2011年1月22日(土)

今日は風もなく穏やかな日和だった。あちこち出掛けて道の駅那須与一の郷│栃木県大田原市のフリーマーケットを覗いてきた。帰宅後JAXAのサイトからH-IIBとHTV2の打ち上げlive中継を見る。

三羽のアヒル SkyHigh あしあと? 車庫

道の駅那須与一の郷│栃木県大田原市では、土曜日と日曜日の日中、広場で青空市というかフリーマーケットが開かれている。市に出されているものは様々で、骨董品、陶器や花瓶に置物、貴石やアクセサリ、古着、風水と姓名判断などなど、およそ「好きだからやっている」と呼べる出し物が居並んでいる。

まだ名無しの二人この道の駅は家に帰る途中たまたま通りかかったのだが、そういえば土日はフリマやってるんだった、と思い出して立ち寄った。初めは冷やかすだけのつもりがぬいぐるみを大々的に市に出しているところに出くわしてしまい、終始にやつきながら好ましいものを物色し、結局店の主にもオススメされたウサギを七百円×二人分、百円おまけの千三百円で譲って貰った。主の話によればこのウサギたちは初め真っ白ウサギを含めたトリオだったらしい。午前の間にその白ウサギだけ売れてしまい、残ったのが彼らなのだそうだ。三人組で揃えられなかったのが非常に残念だが、まあいいや。気に入った。

午後二時半ごろに行われるロケットの打ち上げ中継を見たかったので、丹念に他のぬいぐるみを探すのを諦めて家に帰ってきた。どのみちフリマは明日も開かれるはずだし、それが駄目なら一週間後だって、のんびり気長に矯めつ眇めつ見ていけばいい。

木彫りの母と子 招き猫のタグ 重たい木の化石 尾っぽを立てろ トンボ玉 ガラスの梟 青空市の或る風景 居並ぶぬい達

こうのとり2号機(HTV)とH-IIBロケット2号機の打ち上げ中継は数十分ほど前からネット配信で見ていて、エンジンとブースターに点火したかと思う暇もなくリフトオフし一瞬で空の向こうへ上っていった。プレスリリースによればHTVはこの後五日ほど掛けてISSとドッキングする計画との事。僕は以前、ISSとシャトルがランデブーしている最中の写真を撮った事があり、条件がよい夕刻ならば肉眼でもISSが天空を駆け抜けていく様子が観察出来るので、興味がお有りの方はJAXA 国際宇宙ステーションを見ようのページから情報をたぐってみると良いかも知れない。

2011年1月21日(金)

SQ30m部屋の掃除と本棚の整理に掛かりっきり。

七年ほど前から購読しているNATIONAL GEOGRAPHIC 日本版がそろそろ本棚を圧迫し始めた。付録のごちゃごちゃとした小雑誌を捨てればあと二年半は保つのだろうが、こういうときに思い切って捨てられないのが自分の駄目なところだ。そもそも捨てきれずにいる小雑誌にしたって、別の棚に移し替えればいいのだし。

それよりも、昨年の秋から年末にかけて買い込んだ中古本の類が呆れるほどの積ん読の山となっていて、数ヶ月近く放置していた自分にも呆れた。冬の寒さに引き籠もりがちになる事を予想して買い込んだのはいいが、今日のように思い立って整理整頓と読了を心がけていかないと部屋に足の踏み場もなくなる。以前書いたような気がするが、僕は収集癖持ちであり、その対象にはもちろん本や雑誌も含まれている。知る事と集める事を両立して満足させてくれる本に対して、僕は割合な愛情を抱いている。だから手放せない。以前Webのどこかで「書棚の育て方」という短編SFを読んだ記憶があり、いつかああいう書棚が欲しいなあと思う。

