物語の端切れ

「『何を見ても何かを思い出す』」
「はい?」
「……もうすぐ十三回忌なんだ。親父のね」
窓の外を眺める彼の後ろ姿を、私はただ見つめていた。     ──『何を見てもそればかり思い出す』

ものごとを決めるために入りようなこと:海の魔法と瓶のふた

荷車を曳いて草原を横切るお絵かきウサギがいました。

荷車にはガラスの人魚とふたのない空っぽの瓶、そのほか細々としたものが乗っていました。

「何にも見えない」

瓶の口に腰かけて妖精がため息をつきました。

「つまらない」

ガラスの人魚が言いました。

「空が見えるじゃありませんか、良く晴れていて」

「見飽きたわ」

瓶の妖精はお絵かきウサギの肩のところへ飛んでいって、ぐずぐず言い始めました。

「ねえ、この方角であってるの」

「ええ」

「原っぱばかりじゃない。妖精の輪も描けないような」

「東の方と聞いたでしょう、時計は使いようで磁石にもなりますから、間違いありません」

お絵かきウサギはふところから懐中時計を取り出して説明し始めました。

「あら、何の音かしら」

話を聞いていなかった瓶の妖精は、低い振動音に辺りをきょろきょろ見まわしました。

「飛行船が飛んでいるんですよ、左の方をごらん」

「まあ」

「またどうかしましたか」

ガラスの人魚が後ろから声を掛けたので、お絵かきウサギは荷車を曳くのを止めて、ぐるりと半分回りました。

「見えるでしょう、南に向かって飛行船が飛んでいくんです、遠くに」

「ああ、あれが」

「小さい風船みたいなのが浮かんでるだけじゃないの」

お絵かきウサギは懐中時計をしまうと、他の二人に向き直って言いました。

「あの中には人が何人も乗っていて、世界中を巡っている最中なんです。近くで見るととても大きいですよ」

「あの飛行船というのは、自分で思ったところへ飛んでいけるのですか」

ガラスの人魚がゆっくりと思案しながら尋ねました。

「あれは乗っている人が操縦するんです、僕が曳くこの荷車と同じようなものですかね」

「まるで空を漂う樽だわ」

瓶の妖精がため息をつきました。

「自分では望むところへ行けないのですね」

ガラスの人魚もため息をつきました。


地平線に日が落ちて、夕闇が辺りを忍び始めました。

一行は小川のほとりへたどり着きました。

「ここで野宿しましょう」

お絵かきウサギはそう言うと、瓶の妖精と石油ランプの片割れを連れて枯れ木探しに行ってしまいました。

ガラスの人魚は放って置かれるのに慣れていましたから、ひっそりと星が出てくるのを眺めていました。

「荷車から降ろしてもらうのを忘れていました」

ガラスの人魚は独りごちて、青い月が空に上ってくるのを待ちました。

「当面のあいだ、月の光は楽しめそうにありませんね」

下弦の青い月がこぶし一つ分ほど空を上ったころ、紺色をした東の方からうっすらと土煙が上がるのが見えました。

ついでに低い震動がだんだん大きく地面を伝わってきました。

「また飛行船かな」

ガラスの人魚が眺めているうちにそれは大きな自動二輪車だと分かりました。

自動二輪車はあっという間に荷車のそばへ駆け寄ると、ぶおんと幾度かうなってエンジンを止めました。

「誰もいねえのかい」

やおら怒鳴って車を降り、たぬきの爺さんは置かれている石油ランプに目をやりました。

「びっくりして逃げちまったか」

ガラスの人魚はむっとして呟きました。

「せっかくの青い月がほこりで隠れてしまいました」

「おう、ガラスの嬢ちゃんがいるじゃねえか」

「あら」

ガラスの人魚は自分の声が聞こえていたのにびっくりして言いました。

「聞こえてましたか」

たぬきの爺さんは自動二輪車の側車から荷袋を降ろして、石油ランプのとなりにどっかりと座り込みました。

「おれはこの明かりを目指して走ってきたんだが」

荷袋から固形燃料と折りたたみこんろを取り出して手早く火を付けると、たぬきの爺さんは言いました。

「嬢ちゃんだけかい、連れはどうした」

「たきぎを拾いに行っていますが、その必要はなくなったようです」

「まあそのうち来るんだろう。しかしまあ、こんなところで何をってそりゃ野宿だな」

たぬきの爺さんはひとりで笑って水筒の水を鍋にくべました。

「どちらからいらしたんですか」

「向こうからさ、街の中は走りづらくていけねえ」

「近くに町が」

「大きな街だよ、ああいうところだとあんたみたいなのはすぐ煤けちまうな」

ガラスの人魚は悲しそうに言いました。

「私は自分の体が不自由なのです」

「その姿形が嫌かい」

たぬきの爺さんは振り返ってちらりとガラスの人魚を見てから言いました。

「どこへでも跳んでいける自由ってのは、今どきちと手に入りづらいからなあ」

ガラスの人魚は含みのある言い方に反応してびっくりしました。

「なにか手立てがありますか」

「無いことはないさ、やろうと思えば何だって出来る。ほら来た」

お絵かきウサギがたきぎを抱えながら走ってくるのが見えました。

「妖精まで連れてるのか」

「私の旅をしてくれているんです」

「ほう」

お絵かきウサギはふたりのそばまで来ると歩調をゆるめてふう、と息をつきました。

