物語の端切れ

「諦める事」
彼女は毅然とした口調でそう言い放った。
「諦めて、きれいさっぱり忘れて、もう二度と思い出さない事」
返す言葉も見つからず、私は運ばれて来たばかりのティーカップに目を落とした。     ──『それぞれ人は』

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137...

Days gone by - 2011 First half

2011年1月1日

玉藻稲荷神社で年越しをした。正確には家を出る時除夜の鐘がなっていたので、新年を過ごしたと言うべきか。

稲荷では割合大勢の地元の方々が集まって、飾り物の熊手等を売ったり焚き火で暖を取ったりしていた。ライトアップされた社殿へ上って、お賽銭と二礼二拍一礼。賽銭箱の脇には油揚げやお酒が供えられていた。

お守り昼過ぎ。家族の用事で出掛けたため、ついでに那須神社へ寄る事に。那須神社の隣の道の駅は休みだった。かき入れ時なのになあ……市営だから商売ごとに熱心でないのだろう。

那須神社は人でごった返していた。並んで待つ事しばし、やはりお賽銭とお礼をして健康を祈る。脇におみくじがあったのでやってみた。中吉。病気は「長期になるかも知れないから用心すべし」と書かれていた。近くの綱に結んでおしまい。

少し戻ったところでお守りや甘酒を売っている広場へ。上の写真のお守りを買い、甘酒を貰って焚き火に当たる。しみじみと暖かい。そのうち甘酒を飲み干して紙コップを火に投げ入れ、燃えるところを眺めていた。

その後買い物をしてうちへ帰ってきた。何事もなく過ぎていった元旦だったなあ。今年は平和な一年になりそうだ。

2011年1月6日

病院へ行ってきた。木曜の診察は午前の間だけなので、少し急いで原付を飛ばす。

去年の年末に貰った新しい薬が僕の体には合わなかったので、余った薬を医師に返して変更して貰った。この新しい薬、いや、処方としては古い部類なのだが、少し多めに飲むと体中の腱が痙攣して異常な疲労感に苛まれるという事が二度あったので、もう三度は飲まぬと決意した。Webを漁っても情報があまり出てこないのであまり好まれる薬ではないんだろう。

病院を出て、ふらふらと百貨店へ向かった。ちょっと良いコーヒーを買う時はいつもここのKEYCOFFEEで買うようにしている。モカとトアルコ・トラジャを200gずつ、細かく挽いて貰った。

それから高級な紅茶とジャムを買った。ちょうどこの時期が母の誕生日にあたり、母は紅茶とパンが大好きで毎朝それを食すので、贈り物がてら渡すためだ。品の良い紙袋に移し替えて渡したのだが、気に入ってくれたかどうか。

昨日Amazonで歴史秘話ヒストリア オリジナル・サウンドトラックとKalafinaのstoriaを購入した。正月の夜、夜更かしをしていてふとつけたテレビのNHKで見掛けた歴史秘話ヒストリアという番組の曲がとても佳かったので思わず買ってしまって、改めて聴いてみるとやはりよい。梶浦由記率いるユニットのKalafinaというのが気になってstoriaというシングルも聴いてみたが、こういう雰囲気の音楽は非常に好みだ。調べてみるとニューエイジというジャンルに近いものであるらしい。リンク先のWikipediaにはお気に入りなピアノ演奏家の久石譲や坂本龍一などが並んでいて、ふむと思った。

以前の僕はピアノジャズやクラブミュージックに類するものを良く聴いていたのだが、いつしかいわゆるヒーリング、環境音楽や自然の背景音楽を転々として上記のニューエイジにたどり着いた訳だ。僕の友人の二人はギターをやっていて、彼らは自宅へ遊びに来るとロックの話題で盛り上がったりするのだが、僕はロックなんて全く知らないので「レッド・ツェッペリンって凄いのかい?」などと常識の明後日な質問で彼らを困らせたりしている。そんな風に偏った音楽の聴き方をする僕だからニューエイジというジャンルを知らなかったもの致し方ないのだが、この音楽の枠組みはとても広い間口を持ったものらしいので、少しずつ開拓していこうと思う。

話は変わるが、未だに僕はクラシック音楽を聴きたいという気持ちになった事がない。有り体に言うところのJ-POPもあまり好みではないから、カラオケへ連れ出される事があってもすぐに聞き手に回ってしまう。なぜだか僕は子供のころから定石や流行というものに疎く、たとえば小学校中級生のころ友達に貸して貰ったゲームボーイのポケモンが初めてゲーム機に触った折だったのだが、何が面白いのか分からなくてすぐに返してしまった。クラシックしかり、世間や世代の定石と僕の感性がずれているんだろうなあと思う。まあそれでも、自分一人で楽しむ事を知っているから僕はあまり悲しくはない。

カラオケで思い出したので書いておこう。関西の方で暮らしていた頃、祇園のクラブでホストのバイトをやっていた時期があった。バイトだからキャッチや接客より雑事を言い付けられる事の方が多かったのだが、お付き合いでトークをかましたり無理矢理カラオケを歌わされることも良くあった。女性客相手にはこれを歌っておけば満足してもらえるだろう、という流行歌のことなんて全く知らなくて、必死にうろ覚えの映画の主題歌とかを歌ったりした。流行後れで音痴なのをうらやんだのはこのとき限りだ。出勤で下宿先を出るのが午後七時、箱へ向かう道すがら必ずバーで一杯煽って、仕事が終わり自宅へ帰るのが午前八時。シャンパンコールなんか日常茶飯事だったからしばらくして肝臓を壊しかけてバイトを辞めた。ただ、一人だけ僕を直接指名してくれた人がいて、その人とはしばらく交流があった。真面目な事にも耳を傾ける人で、その人の家に遊びに行った時にはうさぎを飼っていた記憶があるが、今は何をしているんだろうな。クラブの先輩たちも体育会系の一匹狼ばかりで厳しかったけれど、面倒見が良くて優しくもあった。みんなみんな、今頃何をしているだろうか。

