2019年10月23日(水)

スター・ウォーズのエピソード5を観た。C-3POがチューバッカに修理されて気持ちいいとか言ってるシーンで笑う。対峙する親子の表情がすごいなあ。ベイダー卿に来いとそそのかされたルークが手を放し転落していくシーンで、二人はなにを思ったんだろう。ルークはたぶん怖れと勇気だ。あのおやじさんの邪悪な愛が、この先の物語で報われることはあるのだろうか。あ、フォースの覚醒で黒い兜のどくろを祖父と呼んでいた彼は、ルークの子供か甥? スカイウォーカーの物語ってそういうことかー。いまになって大まかな全体の構造が見えてきた気がする。とすると、ライトセーバーの使い手なレイは系譜のどのへんから来た人なんだろう。思っていたよりヨーダは喋る人だった。

youtubeに最新作の予告編が来ていた。最後にもう一度だけ友人たちに、ってどういう台詞やねんC-3PO。この人物の辛口ぶりとやれやれ感がわりに好きになってきたから、物語のしんがりで力尽きて欲しくはないなあ。

JAXAの超低高度衛星技術試験機「つばめ(SLATS)」が軌道保持運用を全うして、少し前に運用停止のため停波作業をしたという。予定の運用がすべてうまく行けば、後期運用とかいう「どこまでいけるかミッション」に移ると思っていたから、切り上げてもうおしまいというのは意外だった。停波作業というのは、衛星を順調に飛ばして十分なデータが取れた、ということなんだろう。任務としては地味なほうだったけれど、まあつばめは探査機ではないものね。この衛星の名前募集に応募したら採用枠に入っていたということがあり、以来、なんとはなしに近況をチェックしたりしていた。高度200kmへダイヴして希薄な大気を切り裂きながら飛行するそのコンセプトには、海の波を蹴立てて進む船のような印象もあった。そのうち、より深い大気へと沈んでいって、ひとりで燃え尽きるのかなと思う。

2019年10月22日(火)

雨上がり。YouTubeで即位礼正殿の儀を見た。都内のどこだかに虹が出た、という話がTwitterにちらほら。富士山に今季初冠雪。

思い出したため書いておく。土曜に祖父とだらだらしていた折、なんとなく「火曜は皇室の儀式だねえ」と話題を振ると、祖父は「天皇は気に入らないんだ」と話した。87歳になる彼は、第二次大戦の終わりに小学二年生(10歳くらい)だったという。戦中は登校するたびに、学校にあった当時の陛下の写真へお辞儀をしたものだとか。それが終戦となり、大人たちが一斉に掌を返したことで、戦争の記憶とその中心にいた天皇へ、不信を含んだ負の感情が刻まれたのではないだろうか。僕自身は皇室や天皇制に特に思い入れも抵抗もなく、きょうの儀式には「令和の陛下だねえ、頑張ってね」くらいの思いでいる。

こういう祖父の記憶は、祖母や彼らの長男だった叔父がいないいま、近くにいる僕が幾らかでも聞きだして継承しておかないとね。うちの母は祖父とわだかまりを抱えているし、僕の兄弟やいとこたちは全くの無関心だもの。

SMAPの『夜空ノムコウ』がNHKラジオ第1から流れてくる。障害を抱えてなかなか先が見えないなりに、これからの時代をうまく生きていけたらよいなあ。

それから『ヒマワリ』目当てでBeForUを落札し届いた。ら、『LOVE SHINE』が同じアルバムに入っていた。ベースは音ゲーらしいしこういうこともあるかと思うのだけれど、このあたり微妙にケモノ界のテイストがする。

2019年10月21日(月)

きのうラグビーの中継とエピソード4を観ていた。

「おいお姫さんよ、一つだけはっきりさせとこうじゃねえか。俺に命令できるのは俺しかいねえんだ」
「よくいままで生きてたわね。このむさ苦しい歩くじゅうたん、邪魔でしょうがないわ」
「こりゃ幾らもらっても合わねえや」
──スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望

上の台詞回しに笑ってしまった。たまたま『フォースの覚醒』を先に観ていたことで、レイア姫とハン・ソロのそのあとの展開を知っているんだもの。出会いは最悪だなー。R2-D2に対するC-3POの態度は時代劇かなにかの古女房じみていて、「なんであたしはいつもお前さんを助けちまうんだろ」というぼやきがツボに入った。このふたりはたぶんこの先もそういう関係に違いない。ていうかこれまでもそうだったのか。

明日は即位礼正殿の儀が執り行われ、天気は雨との予報。個人的に、170を超える政府/地域/機関の代表が一つの儀式に集まる機会はそう多くないことだろうから、それが面白いなーと思う。

2019年10月20日(日)

なんかまともな書式のメールを書いてしまった。えらいから今日はこれであがりにしてよくないか。これからNHK総合にて、ラグビーの準々決勝/日本対南アフリカ戦を観るつもり。

2019年10月19日(土)

ラジアンFにて夜更かしののち、午後より祖父宅の天屋から古い家具などを運び出した。祖父が後で燃やすとのこと。明治のころからあったかもという唐箕(とうみ、風力で穀物を選別する道具)については、地元の郷土史館なんかなら歴史の資料としてまだ役に立つのではと僕は口を出したのだけれど、これもきょう解体したから明日には灰になっていると思う。唐箕はたいていの農家にあるという。