昨日、POCKET DIGITAL CAMERA “SQ30m”というトイデジを買った。

トイカメラと言えばHOLGAだが、僕は飽くまでおもちゃという性質にこだわってこのトイデジを選んだ。シャッターを押してから撮影まで数秒掛かる点が難だが、このトイデジは至ってコンパクトでシンプルだ。撮影モードにノイズやモノクロ、ビビッドといった選択肢があるのも遊び心を刺激してくれる。

魔女宅のジジ 犬のエリー ナショジオ

撮像素子195万画素というのは十数年以上前のデジカメと同じ程度の数字だ。その辺は割り切って使おうと思う。

2011年1月17日(月)

あれこれ思うが言葉にならない。

落丁の多い記憶
過去にいつかどこかで起きた出来事が、抄った砂が手のひらから零れ落ちるように頭から抜け落ちているのを近頃よく感じる。例えるならドーナツの真ん中に穴が空いていると認識しているような状態で、食べ終えてしまえばその穴さえ虚空へ消えてしまう。膨大な記憶の中に人は生きている、と言ったのは誰だったか。きっと、気張って過去なんか背負わなくても、どうしようもない昨日を笑って不確かな明日を信じて過ごせるなら、いつか訪れる断絶の時を怖れずに受け入れつつやっていけるなら、様々な流れの中へ其処に在った軌跡を残せるなら。それは決して空ろな一幕劇なんかではなかったと言えるはず、それなのに。
ひとりで在ること
学生の頃、所属していた経済研究サークルの同期の子から「君はとても鋭い」と言う風なことを言われた事がある。「人をとてもよく見ているね、でも自分もそんな風に見られているのかと思うと少し怖い」とも言われた。当時それが少し悲しかった。無意識のうちにコミュニティの輪から一歩退いた場所にいる自分を否応なしに認識させられた上に、悪意のないいささかの畏怖を纏った拒絶を感じたからだ。仲間と交わす議論は面白かったけれど、そんな輪の内で時折気付かされる孤独ってのは、雑踏の中でふと立ち止まる瞬間のように寂しい。いつしか僕は少しずつ同期達と距離を置くようになり、とうとう何も言い残さずにサークルと大学を去った。あの時分に感じていた孤独とは何だったのだろうと今でもたまに考える。
『……そのころぼくは二十歳だった。二十歳は退屈な年だ。若いというのはすくなく、苦く、うつろなことだ。その年で生きているのが楽しいという人間を、僕は信用しない。……』娼年(石田衣良 著)
一体、あの寂しさや空しさは若さにありがちなただの感傷だったのか。まさか僕はおセンチな煽りなどのために幾度も死にかけ彼岸を見たのだろうか。何れにせよ月日は瞬く間に流れ去り、現在の僕は程よい孤独に存外の居心地の良さを見出して、遠くなってしまった彼らの背中を時々振り返る。
若さの特権
mixiの出来婚バツイチなマイミクさんが、恋がしたい、とか、誰かと暮らしたくなっちゃった、とか、次の彼氏のスペック*女性向け診断なんて書き連ねている日記を読むにつけ、彼女の元旦那が引き取っていったという赤子の将来を案じてみたりするなど下世話な話で。
甘い水、辛い水
先日、死にたがってばかりの友人を突き放して批判した。僕は、親友ならば時として必要に応じ手厳しく接する事もあるのが健全な付き合い方だと思っている。けれどもそんな僕の声は鬱屈し過ぎた彼の耳には届いていないらしい。都合の良い馴れ合いや自棄っぱちの煽り合いは忽ち人を腐らせる。死にたいなら誰からも忘れ去られてからにしてくれと率直に言えない僕は甘いだろうか。そもそも僕に他者を批判する資格なんてあるのか。人はそれぞれ、なんて体のいい言葉に逃げるつもりはないけれど、彼が僕の言葉を受け入れないのならばそれも彼の在り方だし、少なくとも僕は僕自身の持つ善意好意義憤から彼に接したつもりで、そこには十分に確かな理解や道理などが欠けていたかも知れない。「人の友たるものは、推察と沈黙の、熟達者でなければならぬ」。ともかく生きていてくれ、いつか時が癒してくれるさ、なんて陳腐で残酷な神頼み。悲しいかな、沙漠を内に蔵する者は。人づてに頼まれてもいるけれど僕だけの力じゃもうどうにもならない。