2011年1月11日

猫のサキさんお気に入りのブログを読んでいたところ、猫が部屋に入れろと騒ぎ立ててきた。毎度のことながらこいつは暇なんだろうか、いつも音楽の流れている場所が好きなんだろうか、とごちゃごちゃ考えながら招き入れてやった。猫は早速セミハイベッドへよじ登って、一瞬だらしなくぶらんと布団からぶら下がって、それから何もなかったような目付きでいるかときつねのぬいぐるみの脇へ陣取った。

この猫、名前をサキという。関西の方で学生生活を送っていたころペットショップで買ってきた猫で、子猫のころは良く懐いて寒い晩など一緒に布団の中に入れてやったりしたものだが、成猫になってからはなんとも素っ気ない性格に育ってしまった。大人の猫というのはみんなこうなんだろうか。

この文章を書いている最中にも部屋から出せとせがんだり、また入れろと騒いだり、気まぐれ一つで人を動かしている。僕は他人の気まぐれに付き合うのがおっくうな方なのだが、猫なのだから仕方がない。僕が晩ご飯に手を付ける時など、必ずヒーターの前からのそのそとやって来て、脇で黙って座っている。少しよこせと言いたいらしい。一緒に席に着いている家族に対してはそういう事をしないから、僕はガードが堅くないと思われているんだろうなあ。

話変わって、三月から簿記の資格を取るための学校に通うかも知れない。講座の案内パンフがそろそろ届くころだ。六月と十一月に試験があるらしいことはググってから知った。勉強するなら一発で受かりたい。勉強なんて大嫌いな僕だが、もうじきやらねばならない事も増えてくるだろう。今年の目標は少しずつのステップアップだ。

2011年1月17日

あれこれ思うが言葉にならない。

落丁の多い記憶
過去にいつかどこかで起きた出来事が、抄った砂が手のひらから零れ落ちるように頭から抜け落ちているのを近頃よく感じる。例えるならドーナツの真ん中に穴が空いていると認識しているような状態で、食べ終えてしまえばその穴さえ虚空へ消えてしまう。膨大な記憶の中に人は生きている、と言ったのは誰だったか。きっと、気張って過去なんか背負わなくても、どうしようもない昨日を笑って不確かな明日を信じて過ごせるなら、いつか訪れる断絶の時を怖れずに受け入れつつやっていけるなら、様々な流れの中へ其処に在った軌跡を残せるなら。それは決して空ろな一幕劇なんかではなかったと言えるはず、それなのに。
ひとりで在ること
学生の頃、所属していた経済研究サークルの同期の子から「君はとても鋭い」と言う風なことを言われた事がある。「人をとてもよく見ているね、でも自分もそんな風に見られているのかと思うと少し怖い」とも言われた。当時それが少し悲しかった。無意識のうちにコミュニティの輪から一歩退いた場所にいる自分を否応なしに認識させられた上に、悪意のないいささかの畏怖を纏った拒絶を感じたからだ。仲間と交わす議論は面白かったけれど、そんな輪の内で時折気付かされる孤独ってのは、雑踏の中でふと立ち止まる瞬間のように寂しい。いつしか僕は少しずつ同期達と距離を置くようになり、とうとう何も言い残さずにサークルと大学を去った。あの時分に感じていた孤独とは何だったのだろうと今でもたまに考える。
『……そのころぼくは二十歳だった。二十歳は退屈な年だ。若いというのはすくなく、苦く、うつろなことだ。その年で生きているのが楽しいという人間を、僕は信用しない。……』娼年(石田衣良 著)
一体、あの寂しさや空しさは若さにありがちなただの感傷だったのか。まさか僕はおセンチな煽りなどのために幾度も死にかけ彼岸を見たのだろうか。何れにせよ月日は瞬く間に流れ去り、現在の僕は程よい孤独に存外の居心地の良さを見出して、遠くなってしまった彼らの背中を時々振り返る。
若さの特権
mixiの出来婚バツイチなマイミクさんが、恋がしたい、とか、誰かと暮らしたくなっちゃった、とか、次の彼氏のスペック*女性向け診断なんて書き連ねている日記を読むにつけ、彼女の元旦那が引き取っていったという赤子の将来を案じてみたりするなど下世話な話で。
甘い水、辛い水
先日、死にたがってばかりの友人を突き放して批判した。僕は、親友ならば時として必要に応じ手厳しく接する事もあるのが健全な付き合い方だと思っている。けれどもそんな僕の声は鬱屈し過ぎた彼の耳には届いていないらしい。都合の良い馴れ合いや自棄っぱちの煽り合いは忽ち人を腐らせる。死にたいなら誰からも忘れ去られてからにしてくれと率直に言えない僕は甘いだろうか。そもそも僕に他者を批判する資格なんてあるのか。人はそれぞれ、なんて体のいい言葉に逃げるつもりはないけれど、彼が僕の言葉を受け入れないのならばそれも彼の在り方だし、少なくとも僕は僕自身の持つ善意好意義憤から彼に接したつもりで、そこには十分に確かな理解や道理などが欠けていたかも知れない。「人の友たるものは、推察と沈黙の、熟達者でなければならぬ」。ともかく生きていてくれ、いつか時が癒してくれるさ、なんて陳腐で残酷な神頼み。悲しいかな、沙漠を内に蔵する者は。人づてに頼まれてもいるけれど僕だけの力じゃもうどうにもならない。
昨今の視聴者の現実離れ
毎回必ず人が殺される刑事ドラマを見るのが楽しみな母の心の健康を密かに疑い始めた今日この頃。
何を見てもそればかり思い出す
ちょうど一ヶ月後が父の十三回忌にあたる事を思い出した。父は社労士を兼業する技術者であると共に君子蘭の栽培と品種改良に関するセミプロで、名もない新品種を幾つか遺し癌で逝った。その影響で僕は一頃、農学の道へ進んで雪割草の専門家になりたいと夢見ていた時期がある。昨年の盆、父の学生時代の友人が墓参りにやってきて、彼らが若かった頃の思い出話に花が咲いた。故人を忘れずにいてくれる人がいる。ありがたい事だ。膨大な記憶の中に人は生きている、と言ったのは誰だったか。父が二十年以上昔に興した会社も平成不況の波に攫われながらニッチな需要に活路を見出し今でも何とか存えている。様々な流れの中へ其処に在った軌跡を残して去った父は最期まで偉大だった。この時期の、肌寒く静かで眠れぬ今日のような夜に、あの頃の事ばかり思い出そうとしている自分がいる。
愛情の天秤
『セルロイドの人形に魂が入る事だってあるんだぜ? まして奴は脳医学用のデバイスを詰め込めるだけ詰め込んでるんだ。魂が宿ったって不思議はねぇさ』(攻殻機動隊 -GHOST IN THE SHELL-)
世の中のおそらく大多数の人々が彼らの家族や伴侶や仲間を大切に思うように、或いは養っている生きものを慈しむように、はたまた手間暇掛けた車やバイクに夢中になるように、それらと同じ重さで僕はただ、でっかいアクリルと綿のかたまり達を心あるものとして愛でているだけなのに。美少女フィギュアとやらに萌える事がもはやステータス化されようかという現代に於いて、片やぬいぐるみを抱かぬと眠れぬ厄年男の僕は馬鹿だ幼稚だ金の無駄遣いだと侮蔑されている。納得し難い。我が家とこの国の正義は一体これからどこへ向かうのだろうか。
それらはきっと等しく正しい
「欠落や喪失を糧としてしか創作ができない人種というのはいて、私もその類の人間です。」
「喪失を原動力にしている人間には何も期待してはいけない。どこまでも空っぽの思い出しか持っていないから。」
互いに面識のない、質の高い文章を書く物書き同士のこのように見事な意見の齟齬を見掛けて、僕は何かを喪失した事はあっただろうかと少し考え、ああ、喪失した事自体を喪失しているらしいからどうしようもないよねという割合楽観的な結論に達した。
唖の鴎はさまよいつづける
初め、このサイトを含めたWeb上での立ち居振る舞いに際して、はなからご大層な主義主張や動機などは持ち合わせていなかった。ただ、自分自身の存在の軌跡を確認出来て、その上で一握りの見知らぬ他者にそれを幾らかでも知って貰えたなら、そういうごく僅かな願望からWebの各種コミュニティに属している、というのはおそらく正しい。僕は少々退屈な僕だけに許された人生の暇潰しに耽っているばかりだから、残念ながらそれらはきっと「あなた」にとっては何の娯楽にもなりえないだろう。僕が自分の欲求に素直になればなるほどに、それらはより退屈で無感動で誠実さに欠けた見苦しいだけのものとなる、そんな確信めいたものがある。座右の銘の「欲望に忠実であれ」とはつまりそういう事だ。随分と身勝手で体の良い願望だと思っている。でも、「あなた」に迷惑を掛けるような事だけはきっと無いから、あったとしてもほんの僅かな間「あなた」の意識の隅っこを小川の朽ち葉のように流れ去っていくだけで、僕もそれで十分満足するし、どうか気に留めずに頂ければと思う。所詮は唖の鴎。沖をさまよい何を待つやら、けれども無言で、さまよいつづける。それだけの事。僕はいつでもどこでも何かしら、ささやかな希望を胸に待ち続けている。

