2021年8月2日(月)

二ヶ月ほど続いていた心身の不調はこの二週間ですっかり立ち直ったように思う。その件については、だけれど。ToDoリストがあまり消化できていないのは、そこまでの元気さはまだ戻っていない、ってことなんだと思う。早く眠ってそのぶんあす朝の時間をなにかに使おう。

2021年8月1日(日)

届いた本棚を組み立てた。文庫本をしまう場所を増やしたくて、机の下に入る背の低いのを取り寄せたのだった。キャスターが付いているから自由に引っ張り出せる作り。本棚に本をどうしまうか考える時間は楽しい。ダンピアのおいしい冒険(3)を読み終えた。ともすれば状況に翻弄されるほかないような厳しい辺境での、リングローズの「会いたかった」という言葉が、温かく心へ染み込むものに思えた。その勢いで先行してWeb公開されている章を読みにいったところ、みぞおちに入るような展開が待っていて、ちょっとへこんでる。そこからより先へ向かうダンピアも気になるけれどさ。4巻が楽しみ。

2021年7月31日(土)

居室で映画を観るなか、冷房は全開になったままリモコンがつかなくなってしまった。なんだか間の抜けた話だ。窓を開けても状況が変わるわけではないから、暗くなるころに電機店へ向かってリモコンを新調した。庭の水回りについては業者さんがきょう修理/設置をしていった。『ファイト・クラブ』観た。ネタバレしないよう気を遣うと、安定から降りていく男性の姿を描いた作品、って感じ。物語は終始アクセルべた踏みで、最後までどうなるのか先が読めなかった。特に後半の思わぬ展開からはぎゅんと攻めており、振り落とされずについて行こうとして最後まで見終えてしまった感がある。流血/暴力/マッチョの連続なところは自分向けではなかったなーと思う。でも、こういう強いショックをもたらす映画も、たまには。

2021年7月30日(金)

ことし初めてのいちじくを食べた。おいしいおいしい。果物のうちではいちじくがいちばん好きかもしれない。産直でお会計の際に、レジの方から手が綺麗ねとほめられた。うれしいんだけれど、そのおばちゃんが自身の手を低く表現しながら言ってくださったことで、とっさにうまいフォローを思いつけたらよかったな……。地元と隣の市から届くメールでの感染例報告が、きょうはどちらもびっくりするような数字だった。子供まで含まれており、後遺症が残らなければよいがと少し気が沈む。もう買い物であっても人のいる空間へ滞在することはできるだけ避けようか。『ナイト・オン・ザ・プラネット』観た。五つの街それぞれで同じ時刻に繰り広げられる、タクシーの中での出来ごと。みんなたばこに火を付けるタイミングがよく、喫いかたも堂に入っていた。一番目のロサンゼルスのパートでは、運転手の若い女性が客の婦人に火を貸す場面があるのだけれど、そこには急にくだけた距離感が生じていて、ああいいなあと思った。ていうかその運転手が魅力的だった。ほっぺたに車の汚れかなにかを付けたまま、まったく頓着せずに仕事を楽しくこなしてる。降って湧いたチャンスに飛びつくことはなく、自分の人生計画に沿って行動している。婦人もこの相手を尊重すればこそ、スカウトを持ちかけてもそれを強要することはなかったんだろう。それなら婦人は電話番号でも渡すのかなと思っていたら、別にそんなことはなく別れて、おしまい。物語は五つともこんな感じ。いっときふれ合ってまたするっとほどける、かさついてはいるけれど心地よい特有の距離感が通底していた。ほか、三番目のパリでのやりとりが好きだ。盲目の女性客とやりとりをするなか、序盤の客からひどい侮蔑を受けたコートジボワール出身の運転手に、誇りのある柔和な表情が浮かぶのが、とても心地よかった。そして別れた途端に事故を起こした彼のタクシーへ耳をそばだてながら、おそらく「いわんこっちゃない」という笑みを浮かべて歩み去る女性のかっこよさ。付け足すように書くけれど、ローマのパートは悪乗りしながら撮ったんではないのと言いたくなる内容で、申し訳ないけれど神父の顔芸に笑ってしまった。死んではいないと思うのだけれど。こうした、人を求めたくなるような、たばこを喫いたくなるような映画は、ずっと観ていたいと思った。ジム・ジャームッシュという監督の作品らしい。パーマネント・バケーションとコーヒーアンドシガレッツは以前観たときにやっぱり、登場人物の距離感が心地よいなと思った映画だった。この人の作品はきっと鉱脈だから、観たいものを探すときの参照先にする。

