2020年7月14日(火)

写真を撮って加工し文章に使うプロセスって、六次産業というあれだろうか。気象予報を見ると、雨はまだまだ降るけれど、最高気温のほうは今週末からぐっと上がるみたいだ。谷川俊太郎の詩集は寝しなに少しずつ読み進めているところ。力強い言葉というより、明らかな言葉がこちらに流れ込んでくる。この詩集が手元へ来てくれてよかった。月末辺りまでネオワイズ彗星が見ごろ。今年三月に見つかった天体で、明け暮れの低い空にあり徐々に暗くなっていくそう。彗星は珍しいから晴れそうなら狙って見てみたい。いまの時期に方々で見かけるヤブカンゾウは蕾がアスパラのような味らしく、採取できたらよいな。この三年で去っていった祖父母や叔父のことを思い出すにつけ、また話せたらとほんのりさみしく思う。

2020年7月13日(月)

眠たい。透明プラスチックの球体(容器)が届いた。うん、直径17cmは書き込むのに十分な大きさがある、いい感じ。これに油性ペンを使って、空想世界の陸地を線で引くつもり。書き損じは綿棒とアルコールで拭う。頭の中の概要を把握しやすいかたちで書き出して、いずれInkarnateかWonderdraftを使って雰囲気のある地図へ直したい、というのがさしあたってのやりたいこと。気長にやろう。それから、ポケモンGOでサカキと対戦できるようになった。歯が立たない。屋外へ出していたすいかずらはたぶん高温多湿が原因で、葉の裏に黒っぽいカビらしきものが生えるようになった。症状を検索してもいまいち確信の持てる病名を見つけられない。とりあえず、鉢は室内に取り込み、患部となってる一部の葉を取り除いた。湿度の低いところで過ごせば治るのではと思う。株はいまのところ元気。

2020年7月12日(日)

近場にある神社の鎮守の杜を散歩しようと思って出かけ、先に果物市場から回っていると、しばらくしてぼつぼつ雨が降ってきた。西から来た雨雲で、それが通りすがった昼以降には晴れさえもしたのだけれど、気勢をそがれて帰ってきてからはただ床で長いものになっていた。

感受性と表現は別物で両輪だな……。

環境省が公開している植生図をGoogleEarthに導入し直していて、那須で立ち寄ってみたい場所が分類上はコナラ林の中にあるのを確認した。そこだけではなくて、あの地域のほとんどがそうだったけれども。去年採って調理したタマゴタケが美味しかったのだよねえ。いまは遠出ができない代わり、山に入っていくなら問題ないと思われるから、元気があればそのうち出かけたい場所のひとつ。

2020年7月11日(土)

だらだらしてたら一日が過ぎてしまった。眠たい。あしたの予報は曇りのち晴れ、そのへんを少しばかりほっつき歩けたらいいなあ。きょうのところは早々にお布団へ行くがよかろ。

いくつか条件を決めて、大まかな地図を書き出してみてる。七大陸欲しいよねとか、大洋もいくつかとか、これまでの創作の舞台を取り込むうえで活かしたい設定とか。大陸を大雑把に決めたら海嶺と海溝を引いて、プレートの移動から山脈を考えたら、全体として破綻の少ない地図ができあがるのでは。気候はそれ以降に、大気と海流の循環を想定しながら割り振るのがよさそう。ノートに雑な線を引きながら、普通の地図と両半球図のあいだをふらふらと行ったり来たりしているんだけれど、物理的な球に書き込んだほうが理解しやすいかもと思い始めた。プラスチックBOX 球体 クリア 径170mmをお取り寄せ。世界を我が手に。

2020年7月10日(金)

たぶん共感を示すためには、感情を発散させる言動は悪手で、静かに受け入れるか、現実を変える力を実際に振るってみせたほうがいいんだ。それは社会への作用だったり、自分だけが知る決意や祈りのかたちをとるかもしれない。ただ、誰かの苦しみに言及して結果的に消費するだけの行為は、僕は避けたい。心を共にしたいことについて自分なりの指向性を持ち、その範囲から外れる事柄には沈黙しながらも「知っているよ」という立場でいたい。いまのオンラインには過剰な言及がはびこってる。

定期通院先の先生に前週の趣味の内訳を報告したら、あなたは情緒が豊かですねというようなことを言われた。どのへんからそう判断したのか聞けばよかった。言語化するのはいまが初めてになると思うけれど、自分はものを感じる心を衰退させたくなくて、細々と火を灯す感じで、関心領域を身の回りにつなぎ止めてきたつもり。こうしてひとさまからいただく評に、なんとかいまのところは好奇心を維持できてるのかなー、と思う。