2011年1月21日

SQ30m部屋の掃除と本棚の整理に掛かりっきり。

七年ほど前から購読しているNATIONAL GEOGRAPHIC 日本版がそろそろ本棚を圧迫し始めた。付録のごちゃごちゃとした小雑誌を捨てればあと二年半は保つのだろうが、こういうときに思い切って捨てられないのが自分の駄目なところだ。そもそも捨てきれずにいる小雑誌にしたって、別の棚に移し替えればいいのだし。

それよりも、昨年の秋から年末にかけて買い込んだ中古本の類が呆れるほどの積ん読の山となっていて、数ヶ月近く放置していた自分にも呆れた。冬の寒さに引き籠もりがちになる事を予想して買い込んだのはいいが、今日のように思い立って整理整頓と読了を心がけていかないと部屋に足の踏み場もなくなる。以前書いたような気がするが、僕は収集癖持ちであり、その対象にはもちろん本や雑誌も含まれている。知る事と集める事を両立して満足させてくれる本に対して、僕は割合な愛情を抱いている。だから手放せない。以前Webのどこかで「書棚の育て方」という短編SFを読んだ記憶があり、いつかああいう書棚が欲しいなあと思う。

昨日、POCKET DIGITAL CAMERA "SQ30m"というトイデジを買った。

トイカメラと言えばHOLGAだが、僕は飽くまでおもちゃという性質にこだわってこのトイデジを選んだ。シャッターを押してから撮影まで数秒掛かる点が難だが、このトイデジは至ってコンパクトでシンプルだ。撮影モードにノイズやモノクロ、ビビッドといった選択肢があるのも遊び心を刺激してくれる。

魔女宅のジジ 犬のエリー ナショジオ

撮像素子195万画素というのは十数年以上前のデジカメと同じ程度の数字だ。その辺は割り切って使おうと思う。

2011年1月22日

今日は風もなく穏やかな日和だった。あちこち出掛けて道の駅那須与一の郷│栃木県大田原市のフリーマーケットを覗いてきた。帰宅後JAXAのサイトからH-IIBとHTV2の打ち上げlive中継を見る。

三羽のアヒル SkyHigh あしあと? 車庫

道の駅那須与一の郷│栃木県大田原市では、土曜日と日曜日の日中、広場で青空市というかフリーマーケットが開かれている。市に出されているものは様々で、骨董品、陶器や花瓶に置物、貴石やアクセサリ、古着、風水と姓名判断などなど、およそ「好きだからやっている」と呼べる出し物が居並んでいる。

