物語の端切れ

「私の体は純金で覆われている」と王子は言いました。
「それを一枚一枚はがして、貧しい人にあげなさい。
生きている人は、金があれば幸福になれるといつも考えているのだ」
     ──『幸福の王子』

海から一番遠い街で:海の魔法と瓶のふた

「こんにちは」

お絵描きウサギは言いました。

「こんにちは」

ガラスの人魚も言いました。

「あの」

お絵描きウサギはちらりと広場を見渡して、それから、

「あなたの絵を描きたいのです。構いませんか」

そう言うと脇に抱えた三脚を持ち上げて見せました。

「良いけれど」

ガラスの人魚は少し戸惑った様子で答えました。

「ありがとうございます」

お絵描きウサギは早速、おんぼろな三脚を掛けて準備を始めます。

「あなたは絵描きさんなの」

「いいえ。でも絵を描くことが好きなんです」

「じゃぁ、やっぱり絵描きさんじゃないの」

「それは違いますね。僕は旅をしています。だから旅人です」

「旅人」

「えぇ。こうして時々絵を描きながら旅をしています」

鞄から木炭のかけらを取り出して、お絵描きウサギはガラスの人魚を真正面から眺めました。

「私の絵を描くのはウサギさんの自由だけれど」

ガラスの人魚は小さい声になって、

「どうして私の絵を描くの」

と言って、尾びれも割れて欠けているのに、と付け足しました。

「それは、僕が人魚というものを見たことが無かったからです」

「そうなの」

「この街に人魚がいると聞いて、見てみたいと思いました。あなたと会って、絵を描きたくなりました」

ガラスの人魚は少し思案してから言いました。

「あなたは旅人で、旅というのはいろんなものを見たり聞いたりするのでしょう」

「そうなりますね」

「絵を描いているあいだ、旅のお話を聞かせてもらってもいい。もし邪魔にならなければ」

お絵描きウサギはもうスケッチを取り始めながら、楽しそうに言いました。

「いいでしょう。何をお話ししましょう。面白いもの、珍しいもの、不思議なもの、どんなお話がいいでしょう」

ガラスの人魚は困ったように、間を置いて言いました。

「そういうお話とは、ちょっと違うんだけれど」

「はて、ではどんな」

お絵描きウサギはいったん手を止めました。

ガラスの人魚のガラスの瞳は、広場の家並みをじっと見つめたままです。

「あなたは、海を見たことは」

「もちろん。幾つもの海を船で渡りました」

ガラスの人魚は少し悲しそうに言いました。

「私、海を見たことがなくて」

「ふむ」

「この街でつくられて、この広場の真ん中におかれて、それから、ずっと」

お絵描きウサギはなるほどというように頷きました。

「分かりました。僕が見てきた海のことをお話しすればいいのですね」

ガラスの人魚は嬉しくなって言いました。

「そう。ウサギさんが知っている海のことを聴かせて。どんな小さなことでも。海のお話、お願い」



それから、お絵描きウサギはガラスの人魚のもとへ毎日通いました。

ガラスの人魚の絵を描きながら、色んな海のことをお話して聞かせました。

青く青く深い海、空色をした穏やかな海、嵐に荒れ立つ海の上を船でさまよったこと。

砂浜に寄せるさざ波、磯に砕ける荒波、港にあふれる潮風の香りやどこまでも続く水平線のこと。

滑るように走る船の周りを飛び跳ねるとびうおやいるかたちのこと。

どんなお話にもガラスの人魚はじっと耳を傾けて聞き入り、また、たくさんの質問をしました。

そのたびにお絵描きウサギは、言葉豊かに、まるでそこにその光景が浮かび上がるかのように、語って聞かせたのです。

そして何枚目かの絵がだいぶぬり終わったある日、ガラスの人魚はこんな質問をしました。

「ねぇウサギさん。海の中はいったい、どんな眺めなのでしょう」

唐突に、お絵描きウサギはこれには困ってしまい、視線を台座に移して筆を動かすのを止めました。

ガラスの人魚は夢を見るように続けます。

「色とりどりのさんご、かいがら、魚たちのこと。ウサギさん、聞かせて。海の中とはどのような眺めなのでしょう」

いつの間にか黙りこくってしまったお絵描きウサギの様子に気付いて、ガラスの人魚は驚いたように尋ねました。

「ウサギさん、どうしました。私、何かお気にさわるようなことを」

「いえ、そうではないんです」

お絵描きウサギは申し訳なさそうに、ゆっくりと言いました。

「実は僕、泳げなくて。海に潜ったことはないんです」

「……そう」

ガラスの人魚も申し訳なさそうにゆっくりとつぶやきました。

