2018年3月31日(土)

うちの猫が自覚的なわがままをしているというのか、「そんなことは放っておいてわたしに構え」みたいな不満の声をときおり漏らすのだよな。構うが良かろう。

2018年3月30日(金)

弐瓶勉『アンドソーオン』で頭をぶん殴られた気分がしている。

土筆の卵とじには比較的癖がなく、袴取りが割に合わない作業であったことを除けば、筋張った小松菜の煮浸しのように食べられるね、という感想を持った。しいたけ+バター+蕎麦を和えたものはちゃちゃっと作れる字面の通りのレシピ。和風明太パスタとでも表現すればよいのか、直近で最も驚いた均整のとれた美味さだった。海苔があるとほんとうに香ばしい。

地元各所の桜は今日夕方の時点で蕾から三、四割咲き程度とかなりのばらつきがあった。ここの桜前線は等高線が急でゆっくり通過していくらしいからなあ。早咲きの大木なんかには見物に来たものたちが近寄って、夕景をばきばきと染め抜くような姿を見上げたり、写真に収めたりしていた。嗅覚を奪う花の匂いはとっくに大気を満たしつつある。

星野仁彦『発達障害に気づかない大人たち』という新書がいま手元にあり、こうした分野への解説書扱いで購入したため、早めに読み終えておきたいところ。

2018年3月29日(木)

吉田篤弘の『ソラシド』を読了。冬になるたびかじり読みしていて、ここまで来るのに三年かかった。「ノース・マリン・ドライヴ」のLPアルバム一枚から著者がイメージを書き起こした、という予備情報を持っていたから、自身のツボを盛り込んだのだなーという印象が強い。この人の新著はここしばらく手に取っていない代わりに、当面は『おかしな本棚』から拾った古本やなにかで過ごす予定。

2018年3月24日(土)

仲野順也さんの3rdアルバムに入っている「Lemuria」「Iris」がいいよ。僕はオンラインの同人音楽に馴染みがあり(聴くほう)、こういう粒の揃ったエレクトロニカで恍惚となれるほう。

2018年3月19日(月)

このごろ良いなと思うのは、夕方の時間のことだ。日が傾くときには、空の変化には緑色をした空の領域が含まれていて良いし、ゴールデンアワーやマジックアワー、ブルーモーメントを経て訪れる宵闇に、快楽と近しいものを感じる。去年の梅雨時に書いた「青い日没に黄色い灯りはほっとする」もそんなもの。

2018年3月14日(水)

猫は脾臓を摘出したよ。

血液検査のヘマトクリットの値が昨日27%→今日18%(検査機器の違いもあり正確な値ではないかも知れない)という数字で、人間側の動揺は伝わるだろうか。猫の食欲不振から検査での疑わしい箇所や家族の合意、そして手術までなんとか間に合い、しかも上手く行った、と言って良いとのことだった。子どもの握り拳大にまで腫れ、血らしい黒い部分が混じった脾臓を、破裂する前だったといった説明とともに見た。

幸運が重なったことに今ここで感謝したら、この先で頼りにするものが無くなりそうだ。ああ、でも、幸運だったのだと実感の無いままに思う。あの時は家族三人の判断も揃った。手術を担当して下さった医師から、退院や抜糸の予定があることまで説明されてる。尿と組織の検査結果が判明するのは後日になるため、現在は猫を医院のICUに入れてもらい、術後のショックが起きないことを待っている段階となる。

あとでなにかメモして今は眠ろ。

2018年3月13日(火)

動物病院で猫を診てもらったところ、脾臓にしこりがあるかも知れないとのこと。それで明朝、より設備の整っている宇都宮の病院へ猫を入院させ、中を診る開腹手術のついでに取れるものなら取ってしまおう、ということになった。家族皆で医師と意志決定をしたのも幸いしたのか、明日の予約は今日の説明の際、直ぐさま取得して頂いた。

穏やかで美しい、薄墨を流したかのように色合いの滑らかな夕暮れだった。七年前の今ごろもこんな空をしていたかも知れないと思う。