まだ名無しの二人この道の駅は家に帰る途中たまたま通りかかったのだが、そういえば土日はフリマやってるんだった、と思い出して立ち寄った。初めは冷やかすだけのつもりがぬいぐるみを大々的に市に出しているところに出くわしてしまい、終始にやつきながら好ましいものを物色し、結局店の主にもオススメされたウサギを七百円×二人分、百円おまけの千三百円で譲って貰った。主の話によればこのウサギたちは初め真っ白ウサギを含めたトリオだったらしい。午前の間にその白ウサギだけ売れてしまい、残ったのが彼らなのだそうだ。三人組で揃えられなかったのが非常に残念だが、まあいいや。気に入った。

午後二時半ごろに行われるロケットの打ち上げ中継を見たかったので、丹念に他のぬいぐるみを探すのを諦めて家に帰ってきた。どのみちフリマは明日も開かれるはずだし、それが駄目なら一週間後だって、のんびり気長に矯めつ眇めつ見ていけばいい。

木彫りの母と子 招き猫のタグ 重たい木の化石 尾っぽを立てろ トンボ玉 ガラスの梟 青空市の或る風景 居並ぶぬい達

こうのとり2号機(HTV)とH-IIBロケット2号機の打ち上げ中継は数十分ほど前からネット配信で見ていて、エンジンとブースターに点火したかと思う暇もなくリフトオフし一瞬で空の向こうへ上っていった。プレスリリースによればHTVはこの後五日ほど掛けてISSとドッキングする計画との事。僕は以前、ISSとシャトルがランデブーしている最中の写真を撮った事があり、条件がよい夕刻ならば肉眼でもISSが天空を駆け抜けていく様子が観察出来るので、興味がお有りの方はJAXA 国際宇宙ステーションを見ようのページから情報をたぐってみると良いかも知れない。

2011年2月6日

二週間ぶりの更新になるか。義務に駆られてするものではないし、まだ気力に欠けているので手短に。

ここ二週間ほどだらだらと紅茶を飲み、夜になれば星を眺めたり、Twitterにボトルメールを流したりしていた。

アルコールランプ紅茶はフォションのチャイが美味しい。しかしコーヒーより割高だ。最近はコーヒー豆の相場価格が高沸しているらしいが、それでも高い。店頭で買うからそうなのであって、ネットの直輸入サイトを探せばいいのだが、とにかく美味しいものは譲れない。ハーブティーなどは手持ちの薬草辞典を頼りに少しずつ開拓している最中。マローブルーはあまり好みではなかった。

今使っているティーポットはカップ二杯分あり、淹れ立てを飲んでいるとポットの方が冷めてしまう。なので、小さい頃凝っていた化学の実験セットからアルコールランプを引き出して暖めるのに使っている。が、これがえらく油を食う。好きな時お茶を飲みたい、その好きな時には常に熱くなくてはならない、これを両立するとランプに火が付いたままの放置、となるので致し方はない。油にも種類があり、消毒用エタノールから工業アルコール、アロマ用の香りやら炎色付きのオイルなど色々ある。個人的には炎色付きオイルを安い工業アルコールで薄めて使ってみたいのだが、果たして混ざるものはあるだろうか。

おおぐま座周辺の星空夜空を見ていて覚えたのは北極星の見つけ方とおおぐま座の星の結び方である。北斗七星の柄杓の頭の二つ星を線で結んで延長していくと北極星がある。また、カシオペヤ座を二等辺三角形にすぼめて行くと先の線と交差して天の北を指す。北極星は確か二等星なので少々目立たない。おおぐま座の尻尾である北斗七星の柄の方にはアルコルとミザールがあり、これは見かけの二重星であるらしいのだが、僕の目が悪いのか、星が二つあるようには見えない。古代のギリシャだかどこだかでは目の良い兵士を選り分けるために、この二重星の陰のミザールを使っていたという話だ。この逸話は去年の秋にプラネタリウムで観た知識の受け売りではあるけれど、十分役に立っている。広角レンズ「PENTAX smc PENTAX-DA 15mm ED AL Limited」で撮った写真をレタッチソフトで加工しすると星が眩く浮かび上がる。僕の使っているデジ一「PENTAX K200D ver.1.00」は初心者用の入門機であり、まあ今の僕にはこれくらいでちょうど良いのだが、長時間露出撮影には向いていない(1/3000~30秒が限度)ので星が弧を描いて天空を巡る様子は撮れないでいる。上級機も欲しいことは欲しいし、魚眼レンズというのも使ってみたい。差し当たってこのデジ一での写真撮影に困る点は見当たらないし、魚眼レンズは手持ちのスマートフォン(WILLCOM 03 WS020SH)で実践済みなので、まあ良いだろうと思っている。

TwitterのボトルメールというのはこちらBottleTwit - つぶやきの海にボトルメールを流すの事だ。BottleTwitの仕組みは瓶の幾らかをサーバーにしまっておき、新しい瓶が出来た時に古い瓶から順に押し出され漂流して行くものらしい。だから瓶を流しても、誰か(若しくは自分)が一定数上書きしてくれないと自分の瓶はいつまで経っても流れていかない。BottleTwitのサービス開始日は2010/04/07らしくまだ一年も経っていないので、現時点では瓶が流れ出すのに大凡二、三日かかっている模様。もっと沢山の人が利用するようになると良いなあと思ったのでここに書き留めておく。

昨日は先の青空市へ行ってきた。前より人が多かったのはここしばらくお天気がよかったからだろうか。トイデジ「SQ30m」で色々冷やかしているとよく声を掛けられた。その小っこいのがカメラなのかい? という訳である。前に欲しかったもののH-IIB打ち上げ中継のため諦めた品、ぬいぐるみのあの猫を探して回った。化け猫アイコンメーカーのあの猫みたいな、といっても分からないのは当たり前なので、売り子の奥さんに「こんな目の形した灰色の寝転んでる猫」と説明して探して貰ったりはしたが、結局自分で見つけた。聞くところによるとこの猫、「チーズスイートホーム」という漫画・アニメのキャラクターであるらしい。後で自宅に帰ってからググるとまん丸に目を見開いたかわいらしい猫のイメージ画像が沢山出てきた。ただ、僕が気に入ったのはぬいぐるみの下弦の月な目付きの方である。