昨今の視聴者の現実離れ
毎回必ず人が殺される刑事ドラマを見るのが楽しみな母の心の健康を密かに疑い始めた今日この頃。
何を見てもそればかり思い出す
ちょうど一ヶ月後が父の十三回忌にあたる事を思い出した。父は社労士を兼業する技術者であると共に君子蘭の栽培と品種改良に関するセミプロで、名もない新品種を幾つか遺し癌で逝った。その影響で僕は一頃、農学の道へ進んで雪割草の専門家になりたいと夢見ていた時期がある。昨年の盆、父の学生時代の友人が墓参りにやってきて、彼らが若かった頃の思い出話に花が咲いた。故人を忘れずにいてくれる人がいる。ありがたい事だ。膨大な記憶の中に人は生きている、と言ったのは誰だったか。父が二十年以上昔に興した会社も平成不況の波に攫われながらニッチな需要に活路を見出し今でも何とか存えている。様々な流れの中へ其処に在った軌跡を残して去った父は最期まで偉大だった。この時期の、肌寒く静かで眠れぬ今日のような夜に、あの頃の事ばかり思い出そうとしている自分がいる。
愛情の天秤
『セルロイドの人形に魂が入る事だってあるんだぜ? まして奴は脳医学用のデバイスを詰め込めるだけ詰め込んでるんだ。魂が宿ったって不思議はねぇさ』(攻殻機動隊 -GHOST IN THE SHELL-)
世の中のおそらく大多数の人々が彼らの家族や伴侶や仲間を大切に思うように、或いは養っている生きものを慈しむように、はたまた手間暇掛けた車やバイクに夢中になるように、それらと同じ重さで僕はただ、でっかいアクリルと綿のかたまり達を心あるものとして愛でているだけなのに。美少女フィギュアとやらに萌える事がもはやステータス化されようかという現代に於いて、片やぬいぐるみを抱かぬと眠れぬ厄年男の僕は馬鹿だ幼稚だ金の無駄遣いだと侮蔑されている。納得し難い。我が家とこの国の正義は一体これからどこへ向かうのだろうか。
それらはきっと等しく正しい
「欠落や喪失を糧としてしか創作ができない人種というのはいて、私もその類の人間です。」
「喪失を原動力にしている人間には何も期待してはいけない。どこまでも空っぽの思い出しか持っていないから。」
互いに面識のない、質の高い文章を書く物書き同士のこのように見事な意見の齟齬を見掛けて、僕は何かを喪失した事はあっただろうかと少し考え、ああ、喪失した事自体を喪失しているらしいからどうしようもないよねという割合楽観的な結論に達した。
唖の鴎はさまよいつづける
初め、このサイトを含めたWeb上での立ち居振る舞いに際して、はなからご大層な主義主張や動機などは持ち合わせていなかった。ただ、自分自身の存在の軌跡を確認出来て、その上で一握りの見知らぬ他者にそれを幾らかでも知って貰えたなら、そういうごく僅かな願望からWebの各種コミュニティに属している、というのはおそらく正しい。僕は少々退屈な僕だけに許された人生の暇潰しに耽っているばかりだから、残念ながらそれらはきっと「あなた」にとっては何の娯楽にもなりえないだろう。僕が自分の欲求に素直になればなるほどに、それらはより退屈で無感動で誠実さに欠けた見苦しいだけのものとなる、そんな確信めいたものがある。座右の銘の「欲望に忠実であれ」とはつまりそういう事だ。随分と身勝手で体の良い願望だと思っている。でも、「あなた」に迷惑を掛けるような事だけはきっと無いから、あったとしてもほんの僅かな間「あなた」の意識の隅っこを小川の朽ち葉のように流れ去っていくだけで、僕もそれで十分満足するし、どうか気に留めずに頂ければと思う。所詮は唖の鴎。沖をさまよい何を待つやら、けれども無言で、さまよいつづける。それだけの事。僕はいつでもどこでも何かしら、ささやかな希望を胸に待ち続けている。