2020年7月9日(木)

産直の野菜を買いに道の駅へ立ち寄った。少し前にネジバナを撮ったあたりはいまが花盛りで、花園と表現して遜色のないほどにたくさんのマゼンタの花が、濡れそぼった芝生からつんつんと突き出していた。ここは敷地内でも奥まったところにある緩衝地帯なため、気がついて訪れるものは多くないのだろうなと思われた。おかげで踏まれたり倒されたりせずに、いい感じの園をつくってる。いずれ芝刈りされて消えるんだろうけれど、ネジバナ自体は同じ芝生から毎年出てくるし、施設のあまり知られていない見どころとしていっとき楽しめたらいいか、と思う。

仲野順也さんのbandcampに四番目のアルバム『Inner Voice』が来ていた。それをいま聴いてる。四月ごろにSoundCloudへアップされていた曲たちだ。想像の広がる音と旋律がとてもいいなあ。

2020年7月8日(水)

想像の地図を引きながら地図帳を眺めていると、この地球のランドメイクすげいなってしみじみ感動する。大陸も海も島嶼も程よい割合にあり、しかもそうした脆弱そうなシステムは、内部海ではなく惑星の表面へ剥き出しになったまま、気候や生命の多様さを内包しながら、数十億年ものあいだ維持されてる。変化し続ける地殻というものが、生命の発生とはまた別物なこの星の幸運に思える。パンゲアに感謝しような。

午前中の二時間ほどは豪雨と言ってよいような雨脚だった。昼のNHKR1でアナウンサーと防災の専門家が水害について話すなか「(九州北部で水害が起きた三年前とは)ステージが変わり、日本中に広域被害が起きるようになった。海水温の上昇が基本要因なら今後も続く」と言っていた。ステージが変わったなんて断言するような状況なんだね。同じ梅雨前線がいま長江流域で大雨を降らせてるという話題もちらほら目にする。

シャコバサボテン二つを8号の菊鉢に植え替えた。替え時の四月からは遅くなってしまったけれど、やらないよりはいいかと思う。夏場は窓際へ。生活圏に引きずり込んだ植物が安定して育つようになると、養う気持ちやほんのりした愛着が湧くものだね。孤独を邪魔しない同居人えらい。

2020年7月7日(火)

眠たい。『ムーミン谷の夏まつり』は今年も読み終えた。茉莉花はいまが花盛りのピークに見える。脇芽を出させたらまた花芽が付くんだろうか。雨はもう十分に降ったことだし、そろそろ梅雨が明けてくれてもいいのだけれど。

2020年7月6日(月)

リングフィットのスワイショウとロシアンツイストが好きで多めにこなすんだけれど、存在し始めた筋肉がトレーニング中に動くあの感覚はなんだろ、採血や触診みたいにぞわぞわした違和感があり、なかなか慣れずにいる。腕を重点的に鍛えていた三月ごろも、胸部につき始めた筋肉が動く感覚に戸惑っていた。続けたら気にならなくなるのかな……。少なくともこの先十日は予報に傘マークが出ずっぱり。九州からは氾濫や避難指示の報せも入ってくる。桃を手に入れ、砕いたアールグレイの茶葉をまぶして食べた。おいしい。小中高で回収した書類やノートは上洛前に全て燃やしてしまったのだけれど、個人的な創作物の紙切れだけは残していた。そういう過去の自分が書いたものを引っ張り出して振り返るとき、この先の向かうべき方向を指し示してもらう、ビジョンのような感覚がある。なかなか前に進めない気持ちもあるし、昔の自分も偉いなあと思ったりする。関心は手放さなければいつか活きてくること、未来の自分は何度でもこんなふうに過去の自分に会いにくる、そういうことを考えてる。

2020年7月5日(日)

夜にスーパーへ寄った帰り道、ほんのりともやの出た風景は光源の周りが柔らかく見えて、こういう静かなあぜ道をひとり歩いて遠景を眺めたら気分がよいだろうと思った。やらない理由はなんだろな。原付を降りて辺りをぶらついたとして、元の場所へ帰ってくることにはどこか冷めた気持ちがあり、可能なら違う場所へ向かっていたい志向があるんだろね。買い物の帰りだから普通に帰るんだけれど。ひとけのない裏道を通ってのんびり遠回りをし、帰路。