街灯と空 将棋の駒 ブッダなのか ミル 昔の看板 お多福 洗濯バサミ 二煎茶、与一の郷 大田原とうがらしソース 白梅 ネコヤナギ 大田原産コシヒカリ2000円 味噌と練り合わせてご飯に チーズスイートホーム 青空市の雑踏 まめだぬき……? 古銭コレクション ウミガメの子 公衆電話 ゆうびん 普通の石ころに見えたのですよ。

自宅に帰ってSQ30mで撮った写真を整理していて、あの市のあちこちで撮った貴石の写真がお日さまの下で見たのとでは違っていることに気付いた。確か貴石には太陽光と蛍光灯とで変色効果を持つアレキサンドライトAlexandriteや、観察する角度で二色性を持つダイクロアイトDichroiteなどがあるのは図鑑で見て知っているが、無色透明な水晶も撮る角度や光の加減で群青の青に写ったり紺碧の緑や茶色の縞が写っている。デジタルな機械の目と人間のそれとの違いについてなど初めて知った。記憶違いでなければデジ一のレンズフィルタには偏光する類のものがあったはず。あれを使ったらどう映るだろう。

手短に書くと書いたが長ったらしくなってしまった。書くことそのものは僕の精神の健康でもあるので別段困らない。ただ簡潔にまとめる才があれば困らないだろうにと考えている。この雑記日記たちはそれなりに簡潔でもないし大して冗長でもない。ま、良いだろう。

2011年2月10日

SQ30mに取り付けた魚眼レンズ「K-180」携帯電話用レンズ「トダ精光『マグネットマウント』シリーズ」ポケデジ「SQ30m」に取り付けてみた。

各種レンズ今使っているスマートフォンWILLCOM 03にぶら下げていたトダ精光の携帯レンズがトイデジにも使えるのではと思いついたので、余っていたマウント用リングをSQ30mのレンズ面に貼り付けたところ、上手くぴったり張り付いた。携帯レンズにはマウント用リングが二種類が付属していて、大きい方は内径9mm外径15mm、小さい方は内8mmの外13mmだ。今回は何となく接着力がありそうな大きい方を貼り付けたが、もちろん装着するレンズはリングが大小どちらでも構わない。ただ、どうやらSQ30mには大きいリングの方がしっくり来る感じではある。

望遠レンズK-501(2.0倍角) ノーマルで撮った部屋の本棚 ワイドレンズK-701(0.5倍広角) 魚眼レンズK-180(0.2倍広角)手持ちのレンズで撮ってみた距離感の違い。左から、望遠レンズK-501(2.0倍望遠)、ノーマル(標準撮影)、ワイドレンズK-701(0.5倍広角)、魚眼レンズK-180(0.2倍広角/180度)。写っている部屋が汚い事についてはご勘弁を。左三つの写真は中央の何も取り付けないで撮ったものと大きな差はないが、魚眼レンズで撮った写真は極端なほど広々とした写りである。みっともないところまで写っていて、これでも部屋は片付けた方だ。恥ずかしい。

SQ30mのノーマル撮影と魚眼レンズK-180装着時での写り具合の違いを更に比較。それぞれで二枚とも、撮った時の立ち位置は違っていない。瓶ジャムの棚 魚眼レンズK-180装着時 ドラッグストア 魚眼レンズK-180装着時 駐車場 魚眼レンズK-180装着時駐車場の写真など遠近が極端に強調されているが、それが魚眼レンズの味なのだろう。先日の雑記でPENTAXのデジ一用の魚眼レンズを使ってみたいと書いたが、これでは使う機会がほとんど無いかも知れない。ただ、上級デジ一機があれば夜空の星の巡りを撮る時などにちょうど良いのではないか。詳しいことは各種レビューを見てないから分からないが、天空の星々を一枚の写真に収めたい時、周囲に遮る物がないのなら、極論魚眼のような超広角レンズが撮影には向いているはずだと思う。

今手元にある四つのレンズのうちマクロレンズK-400(4.0倍接写)はSQ30mでは扱いが難しい。装着して撮ってみると分かるが、ピントが上手く合わないのだ。SQ30mには接写モードがあり、このマクロレンズを付けて撮る場合は接写/ノーマルどちらでも写りに大差はない様子。上手くピントが合うのは4~5cmほどまでレンズを近づけて撮った時だ。

メーター マクロレンズK-400装着時(接写モード) チーズのぬいぐるみ マクロレンズK-400装着時(接写モード)SQ30mの接写モード撮影とマクロレンズK-400装着時(接写モード)での写り具合の違い。このマクロレンズK-400、トダ精光の製品紹介ページに書いてあるとおり、虫眼鏡的な使い方が少なくともSQ30mでは正しいらしい。焦点(ピント)が合う距離は自分で探すしかないわけだ。

僕がこの「マグネットマウント」のレンズを買ったのはもともと、WILLCOM 03 WS020SHの内蔵カメラに不満があったからで、ワイドレンズK-701などは普通の風景写真を撮る時心持ち広角で写せるので重宝している。魚眼レンズK-180とマクロレンズK-400の使い心地は微妙なところだ。使い時をその時々で判断する必要がある。望遠レンズK-501はこの場合器用貧乏な感じもする……近づいて撮りたい時のためにSQ30mには接写モードがあるわけで。ワイドレンズと併用するから別段構わないのだけれど。Amazonで売っている「トダ精光 ケ-タイレンズ」シリーズはコンデジやデジ一のレンズに比べれば格段に手頃な価格で購入出来、製品仕様は光学ガラスにアルミボディのmade in Japanという出で立ちなので、「手軽に本格的レンズを使って撮影してみたい」という方はこの辺りから始めてみるのも良いかも知れない。