2011年1月11日(火)

猫のサキさんお気に入りのブログを読んでいたところ、猫が部屋に入れろと騒ぎ立ててきた。毎度のことながらこいつは暇なんだろうか、いつも音楽の流れている場所が好きなんだろうか、とごちゃごちゃ考えながら招き入れてやった。猫は早速セミハイベッドへよじ登って、一瞬だらしなくぶらんと布団からぶら下がって、それから何もなかったような目付きでいるかときつねのぬいぐるみの脇へ陣取った。

この猫、名前をサキという。関西の方で学生生活を送っていたころペットショップで買ってきた猫で、子猫のころは良く懐いて寒い晩など一緒に布団の中に入れてやったりしたものだが、成猫になってからはなんとも素っ気ない性格に育ってしまった。大人の猫というのはみんなこうなんだろうか。

この文章を書いている最中にも部屋から出せとせがんだり、また入れろと騒いだり、気まぐれ一つで人を動かしている。僕は他人の気まぐれに付き合うのがおっくうな方なのだが、猫なのだから仕方がない。僕が晩ご飯に手を付ける時など、必ずヒーターの前からのそのそとやって来て、脇で黙って座っている。少しよこせと言いたいらしい。一緒に席に着いている家族に対してはそういう事をしないから、僕はガードが堅くないと思われているんだろうなあ。

話変わって、三月から簿記の資格を取るための学校に通うかも知れない。講座の案内パンフがそろそろ届くころだ。六月と十一月に試験があるらしいことはググってから知った。勉強するなら一発で受かりたい。勉強なんて大嫌いな僕だが、もうじきやらねばならない事も増えてくるだろう。今年の目標は少しずつのステップアップだ。

2011年1月6日(木)

病院へ行ってきた。木曜の診察は午前の間だけなので、少し急いで原付を飛ばす。

去年の年末に貰った新しい薬が僕の体には合わなかったので、余った薬を医師に返して変更して貰った。この新しい薬、いや、処方としては古い部類なのだが、少し多めに飲むと体中の腱が痙攣して異常な疲労感に苛まれるという事が二度あったので、もう三度は飲まぬと決意した。Webを漁っても情報があまり出てこないのであまり好まれる薬ではないんだろう。

病院を出て、ふらふらと百貨店へ向かった。ちょっと良いコーヒーを買う時はいつもここのKEYCOFFEEで買うようにしている。モカとトアルコ・トラジャを200gずつ、細かく挽いて貰った。

それから高級な紅茶とジャムを買った。ちょうどこの時期が母の誕生日にあたり、母は紅茶とパンが大好きで毎朝それを食すので、贈り物がてら渡すためだ。品の良い紙袋に移し替えて渡したのだが、気に入ってくれたかどうか。

昨日Amazonで歴史秘話ヒストリア オリジナル・サウンドトラックとKalafinaのstoriaを購入した。正月の夜、夜更かしをしていてふとつけたテレビのNHKで見掛けた歴史秘話ヒストリアという番組の曲がとても佳かったので思わず買ってしまって、改めて聴いてみるとやはりよい。梶浦由記率いるユニットのKalafinaというのが気になってstoriaというシングルも聴いてみたが、こういう雰囲気の音楽は非常に好みだ。調べてみるとニューエイジというジャンルに近いものであるらしい。リンク先のWikipediaにはお気に入りなピアノ演奏家の久石譲や坂本龍一などが並んでいて、ふむと思った。