僕はこの世が地獄だとは思わない。

2019年10月18日(金)

予約を取っていた耳鼻科にて、アレルギー性鼻炎のレーザー治療を受けた。事前に体温と血圧の測定があり、血圧がやや高めというありがたくない話から入る。麻酔薬を染み込ませた妙に長い棒を両の鼻へ差し込まれ、麻酔が浸透するまで五分ほど待つ。うちの猫の耳に指を突っ込んでいたときにも思ったことだけれど、ここまで入ってしまって大丈夫なんだろうか、脳もあるのに。それからレーザーを通すファイバーらしきもので、鼻腔の中程(だったか)にある下鼻甲介粘膜、なる部位を焼灼された。ここはにおいを感じるわけではなく、僕の場合はアレルギー物質に反応して腫れぼったくなり、鼻づまりを起こすところだ。そこを浅く焼くとしばらくのあいだアレルギーを起こしづらくなる、というのがこの治療。施術中の医師から「鼻で息してていいですよ~」と言われてそうしていると、自分の肉が焼ける臭いはまあどうしたって感じる。鉄板の上で動物の肉を焼く香ばしいにおいではなく、髪などのタンパク質が焦げるときのあの臭いだった。麻酔が効いているためか熱さや痛みはほとんど感じないものの、レーザーを照射される毎に鼻の奥が微妙に変容している感覚がある。焼灼の途中経過をごく細い内視鏡でモニター越しに見せてもらう。うっ、レーザーに焼かれた部位が集まったクレーターみたいにぼつぼつと変質してる。これを見るのはあんまり楽しくない。手術は続けられ、この診察椅子に座ってから十分も経っただろうか、という素早さで一通りの施術が終わった。二週間後にまた様子を見るから来院してね、という説明を受け、治療費は事前に聞いていた通り保険の適用内で約九千円。レーザーを当てたところは一週間以内に治ります、という話だった。医院を出てから少しだけ洟が出たけれど、これを書いている今はもう、焼かれた鼻の奥になんの違和感もないし、においはきちんと感じるようだし、鼻の通りも現時点では問題ない。数日間は口呼吸で生活なのかなー、なんてのは杞憂だった様子。これまでみたいな服薬や点鼻薬に、当面は頼らなくて済むようになるといいなあ。あんまり関係のないところで、僕が一年半前に受けたIgE抗体のアレルギー検査には、杉やヒノキの花粉などと並んで猫の皮屑へのアレルギーがクラス4という、鼻が詰まったり目が痒いのはこれかーというの分かる結果が並んでいた。うちの猫が身体に消えない爪痕を残していったのかと思うと、笑える。

2019年10月17日(木)

青果店と園芸店に立ち寄ってから美術館へ。なにか目的があるわけでもなく、エミール・ガレなる19世紀に活躍したガラス工芸家の作品を見た。魔術師との異名を持っていたそう。陶芸のようなかたちの花瓶を透き通るガラスで表現していて、熱して曲げるのかなーということ以外想像が付かず、どんなふうに加工したのか不思議だった。金属を混ぜたり、さらに酸を使ったりと、色や質感は当時の最新の科学を反映したとか。光を通した多様な色使いが美しくて、アール・ヌーヴォーってこういう感じなのかーといまさら知った。ポストカードを一枚購入。『燕文両耳付鶴首花器 つばめたちのひそひそ話』という、泡が立ち上ってくる中につばめたちが寄り添いあっている、華奢な花瓶。このつばめたちは越冬のために南へ行く話をしている……という説明を読んだような。館内の作品を念入りに眺めながら、この時代の科学や芸術はボーナスステージにあったのかなという感じがして、自分がなんとなく創作のベースにしている「科学もちょこっと含むファンタジー世界」の時代観は内燃機関使いたいので産業革命より後が都合いいと思いながらもこのガレという人物の活躍よりは前にしよう、みたいに考えていた。別に創作で現実との整合性を図りたいわけではなかったな……。きょうはポケデジSQ70でそれなりの枚数を撮った。ものの見方とか以前に、自分は楽しいから写真をやっているなあ。

2019年10月16日(水)

朝は寒かった。反射式石油ストーブを出し、やはり物置から持ってきた灯油タンクで給油。夜になったら点けようと思っているうち、冬支度の閑とした侘びしさが近寄ってきた。この静かな冷えがいいんだよね。ついでにコートも取り出した。

十日ほど前にここで金木犀の香りが消えていったと書いたけれど、いまになってまだあちこちで香るじゃんと気が付いてる。

視覚の範囲を拡げて面で知覚していると、頭のリソースが占有されるのか余計なことを考えなくなって安らぎが生まれる、気がする。

浸水して水の引いた物置を祖父と片付けながら、要らないものなどを焚火にしていた。話を聞くと、あの台風の土曜日には僕の想像以上に水が溢れたそう。平地の田はより低い田へ雨水を流し、稲藁が下流にかき集められ、それが祖父宅の近くでせき止められて辺りは冠水した、のだとか。確かに敷地内の壁の付着物は脛の上あたりまであった。

とても眠たい。なぜだかトイデジで撮りたい欲がすこし。