余談になるが、僕のWILLCOM 03は大容量バッテリーを装備しているので、カメラのレンズの縁すぐそばにバッテリーカバーの出っ張りがある。マウント用リングの大きい方ではそれに引っかかってしまうため、径の違うリングを付属してくれたはからいには気をよくしている。トイデジにも色々あるだろうし、場合によってはレンズ付属の小さいリングでもはみ出してしまうかも知れない。そういう場合はねじを締める時使う平ワッシャーの小さいのをホームセンターで買ってきて接着してみるのが一番良いと思う。アルミ製は磁力でくっ付かないので、ステンレス製のものを探せばいいわけだが、ま、探せばあるだろう。

2011年3月1日

紅茶ネタで更新しようと思っているうちに月が変わってしまった。やれやれ。

リーフルのダージリン数ヶ月前から珈琲よりも紅茶を飲むようになったことをここでちらほら書いた記憶があるのだが、ここ一週間かそこらで本当に紅茶は美味しいかも知れないと思い始めた。今、隣の棚には紅茶葉の缶が既に五つもある。マスカテルだのウバだの何たら農園だのファーストフラッシュだのオータムナルだのBOPだのFTGFOPだの、にわかにはまだよく理解し切れていない表記がずらっと並んでいる。

こうなり始めた切っ掛けは二つある。一つはシルバーポットというネットのお店で安くチャイを仕入れようと思ったときに、ついでだからちょこっとだけ他の茶葉も買ってみようと思ったこと。もう一つは僕がごく個人的に応援している絵描きさん(サイトはこちら、所謂ケモノ絵メインなので苦手な人は注意)が久しぶりにpixivではなく自サイトを更新されて、そこのコンテンツに紅茶に関する紹介を載せていらしたこと。この二つだ。

ちょっと話がずれるが、初めシルバーポットから届いたマサラチャイには、胡椒とスターアニス・バニラが入っていなかった。そこでそこいらの店で買ってきた黒胡椒の実とその粗挽き・ハーブティーのペパーミントを適度に袋で混ぜて淹れてみたところ、中々美味しいじゃないかという結果になった。あとはアニスとバニラビーンズだが、これはブレンドする量としては少々お高いのではないかと思って躊躇している。まあ一缶50gやそこらで二千円する茶葉を幾つか大した躊躇いもなく買ってしまったのだから、どうとでもなってしまえとも思う。

話を戻す。シルバーポットで試しに購入したダージリンが気に入った、までは良かった。上記の紅茶のコンテンツを読み進めるうちに「もっと美味しい紅茶があるのだろうか」と考え始めてしまったのである。どうやらダージリンには季節ごとの違いや栽培農園の違いなど色々あるらしい。欲望に忠実であれ、という脳内のささやきのままに、気がつけば幾つかの紅茶葉を専門に扱っているお店、シルバーポットや紅茶舗 葉々屋リーフルダージリンハウスオンラインルピシアからパッケージやら缶やらが届いていた、という次第である。

以下、それぞれの紅茶を淹れ比べてみた感想。僕は紅茶に関してはにわかの素人なのであまり詳細なことは書きたくないのだが、これから先、もっと紅茶に詳しくなって舌も肥えてきて、本当に紅茶が好きなのだと言えるようになった時、そんな過去もあったなと振り返る為のメモとして書き記しておく。……余計なことだが、下手に知恵が付いたので覚えるために。以下に記す(S)FTGFOPというのはオレンジペコー(OP)のランクのこと。FTGFOPと書かれているのはオレンジペコーの分類の中でも「ファイン」で「ティーピー」で「ゴールデン・フラワリー」、要するに良いトコだけを選りすぐった葉っぱ、のこと。

条件は各茶葉ともスプーン大盛り二杯(7~8gほど)、お湯は近所の地下水脈から汲み上げられている水道水を沸かしたもの約350cc、抽出時間は5~6分。時間を計るのには3分と5分の砂時計を使った。一度淹れてみてからさらにもう一度自分に合っていそうな条件に微調整をしている。ダージリンの春・夏・秋摘み・ウバと順番に味わってみた感想。

……と、それぞれの紅茶の第一印象はこのようになった。決して気取るつもりでは無いことを、これを読む人がいたら了解して頂きたく思う。それと用語を調べている途中で、他者の主観の混じった感想に僕自身の感じた印象がどの程度影響されているか、その辺はきっと分からない。それでも自分で香りや味わいを楽しむぶんには構わないと思う。珈琲を飲まなくなって代わりに紅茶を入れるようになり数ヶ月経つが、何となくコーヒーメーカーで淹れていたのとは変わって、より美味しい紅茶を淹れる過程での試行錯誤が結構楽しい。上で挙げた絵描きさんのコンテンツに「紅茶のしぶみを楽しむにはある程度の慣れが必要で」「大人になると舌も変わる」「当初は苦いだけだったが戴くうちに楽しみ方が分かってきて」という旨のことが書いてあった。好きこそものの何とやら、ということだろう。僕は現在、紅茶もどうやら好きになりそうでいる。

そして、休題。

僕は以前去年の冬に、あるお気に入りの音楽を静止動画に編集してYouTubeへ投稿した。そして今年になりポケデジSQ30mを手に入れ、たまにその動画撮影機能を利用するようになった。そういうわけでこれはそのお気に入りを出しにした、今後YouTubeに上げるかも知れない動画を貼るための練習。良かったら聴いてみて欲しい。僕はこの音楽を珈琲や紅茶と同じ嗜好品として聴いている。たまに聴く事でより、実に味わい深い曲だなあと感じるのだ。音楽は人並みには聴いてきたつもりで、この「bayaka - Amanece(2003 ode music production remix)」は今の時点で僕の中での評価は一番か二番目のもの。これから先、より佳い曲に出会っても、この音楽の輝きが衰えることはきっと無いに違いない。

bayaka - Amanece(2003 ode music production remix)