以前の僕はピアノジャズやクラブミュージックに類するものを良く聴いていたのだが、いつしかいわゆるヒーリング、環境音楽や自然の背景音楽を転々として上記のニューエイジにたどり着いた訳だ。僕の友人の二人はギターをやっていて、彼らは自宅へ遊びに来るとロックの話題で盛り上がったりするのだが、僕はロックなんて全く知らないので「レッド・ツェッペリンって凄いのかい?」などと常識の明後日な質問で彼らを困らせたりしている。そんな風に偏った音楽の聴き方をする僕だからニューエイジというジャンルを知らなかったもの致し方ないのだが、この音楽の枠組みはとても広い間口を持ったものらしいので、少しずつ開拓していこうと思う。

話は変わるが、未だに僕はクラシック音楽を聴きたいという気持ちになった事がない。有り体に言うところのJ-POPもあまり好みではないから、カラオケへ連れ出される事があってもすぐに聞き手に回ってしまう。なぜだか僕は子供のころから定石や流行というものに疎く、たとえば小学校中級生のころ友達に貸して貰ったゲームボーイのポケモンが初めてゲーム機に触った折だったのだが、何が面白いのか分からなくてすぐに返してしまった。クラシックしかり、世間や世代の定石と僕の感性がずれているんだろうなあと思う。まあそれでも、自分一人で楽しむ事を知っているから僕はあまり悲しくはない。

カラオケで思い出したので書いておこう。関西の方で暮らしていた頃、祇園のクラブでホストのバイトをやっていた時期があった。バイトだからキャッチや接客より雑事を言い付けられる事の方が多かったのだが、お付き合いでトークをかましたり無理矢理カラオケを歌わされることも良くあった。女性客相手にはこれを歌っておけば満足してもらえるだろう、という流行歌のことなんて全く知らなくて、必死にうろ覚えの映画の主題歌とかを歌ったりした。流行後れで音痴なのをうらやんだのはこのとき限りだ。出勤で下宿先を出るのが午後七時、箱へ向かう道すがら必ずバーで一杯煽って、仕事が終わり自宅へ帰るのが午前八時。シャンパンコールなんか日常茶飯事だったからしばらくして肝臓を壊しかけてバイトを辞めた。ただ、一人だけ僕を直接指名してくれた人がいて、その人とはしばらく交流があった。真面目な事にも耳を傾ける人で、その人の家に遊びに行った時にはうさぎを飼っていた記憶があるが、今は何をしているんだろうな。クラブの先輩たちも体育会系の一匹狼ばかりで厳しかったけれど、面倒見が良くて優しくもあった。みんなみんな、今頃何をしているだろうか。

2011年1月1日(土)

玉藻稲荷神社で年越しをした。正確には家を出る時除夜の鐘がなっていたので、新年を過ごしたと言うべきか。

稲荷では割合大勢の地元の方々が集まって、飾り物の熊手等を売ったり焚き火で暖を取ったりしていた。ライトアップされた社殿へ上って、お賽銭と二礼二拍一礼。賽銭箱の脇には油揚げやお酒が供えられていた。

お守り昼過ぎ。家族の用事で出掛けたため、ついでに那須神社へ寄る事に。那須神社の隣の道の駅は休みだった。かき入れ時なのになあ……市営だから商売ごとに熱心でないのだろう。

那須神社は人でごった返していた。並んで待つ事しばし、やはりお賽銭とお礼をして健康を祈る。脇におみくじがあったのでやってみた。中吉。病気は「長期になるかも知れないから用心すべし」と書かれていた。近くの綱に結んでおしまい。

少し戻ったところでお守りや甘酒を売っている広場へ。上の写真のお守りを買い、甘酒を貰って焚き火に当たる。しみじみと暖かい。そのうち甘酒を飲み干して紙コップを火に投げ入れ、燃えるところを眺めていた。

その後買い物をしてうちへ帰ってきた。何事もなく過ぎていった元旦だったなあ。今年は平和な一年になりそうだ。