2010年11月10日(水)

原付で病院へ行ってきた。朝一番で出掛けた為、待合室で待つことなく診察。ついでにインフルエンザの予防接種をお願いする。看護師さんの話で、今年のワクチンは新型フルーと季節性の二種類が混合されたものだと聞かされた。去年の予防接種のときはそれぞれ合わせて二本の注射を打たなくてはならなかったと聞いて、去年の接種を避けておいた自分にうなずいてしまった。注射も採血も嫌いではないのだが。

十時半ごろに病院を出、買っておいたコンビニ弁当を近くの公園で食べる事にし、途中でブックオフに立ち寄った。開店まで駐車場で待つ事しばし、やはり一番で入店する。人気のない店内が気持ち良い。漫画本を三冊、あまり迷わずに購入した。僕は以前に、和泉なぎさ氏の「リアリスの私写真」と冬目景氏の「LUNO」という漫画を古本屋で見つけてから、「一冊で完結している漫画本」にはまっているのだ。もちろん物語の大まかな流れをぺらぺらっと読んでみてから購入するかどうか決めるのだが、四コマ漫画などを除き一冊で完結している漫画というのは、その性質上こじんまりと程よくまとまった作品に当たる事が多い。だらだら立ち読みして内容をある程度まで把握してしまってから家でまた読み返すというのは性に合わないのだ。関係ない事だが、一週間ほど前に105円で買ったダニエル・キイス氏の「アルジャーノンに花束を」はまだ手を付けてすらいない。ハツカネズミが出てくる話だったような。近いうちに読んでおこう。

店を出て原付にまたがり「烏ヶ森公園」へ向かって国道を横に逸れた。この烏ヶ森公園の真ん中には烏森神社というのがあるのだが、僕は今回来るのが初めてなので先に弁当を食べて一休みする事に。ベンチに腰かけて弁当とコーヒーを取り出しちびちびと食事。弁当のご飯に手を付けた瞬間、あ、これは失敗した、と思った。コンビニのレジで「暖めますか」と訊かれたとき、ぼんやりとしていて「結構です」と答えてしまったのだ。御飯粒がすこし糊化していて硬い。ああ、これはあんまり美味しくないなあと思い、ベンチ前の池の鴨に餌をやるまねをしつつ、黙々と箸を動かした。

野良犬かな半分ほど食べた頃、黒茶色の中型犬がリードも無しにとたとたっと駆け寄ってきた。周囲には飼い主らしき人物はいない。不意を突かれて足を動かすと、その犬はびくっと飛び退いて、ちょっと用心する様子を見せた。きっと野良犬なのだろう、うちの飼い犬も元野良で人の足の動きに非常に敏感だから、その反応ですぐ分かった。ひとかけの硬いご飯を地面に転がしてやったところ、ゆっくりと近づいてきてぱくんと食べる。もう無いよという身振りをすると池の向う側へ駆けて行ってしまった。耳の後ろに草の種を沢山ひっつけていたなあ。藪の中でも走っていたんだろう。

食べ終わって、コーヒーを片手に芝生のある方へ向かう。日が照っている間は昼寝なのだ。少し離れたところでは作業員のおっさんたちがなにやら談笑している。ごろりとくつろいでひなたぼっこ。焼けるような日差しが心地よかったが、一時間も経たないうちに広い雲の縁が太陽をかすめ始め、次第に薄日になり、とうとう曇ってしまった。日が当たらないとこの時期は風が冷たい。やおら腰を上げて芝を払い、神社のある方へと向かった。

烏森神社烏森(からすがもり)神社は松林に囲われた小高い丘の上にあった。階段を上ると少し息が切れる。歩いているうち四、五人とすれ違って挨拶。平日でも割合訪れる人は多い様子だ。そのうち頂上の神社にたどり着いてちょっと驚いた。普通の神社かと思っていたが稲荷神社なのだ。正確には神社の後ろに稲荷の祠がある、という風なのだが。朱の鳥居 祠 お稲荷さまキツネの小さいぬいぐるみを連れてこなかった事を少し後悔したが、まあそんな事はどうでもいい。祠に続いているらしい朱の鳥居をくぐると、あった。お稲荷さまだ。駒狐さま、とでも言うのだろうか、右と左で顔がちょっと変わっている。奥の祠はこざっぱりと掃除されていて、落ち葉よけなのかボンネットのようなもので被われている。真新しい銅板葺きの祠に青い榊。つい最近整備されたばかりのようだ。そういえば朱の鳥居の手前の神社の壁に古い絵馬が並んでいたなあ。誰かがいつも手入れしているんだろうか。

お稲荷さまの前に五円玉をお供えして写真に撮り、来たときに素通りしてしまった案内板をよく読んでみた。

烏森神社

一 御祭神 天照大神・豊受大神・倉稲魂の神・印南丈作/矢板武 大人命

一 創立年代 延喜二年(九〇二)創建
明治二一年(一八八八)四月五日 烏ヶ森稲荷神社遷宮

……

一 由緒沿革
烏森神社の前身、烏ヶ森稲荷神社は、平安時代の延喜二年(九〇二)、上石上村(現、大田原市)の農人田守という人が、烏ヶ森の丘の上に祠を建て、豊受姫命を祀り五穀豊穣を祈った事に始まると伝えられています。……鎌倉時代初めの建久四年(一一九三)、将軍源頼朝の那須野巻狩の際、この丘を展望所として、総指揮を執ったと伝えられ、……明治十八年(一八八五)四月十五日、開拓事業の成功を祈願し、那須疎水開削の起工式が神前で行われました。……明治二一年(一八八八)、社殿竣工、四月五日、開拓者の氏神として、……遷宮式(ご神体を移す式)を盛大に執り行い、烏ヶ森稲荷神社は、「烏森神社」となりました。……以来、烏森神社は「開拓のおやしろ」として崇敬され、現在に至っております。

平成十一年(一九九九)九月吉日 烏森神社社務所

社務所なんてどこにあっただろうか、と思いつつも、この烏森神社と稲荷の謂われについて中々面白い事が書いてあって、この案内板を素通りしなくて良かった。この辺りは昔から水の利が悪く、明治時代になって那須疎水が開削されたのだが、その当時の非常な苦労を偲ばせる遺物があちこちに残っている。僕も那須疎水開削の苦労を描いた演劇「那須の大地」を小学生の時に見た事があり、友人の一人が後年演劇でそれを再びやると言うので見に行った事もあり、地元の歴史としてちょっと興味のある事柄だった。那須野巻狩でも関わりのある神社だという事で、先だって玉藻稲荷神社を見てきている自分にとってはとても面白い。ちょっとWebで調べてみたところ、先月十月二十三・二十四日に那須塩原市で「那須野巻狩まつり」というのが行われていたらしい。隣の市なので情報が入ってこなかったのは残念だが、機会があれば来年行ってみたいと思う。

ちょっと話が逸れたが、「この丘を展望所として……」というくだりに感心して、丘を降りるときに下界を眺めてみると、松林の間から西那須野や大田原の町がよく見えた。そうやっていると何だか地元や地域の歴史が身近に感じられるから不思議だ。先々週に「那須野ヶ原風土記の丘」という史跡や文化財の展示施設で知識を仕入れてきた事もあるのかも知れない。近々またどこか歴史を学べるところを探してみよう。

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