2011年3月21日

今日は春分の日。明け方から小糠雨が降っている。

あの地震、東日本大震災や東北地方太平洋沖地震、East Japan Earthquakeなど様々に呼ばれているらしいが、あの3.11から疾うに十日が過ぎた。

Twitterで割かし呟いてしまったし、今、なにかを語るという気分にはあまりなれずにいる。未だに余震は続き、被災地で避難している方々は数十万のオーダーに及び、自宅から百キロやそこら先での原発事故という見えない脅威が暗雲のように立ち込めている。そんな状況の中で社会はいち早く現実へ立ち返り、ネットやテレビ、新聞などの各種メディアが日和見的な安心感を纏った煽りをまき散らし始めている。こんなときはしばらく情報から離れた方が良い。そう思ってこのサイトの配色を変える作業に取りかかった。昔弄っていた別のサイトで得た教訓──Webはスマートな構造であることが望ましい──のお陰で作業は数時間で終わってしまった。大して手の込んだことをやっているわけでもない。散らかりきった部屋の掃除は概ね済んでいるし、今降っている雨にはあまり濡れたくないし、こう揺れていては本を読む気も失せる。壊れた本棚の代わりが届くのはまだまだ先のことだ。なので、特段なんの宛もないのだが、とりあえず気を紛らわす為にお茶を淹れテキストエディタに向かっている。

猫は先ほどからこの部屋のセミハイベッドの上で丸くなって寝ている。あの日は家族が出掛けていたちょうどその時で、地震の第一波が過ぎ去った直後に、僕は火の付いていない煙草をくわえたまま家のどこかで寝ていたはずの猫を探した。僕の呼びかけに洗面台の下であお、あおと鳴いて返した猫をデジ一と一緒に抱え、ガス栓とブレーカーを妙に落ち着きながら落として家を飛び出し、全部で三つの大揺れが収まるまでずっと抱きしめていた。それからだろうか、猫は僕のそばにいることが少し増えたように思う。まあ、僕がいないときは家族にくっ付いているそうだから少し怯えているだけだろうけれども。

外飼いの犬はあのとき、地面が動くことは多少不審に思ったのかも知れないが、しゃがんで頭を撫でてやると尻尾を振りいつものように散歩を要求したので、安心すると共に少々呆れたことを記憶している。しかしすぐあとで自分の掘った穴に引き籠もってしまい、中々出たがろうとはしなかった。もとは野良犬だったから勘が良いだろうかと思っていたが、あいつは自身の第六感もどろんこも同じくらい信頼しているらしかった。家の基礎が剥き出しになるくらいでっかく深く掘った穴だ。たぶん、雨が止んだらしい今も、気が向いては自分が収まる穴を掘っているんだろうか。

あの金曜日の前日に頼んでおいたルピシアのお茶とAmazonのCDは、ちょうど一週間後に届いた。そのお茶を淹れて音楽を聴きながら今を過ごしている。僕が住んでいる家はヒビこそあちこちに入りはしたけれど、倒れるようなことはなかった。いつぞやのモニタの向こうには津波に押し潰された家屋がみっしりと映っていた。僕は自分や僕の家族、殆どの知り合いや友人が怪我も負わず無事だったことに感謝している。その一方で、なにか、なにか後ろめたいものを自分自身に感じずにはいられない。きっと無事にやり過ごした人びとはみな、同じ意識を心のどこかに隠し持っているはず。ネットの一部ではそれを自粛ムードとか何とか呼び出来るだけ敬遠している様子だ。きっとそれが良いのだろう。各々が各々の生活にいち早く戻ることがなによりの復興だからだ。だが、目に見えない幾つかの脅威から抜け出せる日は一体いつになるやら分からない。今こうして先のことを考えながら、のんびりと雑記を書けているのはささやかな幸運だ。

休題。ルピシアのオンラインショップで三千円以上買い物をすると、お茶のカタログと一年間ティーバッグのサンプルが届く。おまけにその買い物で三つ、お茶の試供品が数多くの種類の中から選べる。前回はさくらんぼの香りの日本茶、マンゴーの香りの烏龍茶、桃の紅茶を戴いた。前回というのはそのおまけの美味しさに釣られてフレーバードティーを先日買い足したからだ。有名どころの紅茶はだいたい戴いてみて、紅茶ってこういうものなのかと少し分かりかけてきたところへ毛色の違うお茶たちに出会ってしまい、味覚や嗅覚への欲望と好奇心がむくむくと頭をもたげてきている。色を連想させるお茶や季節を感じさせるお茶、寝起きの朝に飲みたいものやおやすみの前に飲みたいものなど様々に感じられることがあり、自分好みな淹れ方のコツもだんだんに分かるようになってきていて、いつか誰かに淹れてみたいなどと思う。

雨露に濡れたクロッカスこれを書いている途中に昼食を挟んで家族とテレビを眺めていたところ、九日ぶりに救助されたという少年とその祖母の報道が目に入った。僕の心は次第にすれて醒めてきている。放送する方は感動的なドキュメンタリに仕立て上げようと躍起になってるんだろうな、などと考えていた。娯楽の箱の前でお腹いっぱい食べておいて自分の良心が虚しい。

書くこと自体は僕自身の精神の健康なのだが、あまり考えすぎるというのは今は止めた方が良さそうだ。幸い食欲は満たされた。ガソリンなどの燃料は明日から流通の見込みが立ったし、原付にもまだ半分以上入っている。ひとり、茨城県高萩市の友達を除いて、遠方の友人知人らとも安否の確認は取れた。あとは出来るだけ暖かくしてぬいぐるみを愛でているとしよう。初日の夜もでっかいきつねを抱いていたお陰で割合眠れたし、彼ら彼女らとは実に長い付き合いだ。何もかもが不確かで乏しいこの状況、ひとまずぬい達の肌触りの良さは信頼に値する。