しばらくの間、広場の真ん中に少しばかり静けさがもどりました。

夕方のかねが四時を打ち、さらに半刻を告げるかねが鳴ったころ、はしごを担いだ熊がのしのしやってきました。

「よう、ウサギの兄ちゃん。この絵ももう終わりそうだな」

「え、えぇ」

「立派だろ。あんたも惚れたかい」

「それは、絵に描きたくなるほどですから」

お絵かきウサギがとぼけると、はしごを担いだ熊はそれに気付かずに言いました。

「兄ちゃんは運が良かったよ」

お絵かきウサギは居住いを正して訊ねました。

「なにか、あるのでしょうか。ガラスの人魚さんに」

はしごを担いだ熊は、絵とガラスの人魚を交互に眺めながら言いました。

「これはな、端は欠けているし倒れたとき危ねぇってんで、近く降りてもらうのさ」

「そのあとはどうなります」

「この人魚はこの町に他の宛がないからなあ」

はしごを担いだ熊は困ったようにうなりました。

「これを作った工房も職人も今はいないし、大方どこかの金持ちが引き取るんだろうよ」

「なるほど」

お絵かきウサギはこっそりと言いました。

「それより、いろいろ人が来なかったかい」

「気付きませんでした、なぜ」

はしごを担いだ熊はにやりと笑って見せました。

「人魚もその絵も見納めだし、人魚とお喋りしてる旅人の噂なんて、見えなくたって聞こえて来たさ」

がんばりな、と言い残してはしごを担いだ熊が立ち去ってから、少し間がありました。

「そういうことだったのですね」

ガラスの人魚は寂しそうに、ええ、と答えました。

お絵かきウサギはささやくように続けました。

「僕が今考えていること、わかりますか」

「多分、そうして頂ければ、一番良いと思っています」

心細そうにガラスの人魚は言いました。

「とにかく、絵を仕上げられたら今日はおしまいです」

お絵かきウサギはほとんど出来上がったカンバスにまた向かいました。

「でも」

「誰も困ることがなければ」

ガラスの人魚の言葉を打ち消すように、

「その自由を好きなように活かしたって、おおむねは構わないでしょうよ」

そう言ってお絵かきウサギは顔をもたげるとにこりと笑いました。



明くる日の昼近く、街を流れる川のずっとずっと下手に一台の荷車がありました。

そのとなりでお絵かきウサギがひなたぼっこをしていました。

「ウサギさん」

荷車から声がしました。

「大丈夫なのでしょうか」

「さぁて、どうでしょう」

のんびりとした声が返ってきました。

「あなたが見かけより重いものだから」

「私の体には鉛が入っているから、浴びた光が輝いて見えるんです」

ぼそぼそと藁の中で声がして、それからたずねました。

「町の人たちは気付いたころでしょう」

「でしょうね」

「私たちを捜して、追いかけてくるのでは」

「それはありません」

自信ありげな声が答えました。

「あなたを描いた絵を、あなたがいたところにのこしてきたから」

そう言ってからお絵かきウサギは付け足しました。

「あなたをひいきにしてくれた熊の方にも差し上げておきましたよ」

「そう」

がっかりしたような、安心したような調子で、ガラスの人魚は相づちを打ちました。

「安心して下さい」

のほほんとお絵かきウサギは言いました。

「あなたに海を見せることは約束しますよ」

「はい」

「でもあなたは」

お絵かきウサギはそこまで言ってから、こほんとせきをしました。

「僕もそう願っているのですが──海を見たら、今度は泳いで潜りたいと思うでしょうね」

「たぶんそれは、見ないことには」

「ですから」

お絵かきウサギは太陽の位置を確認すると、よっと立ち上がりました。

「ガラスのままか、人魚に還るかはいずれ決めることにして、そういう魔法を探しましょう」

「まほう」

ガラスの人魚はびっくりして聞き返しました。

「あなたと一緒に旅をしていれば、きっと見つかるはずです」

お絵かきウサギは自信に満ちた声で言いました。

「あちこち寄り道するでしょうけれど」

荷車の取っ手に腕を伸ばしながらお絵かきウサギは言いました。

「なにしろ車のために地図を売ってしまいましたからね」

「とにかく、割れないようにしていますよ」

ガラスの人魚は空を眺めた格好で言いました。

「それじゃあ、行きましょうか」

お絵かきウサギがそう言って曳くと、荷車はゆっくり動き出しました。

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