2020年11月23日(月)

『ボヘミアン・ラプソディ』観た。QUEENの曲はグッチ裕三さんが改変してるニコニコの動画で聞いたのみだったのだけれど、この作品を観てみて、ああこれもそれもという感じにどこかで耳にしていた。パートナーから友人となるメアリーの「あなたこれからいっぱい苦労する」というせりふも、ラストのライブエイドでのフレディの歌声も、肌の感覚から出てくるものは避けようもなく強い。フレディを駄目にするところだったあのマネージャーの、独占したい相手を周囲から孤立させるやり方もげろげろではあるのだけれど、それよりも大元にある、迷いのなさは逸脱となめらかに接続していて知らずのうちにそちらへ行ってしまうことがある、そのことにひんやりする。見守ってくれる人たちや帰るべき港がいることのありがたさには、駄目になりそうなとき指摘してくれることも含まれることを、自分の冷淡さにいちいちげんなりしながら思う。ただ、迷いがないことがびっくりするくらい周りからの評価に結びつくことも、良くも悪くもなんとなくそういうのあるよなと心当たりがあったりする。ブライアンのふんわりした感じが謎の癒やしだった。この作品の柱の一つなセクシュアリティに関しては、他人が関わってくる面倒くささってあるよという閉口がまず出てきてしまった。自分の場合、他者への関心が全体的に希薄なことに加えて、分類されることを避けたい気持ちがあるように思う。このへんの感覚はゆっくり漂流し続けているから、断定せずに現状ではとするけれど。でもまあフレディの時代にヘテロ以外で生きる大変さはもう人権がない感じだったんだろう……。『ムーミン谷の夏まつり』でねずみのばあさんが「劇場はこの世でいちばん大事なもんじゃ、してみる勇気はなくても、どう生きたらいいか教えてくれる」みたいなことを言っていた。ままならなさに絡め取られながらも気高く歌うことを選んだフレディを見ると、自分にとっての劇場には映画も加わったよと思う。

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