2018年6月1日(金)
食が細くなり眠ることの多い猫を診てもらうため動物病院へ。発熱と腹部に溜まった液体があるとのことで、解熱剤と点滴を猫に打ってもらい、明日また来て様子を見ることとなった。三月の手術以降、腫瘍が転移しているだろうしいずれこうなると分かってはいたけれど、今さらになって口から出る言葉が重くなる。
この週末に第8回APOLLOというオンライン音楽祭りがあって、僕は聴くほうで参加するつもり。うまく耳に合うアルバムを掘り出せたら一年くらい生きて行ける。
食が細くなり眠ることの多い猫を診てもらうため動物病院へ。発熱と腹部に溜まった液体があるとのことで、解熱剤と点滴を猫に打ってもらい、明日また来て様子を見ることとなった。三月の手術以降、腫瘍が転移しているだろうしいずれこうなると分かってはいたけれど、今さらになって口から出る言葉が重くなる。
この週末に第8回APOLLOというオンライン音楽祭りがあって、僕は聴くほうで参加するつもり。うまく耳に合うアルバムを掘り出せたら一年くらい生きて行ける。
明日くらいから曇りや雨の日が増えるのではないだろうか。初夏の陽差しここまで。
猫は毛皮越しに見ても痩せてきた。食事の量は減り、腹の呼吸が浅いことが見て取れる。なんていうのだろう、もう少しだなあ。
PENTAX F1.8 77mm Limitedを手に入れた。ずっしりと重くて、これは硝材のかたまりだなあ。
関東も一昨日に梅雨入り。週明けに台風が来るとか。それと昨日から、朝夕のウォーキングを再開してる。
これ行くといいよーとフライヤーを頂いていた半野外のジャズコンサートへ。場所は明治期の著名人の邸宅、午後二時からおおよそ二時間の演目だった。陽差しは明るい緑色をして会場に眩く降り注ぎ、風が吹けばなにかはらはらと実らしきものが舞うその光景は、初夏の情緒となってまなこに焼き付いた。生の音楽っていいね。
企業のサービスやその便利さに依存しない、クラシックなウェブを継承したいなあという思いがある。このことは書かないと伝わらないし、まとめて記事にしたほうが読まれるのだよね、たぶん。
猫が月曜からの便秘気味。腹水が溜まっているにも関わらず水はよく飲むし出すから、食べもので改善できないかと検索した末、さつまいもの吹かしたのをレトルトに混ぜることにした。芋類を猫に与えることは初めてだ。かつお節も多めで練り込むことによりなんとか食べてくれている。なんかなあ、楽に過ごして欲しいのだよなあ。
明日は一日掛けて台風が関東を接近/通過する予報。正直に言うとその雨の音と匂いに期待してる。
手帳を使い出した去年秋くらいから、漢字を引くために『三省堂ポケット国語辞典』を使ってる。元はと言えば日々の忘却から逃れるため、走り書きらしきものを紙媒体に書き付けるようになった。そこでじわじわと感じたことは「日ごろデバイスを相手にしているせいで漢字を(かなり)忘れている」ということだった。
高校生の時分には長岡書店編集部『漢字小辞典』を重宝していた記憶がある。これは手のひらサイズなため、ポケットや通学かばんに放り込んでおけたから、ノート取りの最中に漢字をど忘れしたときなど、しょっちゅう参考にしていた。
それで今は手帳とポケット小辞典を近くに置いておき、できるだけ小まめに熟語を引いているのだった。スマホで分かるにも関わらず紙媒体に頼る理由は、あんまり強度がないけれど、物理的な動作によって自分の行いを自分に説得している、節はあるかなあ。
猫は今朝になって便を出した。これは昨日のさつまいもめしが功を奏したのか、食物繊維の多いフードにしたためか、時系列的に判断がつきかねる。これらをもう少し継続して与えてみる。
日暮れ時の散歩っていいね。
んー。日に一時間程度の散歩が楽しいかも知れない。あぜ道を辿りつつ見た今夕の空など、満ち足りたさみしさとでも言おうか、ずいぶん美しかった。運動の良いところはもしかして、この気分的に満たされた感覚にあるのではないだろうか。オフロもすぐに入れるようにしておくともう、一日の締めは
万端整った感じだ。
暮れ時の空をもっと見たい。なればこそこの習慣は可能なあいだ続けたいなあ。
水中にいるような大気。
友達の家を掃除して回る寿司を奢ってもらった。
「内向的なことに耽るとき、夜明けが遠くあって欲しい。」なるメモがEvernoteに残っていた。
昨日朝に近畿地方で最大震度6弱。災害の様相を呈しているし、困ったことはこれから増えるのだろう。外野は慌てないことが大切だと思うようになってる。
祖父宅で庭仕事の手伝いをしていたところ、叔父から本をもらった。佐々木譲『武揚伝 決定版 上・中・下』(中央公論新社)という、一冊あたりふつうの文庫の二倍も厚みがありそうな歴史物を、三冊。僕は歴史が得意ではないのだけれどなー。でも、先方では何か思惑などあるのかも知れない。読みたいときに読もう……。叔父は手の爪と指の肉質が剥離したさまを僕に見せながら、抗がん剤でこうなってると言った。
やせ細っていく猫サキの、今日は満12歳の誕生日だった。食が細くなっているため、鮭や小アジの焼いたのや、マグロの切り落としに火を通したのをほぐして与えるのだけれど、サキは二口三口を食べると「もういい」というそぶりをしてそっぽを向いてしまう。ちゅーるは食傷気味の様子だ。
動物病院の先生が仰った最初の目標が、五月の予防接種まで生き延びることだった(投薬や外科的な手術無しでの)。だから、カレンダーを見ればサキが頑張っていることは分かる。付き従う人間はもう、おいしそうな真新しい食材を持ち寄ってなんとか食べてもらって、喉を鳴らしてくれるように撫でて、苦痛の少ない状態でより生存してもらうことを願うのみだよ。
このごろ聴きたいCDのリスト。
それから、いま使っているJVC HA-FX700というイヤホンの接触が駄目になってきてる。イヤホン貯金することに決めた。
夏至。夕暮れに散歩する習慣を付けているところ。空が桃色と黄に染まり、暗くなっていくのを眺めていた。
庭に堆肥を鋤き込むなどして、夕顔とアーティチョークの発芽していた苗を定植した。例年のようにちんたらと植え替えをしているなあ。夕顔は闇に花の香るのが待ち遠しく、アーティチョークは来年以降に食べられるはずのつぼみに期待してる。
数日前から、夕方に鳴く虫の声が切れ切れに耳へ届くようになった。にいにい蝉の初鳴きも聞いてる。
断片的に、いなくなってしまったひとの話をすることがある。曰く「~のおばちゃんにはいろんなことを教わらないまま、逝ってしまったねえ」というような。かぶと虫やきのこを採るといった山の歩き方なんかの、そういう土地っ子のフレーバーを継承できなくて、静かに残念に思う。それはどうしようもない。
祖母、叔父、猫と、今の周囲には死の陰が濃い。そのわりには自分が微妙に鈍感になっているというか、日常感が感覚の表層を覆っているというか。
散歩コースを延長して、歩きでの一時間強を確保した。身体の動きが熟れてくる三十分経過くらいからわけもなく走りたくなる。感情が昇華される感覚があって楽だ。
放っておくと一週間があっという間だなあ。今日、関東甲信で梅雨明けした。散歩もそれなりに続いてる。
サキは生存していて、いよいよ食事が喉を通ったり通らなかったり、黄疸なのか耳の内側が黄色みを帯びてきたりというところ。