「何事かと思いましたよ」

川でさかなを捕る仕掛けを作っていたんです、と説明してから、お絵かきウサギと瓶の妖精も明かりのそばへ寄りました。

「もう少し日の暮れるのが遅けりゃ、あんたらとすれ違っていたよ」

「どちらから」

「それを話していたところさ」

お絵かきウサギは枯れ枝をくべる手を一瞬止めましたが、すぐ元に戻ってこう尋ねました。

「魔法を探しているのですが、この先の街ではあまり期待出来ないようですね」

「そうでもない」

たぬきの爺さんが何気なく言いました。

「なんせ魔法使いってやつと会って話したからな、おれは」

「ほんとうですか」

お絵かきウサギよりさきにガラスの人魚が尋ねました。

「ほんとうさ。二つ先のその街で偶然会ってな、お互い旅立つところだってんで酒場で一杯おごってやったのよ」

三人が次の言葉を待っているうち、たぬきの爺さんは間を置いて言いました。

「おれが思うに、おまえさんがしたいことをしたいなら、あの魔法使いを追っかけるのが一番だろう」

たぬきの爺さんは即席シチューを鍋から移し替えて、先に頂くよ、と告げました。

「そのひとは、信用出来る魔法使いなのですか」

ガラスの人魚がゆっくりと質問しました。

「さあな。だが、おれが走ってきた一つ先の村にそいつのお屋敷あとがある、番人もいるそうだ」

「話が見えませんが」

お絵かきウサギは言いました。

「ガラスの人魚さんには行く宛が見つかったみたいですね」

「ええ」

ガラスの人魚は嬉しそうに言いました。

「ウサギさんさえ構わなければ」

あ、と呟いてガラスの人魚は付け足しました。

「妖精さんも良ければ嬉しいのですが」

「べっつにー」

瓶の妖精はぷうと膨れて言いました。

「こんなところに居たって瓶のふたは見つからないもん」

たぬきの爺さんはふふんと笑いました。

「そこの妖精、旅ってのも良いもんだぞ」

「あたしは早くうちに帰りたいのよ」

「北の大陸が広いですよ」

お絵かきウサギが火をつつきながらぼそりと言いました。

「雪と氷向けの装備があれば、ですが」

「どこだって走れるさ、こいつと一緒なら」

たぬきの爺さんは自動二輪車を一瞥しました。

「気候は厳しいですが、その厳しさに見合った美しい風景があります」

「ふむ」

「さえぎるもののなにもない広大な大地と空です」

「毎日新しい世界を征服する、ぴりっとした空気、熱いエンジン。見渡す限りの地平線」

「そのお茶ももっと美味しくなるでしょう」

たぬきの爺さんがカップの中でお茶の包みを揺らしているのに目をくれて、お絵かきウサギは言葉を継ぎました。

「おれの人生は始まったばかりだからな」

にやりと笑ってたぬきの爺さんはお絵かきウサギとガラスの人魚を眺めました。ほれ、と爺さんが投げて寄越したのをお絵描きウサギが受け取ると、それはひもに結わえてある薄荷茶の包み三つでした。

「宛はまだ無いが、行ってみる値打ちはありそうだ」

「きっと気に入ります。妖精さん、野菜のスープが出来ましたよ」

お絵かきウサギはにこりと笑って小さなお皿にスープを注ぎました。

「ガラスの人魚さん、明日から早いですよ」

「そのつもりです」

朗らかに、ガラスの人魚は言いました。

 

「北へ向かわれますか」

ガラスの人魚が心許なく言いました。

「鉛の心臓でさえ割れてしまうほど、あちらの気候は厳しいものだと聞いています」

「その為のこいつさ」

たぬきの爺さんは自動二輪車の側車を指さして見せました。

「もちろん世界中見て回るつもりだ。いつかどこかでまた会うかも知れん」

「ウサギさんたちがさかなを捕って戻ってくるまで、待たれていてはいかがですか」

いやいや、と、たぬきの爺さんは手を振りました。

「一晩の付き合いでも別れは寂しいからさ」

同時に気楽でもある、とたぬきの爺さんは言いました。

「嬢ちゃん」

「はい」

「願いってのは叶えるもんだ、がんばんな」

「はい」

「じゃあ、またな」

どるるるる、とエンジンを掛け、ぶおんと幾度かうならせて、たぬきの爺さんは言いました。

自動二輪車は走り出してしまうと、もうまっしぐらに脇目も振らず北を目指して駆け始めました。

ガラスの人魚は自動二輪車が遠く見えなくなるまで黙って見送っていました。

土煙が薄くたなびいて草原を渡っていきました。

「ああ、行ってしまいましたか」

お絵かきウサギと瓶の妖精がいけすを抱えて小走りでやって来ました。

「火に当たっていけば良かったのに」

「ひとそれぞれのことというものもあるでしょう」

お絵かきウサギはナイフで削った木の枝を弄りながら尋ねました。

「あのひとは何か言い残していきましたか」

「またな、って」

ガラスの人魚はくすぐったそうに言いました。

「さあ、朝食が済んだらすぐに出発しましょう」

「まず魔法使いのお屋敷あとですね」

お絵かきウサギは手早くさかなに枝を通しながら頷きました。

「それから、どこかにいる魔法使いのところへ」

ガラスの人魚は弾んだ口調でそう言うと、星の気配の無くなっていく空を眺め始めました。

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