2019年4月27日(土)

日がな颪のごとき強風。冷たい。

ルピシアのお茶に一つ、間違えて梱包されていた品があった。本来の茶葉と交換できます? という旨のメールを送ると、それは取り置いて下さい、元の品を送付します、という感じの返事が来た。前から思っていたことだけれど、この企業はイメージとしての梱包に関してはふとっぱらだなー。

風に駈られた雲がひたむきな生命のように夜空を行くのが見えました。

天を別つ光の河が雲や地上を照らし出し、目が慣れてくるに従って、夜空は数限りない星々を湛えてざんざんと輝くのでした。

彼女はテントのそばに腰を下ろして星と雲とを眺めていました。風と砂の奔流が引っ切り無しにテントのすそを煽り、夜の雲たちはその流れに乗って、果てしない沙漠の空をがろんがろんと転がっていきました。

一刻ほど経ったでしょうか、彼女はうつらうつらと微睡むうち、辺りに夜露が降ったのを感じて、ぶるっと身震いしました。そうして彼女はざらつく砂を払うと、よろけるように、炭とお茶の匂いが立ちこめるテントの中へ戻っていったのでした。

種子島新茶である松寿の生仕上げ、これはなんつう旨さだろ。ゆたかみどりも大概うま味を持つけれど、これは水分の含有量の多いのが功を奏しているのか、生々しいうま味といったところ。

2019年4月23日(火)

ルピシアだよりに添付されていたダージリン春摘みの案内チラシに、青みという表現が入っている茶葉を見つけた。グームティー農園のものがそれ。

2019年4月22日(月)

友達の前でアイスボックス(サイダー味)を食べていたところ「そういうシンプルなもの好きだよなー」と言われた。そうかも。彼の飼い猫は以前より一回り痩せていて、身体に痛がる場所があるとのことだった。

2019年4月21日(日)

今年もおひとりさまで山菜採りへ。目的地の山道は修復されておらず、僕が一番乗りだった。大ぶりなたらの芽が一気に採れるところや、野性の山椒が生えている場所も記憶していたから、わりと効率よくその一帯を周回。去年は四月十六日に採集してちょうどよいタイミングだったけれど、あれは旬の到来が早かったんだなー。コシアブラに関しては今年はもっと遅くて良いくらいだ。

たけのこと野蒜を掘るつもりで、産直で買った草餅を手土産に祖父のところへ立ち寄る。餅とお茶で一服してからあれこれ掘っていると、祖父が山の中で使えと言って、油を差した折りたたみ式のこぎりをくれた。

帰り際、世話になっている美容師さんのお宅に山菜のお裾分けを置いていく。あとから真面目な低い声でお礼の電話が来た。

たらの芽の天ぷらは明日作ることにして、たけのこのバター炒めを食す。

2019年4月20日(土)

春の宵。ほうほうとフクロウだかミミズク系の謎の声が聞こえる。姿は見えないけれど、そういう鳥がこの辺りにいるんだなー。

植え付けてある二種類のアーティチョークがロゼット状態から立ち上がってきた。紫色の葉を持つものと白いうぶ毛を持つものの二つあり、なんかどちらもお互いに姿が似ていないなーと感じてる。ていうか大丈夫か。手間暇かけた畝が何年かのあいだ占有されてしまう上に、よく育てばひとの背を越えるアザミだぞー。それとはあまり関係のないところで、去年駄目にしたと思っていたわけぎがアーティチョークの株元から再生しつつある。もうちょっと増やせたら定期的に料理の薬味くらいには使えそうだ。

僕には珍しく、今年は朝顔と夜顔をもうポリポットに蒔いた。まだ夜間に霜注意報が出る外気温だけれど、芒種の前にそれなりな大きさの苗を植え付けられるはず。上手く行けば七月中に夜顔の真っ白い花を見ることが出来るかもと算段してる。

ごほうびなるトマトを初めて食べた。これはいままでにないような爽やかな甘味を持っていて、食べやすいことは食べやすいけれど、僕がトマトに求めている青臭さは全くない。大げさに言えば野菜の中でもすいかやいちご方面の甘さだと思う。

2019年4月19日(金)

春のしるしであるところの雷注意報が出た。いま、蚊取線香を焚いてる。

お茶の味わいにおいて青さと焙煎香って相反する概念なのか。思い至らなかった。ということは単純に考えれば、ただ好きな香りだけ追っていたのでは栗っぽさのあるお茶に出会えないかもしれない、ということになる。ううむ。

昨今の台湾高山茶やダージリンだと、あの草原のごとき青さは時代後れというか、それに取って代わった花の香りに比べて良いものではないよね、とされるそう。マスカテルを淡くしたような青い香りの初体験が2010年の春摘みプッタボン農園DJ-14で、僕にとってのうまいか駄目かの基準がそこで焼き付いているのだけれど、まあ時代後れということで紅茶だの烏龍茶だの探していたんじゃ見づけづらくなっているみたいだ。国産茶のなかにはこれが息づいているのがあり、変わり種として手を伸ばした釜炒り茶の香寿にその青さを見つけた。印雑131という品種の系統を辿ればなにか収穫があるかもと思う。

病院三件と市役所をハシゴした。新しくなった市庁舎の八階にあるらしい展望台を覗いてみることにして、おそらく何年ぶりかでエレベーターに乗る。縦に動くことへの感慨はなかったな……。展望台に着くと北側/南側にそれぞれ外を眺められる窓があり、それは硝子張りなのだが太い鉄筋も何本か通っていたりして、「あーこんな感じなんだー」くらいのゆるい眺望の中に見知っている風景を重ねたりした。

そういえばやはり何年ぶりかで芝生に寝転び読書をしていた。あれは格好が先行しているものだと思っていたけれど、風に吹かれながらの心地よさはあると考えを改めたところ。ただ腕が疲れるよね。

このごろ自分の性格が悪くなっていやしないかと内心で懸念してる。いま懸念て書いたの、もとはましなはずだといううぬぼれかもな……。直接の原因となっている不満の種を自分の思考で分解しなければ。