物語の端切れ

夜明け前に、一日で最も暗い時間がやって来る。
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     ──『-METEORIC!- 天つ狐の駈けるとき』

月夜の嵐 - moonlit serenity - ――あるお話のお話

あれは確か、秋も深まった晩の事だったと思う。随分昔の話だ。

その頃の私は、毎晩遅くまで机に向かうのが常だった。とある雑誌で新人作品の公募があり、それに向けた作品を仕上げていたのだ。物語は九割方完成していたが、ラストの描写をどうするかで決めあぐねている状態だった。二人は別れた方がすっきりするだろうか、それともその後を仄めかすような締め方にするべきだろうか、いやいやそれでは駄目だ、ここがこの物語で一番肝心なパートなんだから、等々。

公募の締め切りはもう間近に迫っていたし、ただ焦るばかりの日が続いた。

とりあえずペンを走らせては横線を引く、といったことを繰り返すうちに、その日も夜中を大分過ぎていただろう。

この季節特有の西風が容赦なく吹き付けるために、安アパートはみしみし音を立て、壁の継ぎ目やらドア下のすき間からやたらと風が入り込む。私はこの西風が好きだった。部屋に籠もってその音を聞いていると、何となくだが、安心感を与えてくれる気がしたのだ。それに浮き足立つような、気分を高ぶらせてくれるような、そんな風に感じられた。

しかし一方で、きちんとした仕事に就いているわけでもない貧乏人だったから、ストーブを焚くことも出来ない。指先がかじかんでは書くこともままならず、今日はもう寝てしまおうと私は灯りを消した。

ふと気が付くと窓から月明かりが差し込んでいる。ここしばらく机の原稿しか目にしていなかった私は、久しぶりに表でも眺めてみようという気分になり、安ベッドに入りかけていた体を起こして窓際へ寄った。

私の住んでいる部屋は、とんでもなく安くて呆れるほどおんぼろなアパートの二階だったが、高台に建っていたので市街と海を一望でき、そこがとても気に入っていた。窓から辺りを見下ろすと、見慣れた街並みが目に入る。大方の人々はもう寝入っているのだろう。明かりの灯っている家はほとんど無いようで、灯台が休むことなく沖へ光を投げ掛けているのが目に付いたぐらいだった。

月はすでに随分と高い位置に昇って吹き流されてゆく雲を照らし出している。どうやら私は、その夜が満月なのも忘れていたらしい。

月明かりの美しい夜だった。大分長いこと窓からの景色に見入っていた。ガラスや板壁が立てる風の音も気にならないくらいだった。

そのうち月が雲に隠れてしまったので、おやと思って空を見上げると、その雲の少し下の方で何か鳥の様なもののシルエットが見えた。渡り鳥かなと思って眼を凝らして見たものの、一体何なのか見当が付かない。しかし、それはこの町の方へやって来るらしかった。なおも凝視しているうちに、雲間から再び月が顔を覗かせて辺りを淡く照らした。

それは船だった。

帆にいっぱいの風を受け、貝殻のような丸い船底で夜空を滑るように飛んでいる。船は灯台の上をするりと通り過ぎてこちらへやって来る。思わず私は慌てて窓を開け放し、身を乗り出した。途端に風が吹き込んで、机の上にあった原稿をまき散らし、あるいは表にさらっていったが、その時はそんな事を気にしていられなかった。

その船は音もなく近付いて、やがて細部まで見えるほどの距離にやってきた。船首に青白い翼が取り付けられている。月明かりの下でそれは薄く薄く輝いているように見えた。帆柱のてっぺんにはランプが灯されており、船室の窓からは明かりがこぼれていた。何となく、何か積み荷を運ぶ船のように思えた。空飛ぶ船だなんて、一体どんな物を運ぶのだろうか。

船が間近にまで迫ってきたとき、私は初めて甲板に人が佇んでいることに気付いた。月を背にした姿ではどんな人なのか判らない。大声で呼びかけようとしたが声が出ない。ただ船上のその人を見つめていると、向こうも窓から乗り出した恰好の私に気付いたらしい。片腕を振って合図を寄越した。私の方はと言えば、その姿を見送るだけで何も出来なかった。船はあっという間にアパートの上を、高台を飛び越えてゆく。その船の後を追うように原稿が飛び去り、たちまち視界から去っていった。

我に返ったときには既に月が灯台の上に落ちていた。それから夜明けに追われるようにふらふらとベッドへ転がり込み、その日の昼過ぎまで目を覚まさなかった。

結局、書き上げたほとんどの原稿があの船の後を追い、ラストの描写も思い浮かばず、秋の作品公募への参加は断念した。

その後は色々あって、幸運にも今の職に就き、人々を追い締め切りに追われる日々が続いている。例の安アパートも引っ越したが、毎年、西風の吹き付ける晩になるとあの船のことを思う。仕事が手に付かなくなるたび夜空を見上げ、また同じ出来事が起こらないかと期待したりもするのだが、結局二度と空を飛ぶ船を見ることはなかった。

このことはまだ誰にも話していない。


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