2021年7月29日(木)

夕方から雨。『アマゾン河の博物学者』は400/500ページあたりまできた。読み終えることを目標にするのではなく、遠い地上への窓を覗くつもりでページをめくっていたら、いつしか後半もいいとこまで読んでしまった。ああ、もったいないなー。もとより認知機能がポンコツなため、読書に没入感を期待することはないのだけれど、日々こつこつとこの本をめくっていると、そちら側へしれっと潜り込む塩梅のようなものがつかめる。そうして行を追うことにうまく専念できると、なんというか描写の端にときおり、目を細めてしまうような愛おしさを感じるのだよね。記された日付の経過とか、移動の距離とかに。なんだろう、これは。著者への親密さなのかな。一度にたくさん読むことは叶わないけれど、楽しいも面白いも超えて、幸せな読書をしている。

2021年7月28日(水)

市の感染例報告のメールがこのところ毎日入ってくるのだけれど、その内訳の傾向は20代が中心になってきた。自分の認識は、ワクチンが行き届いた高齢者からは感染者が数字として上がってこなくなった一方、現時点で接種の機会はほとんど持てていない年齢層での感染が、これまでの波を越える勢いで蔓延しつつある、というもの。未来ある人たちの人生が損なわれることのないよう願ってみたりもするのだけれど、これからしばらくは感染拡大を抑える要素がないから、予防/回避に努めて引きこもりながらやり過ごす、というのが個人として現実に取り組めること。着物をもらった太宰治ではないけれど、二回目のワクチン接種までうまく生きていようと思う。おととい、人に会いたくなる出来事があり、ダイエットアプリのあすけんをまた使い始めた。動機としては強いみたいでいい感じに食欲の抑制が効いてる。筋トレも再開したいところ。

2021年7月27日(火)

台風通過で雨かなと思っていたのだけれど、強い風に流されていく様々な高度の雲の隙間からは、日がなすっきりした青空が覗いていた。風の涼やかさや軽やかさは臨時の秋のよう。空の低いところをぐんぐん行くちぎれ雲や黒雲というのは、見ているこちらも先を急がなくちゃね、という気分にさせられるなあ。随行者がいるようで楽しい。この先の天気予報には傘マークが並んでおり、夏の天気はしばらく期待薄かもしれない。

2021年7月26日(月)

ひさしぶりに隅々まで掃除。夕方の買い物を済ませて外へ出ると、空が燃えるような色で焼けていた。思わずスマホで撮ってしまった。嵐が来る前には激しい夕焼けが現れることがあると聞くけれど、綺麗だったなあ。いいものが見られるはずと例の高台へ着いたころには日は沈んでいた。次第に暗くなっていく西の空にひととき緑色が覗くのを、風がざわざわと吹き抜けるなか眺めた。そうしてとっぷり暗くなってから帰宅。

2021年7月25日(日)

宵のころ、燃えるごみをステーションへ出してから近所を一周してきた。日曜夜の家々からは緩んだ独特の雰囲気が伝わってくる。家族同士の会話や水道管から響く流れなんかが、オレンジ色の明かりと一緒に道へ漏れ出していた。ウマオイが鳴くすいっちょんという声をはじめ、そこかしこからいろんな虫の声が聞こえる。路上を照らすとナナフシやカマドウマが歩いていたり、木の上のほうには青いあけびや小さな栗のいがが生っているのを見かけた。戻り道、ぼんやりと、でも濃いオレンジ色をした月が、空の低いところに浮かんでいるのが見えた。よい晩。夏の夜のまろやかな大気が肌に柔らかく触れて気持ちよかった。

2021年7月24日(土)

録音関連の配線はできた。オリンピック開会式の映像くらいは見てみようか、という気がしはじめた。それはそのうち。悲しみをどうにかしようと思って書き出すうちにそれはわりあい紛れてしまった。単純なのはよいことだよ……。さだまさしの『君は歌うことができる』という歌に「君は君の言葉で祈ることができる 目の前の痛みから逃れるために他人(ひと)を傷つけ 己を傷つけてしまうそんな人のためにも」という歌詞があるのだけれど、そこを思い出していた。自分は人を傷つけてばかりいるだろうなと思う。