蕎麦を食べて紅白など観よう。