春雷らしい。クロッカスが咲くのももうじきだ。

2011年3月27日

前の雑記で茨城の友達と連絡が取れないでいる事をちらりと書いた。先週の木曜にその友達と連絡が取れた事をここに書き留めておく。

Sさんその友達はSさんという。もう六十前後のお歳の方で、友達と書くと少し変に思われるかも知れないが、とにかく大切な人だ。去年の夏に自転車で茨城を旅行したとき海岸で出会って話し込み、そのまま一人暮しの彼の自宅に一晩泊めて戴いた。あのときは美味しい刺身とビールをたらふくご馳走になったなあ。気管支炎をこじらせながらの旅行で、夜中の三時ごろ僕の咳で二人が眠れずにいると、彼は嫌な顔もせず表へ連れて行ってくれた。家から1kmと離れていない海辺で男二人して夜明けが来るのを眺めていたっけ。随分と僕の体の調子を案じてくれた。

彼が暮らしているところはその茨城県高萩市の海辺からすぐそばにあり、あの近辺の港には4mを超える津波が押し寄せたと報道があった。あの夏の日に出会ったときSさんは、仕事が休みの日はよく海辺で過ごしているんだ、海が好きだからね、と語っていた。それを思い出して僕は心配だった。彼は鉄道職員で休みがいつなのか分からなかったし、自宅の電話番号は教えて貰っていたがそれをメモした手帖は部屋のごちゃごちゃのどこかだったからだ。そうこうしているうちに私事で日が経ってしまった。しばらくしてGoogleのGoogle Person Finder (消息情報): 2011 東日本大震災というサービスを見つけたので、それに覚えている限りのSさんの個人情報を入力した。そのすぐあとに手帖が見つかり、夕刻になって電話を掛けた。しばらくしてはっきりした声と繋がった。Sさんは無事だった。会社が混乱していてずっと自宅待機していたという。家の色んな物が痛んだけれども無事何もなく元気でいるよ、と言った。あれから海へ行きましたかと訊ねると行っていないと答えた。まだ危険だからという理由だったが、恐らく気持ちの整理など色々あるのだろう。近況を少し話し合い、落ち着いたらまたおいで、と彼は明るく言った。

海へ行ったことこれで僕の知りうる限りのつながりは全員、無事の確認が取れた事になった。嬉しい事だ。滋賀の友人にこちらの安否を知らせたとき、その人はこの状況下でむやみやたらに連絡する事が躊躇われて心配ばかりしていたと語った。遠方に知り合いのいる関東・東北の方は、まだであれば自分や周りの無事を伝えると良いのではないだろうか。人は互いに何かしら情報があると安心するものだ。それにこんなときは人と人との距離がぐっと縮まるものでもある。こういう事態でこそ誰彼の度量が試されるのだと思う。

そんなわけで、絶賛求職中な僕のコインがどこかで役に立つことを。

2011年04月11日(月)

あれから一ヶ月か。震災の少し前に予定していた縮毛矯正と髪のカットを先の土曜に済ませてきた。ひと月も放っておいたのはだらしがないが、ま、仕方がない。見た感じ相当こざっぱりしたと思う。これで心置きなく夜桜を観に行ける……もう幾日か先の話だけれど。

金曜の朝から今使っているパソコンのOS、Windows7 UltimateへServicePack1をインストールする作業に明け暮れていた。幾つかのエラーや障害などがあってアップデートは全く進まず、試行錯誤とぐぐる様のおかげで四日目にしてようやくサービスパックの導入に成功。以下、僕が導入成功までに行った手順を簡潔にまとめておく。これはSP1適用作業中のレジストリに関する致命的なエラーC000009Aや、不明なエラーコードWindowsUpdate_8024200d、0x8024200dなどのエラーを「既に吐かれた人向け」に、何かの手がかりになるかもしれないと思って書くもの。

Windows 7 Ultimate x64(64bit)無印版へServicePack1をインストール成功するまで。

休題。

カタクリの花先週の水曜日の朝、那珂川町のカタクリ山公園へ行ってきた。数日前に母が、今日ラスクを買いに行くついでに那須街道をぶらついてくるという話をしていた僕に、あんたと祖母をつれて片栗の花を見に行きたいのだが見頃はいつか調べて欲しい、と言うので幾つかのブログを漁った次第。過去のブログでは四月の11~13日辺りでは既に満開やや見頃を過ぎている、との事だった。祖母が早く見に行きたいといった事もあり、水曜日の早朝にカタクリ山公園へ向かった。

カタクリ山公園の駐車場はふきのとう畑の隣にあった。平日だからだろうか駐車場はがら空きで、去年や一昨年の満員御礼・駐車料金のお支払いも無かった。水芭蕉や一輪草は咲いてはいるが、まだこれからだという話をテントで談笑しているおっさんらに聞く。

小高い山を登っていくと木道があり、そこから一面にカタクリが咲いていた。ただばらつきがあり、まだ十時頃だというのに花がすっかり反り返ってしまっているものや、つぼみのままでいるものなど……全体的に見て八分咲きってところだろうか、今年の4/6の時点では。

それでも見に来る方々は比較的おり、夫婦してバズーカみたいなレンズ越しにごついカメラを覗いている人たちもいた。祖母が歩き疲れたというので斜面一面に花が咲いているところで写真を撮り、山を下りた。僕は水芭蕉も見たかったのだが、それなら地元に玉藻稲荷神社があるから、いつでも見に行けるしね。

帰りに那珂川町の道の駅ばとうへ立ち寄った。ここはトイレが実に綺麗なところだ。ランクで言えば上の中をつけたい道の駅。ちなみに道の駅・与一の郷おおたわらは並の上だ。道の駅ばとうで直売の農産品や惣菜を物色している間、とちおとめがよく売れていった。原子力発電所に関する風評はどうなのだろうと思って直売所をうろついていたが、みな気にせずに旬の野菜を買っていく。なあんだ、という感じで僕は程よく安心した。ま、先だって雨の降る中傘さして髪を切りに行ったりあちこちうろついていたのだから、普段見えないものを気にするたちではないのだが。

売店で桜もちや温泉パンなどを買い、外のベンチで三人してかしわ餅を食べ、一息ついて帰ってきた。風のない穏やかな日だったなあ。桜もちは桜酒と一緒にCD棚のお稲荷様に供えてある。

東京電力は当面の計画停電を実施しないと発表したし、おかげでパソコンを弄る暇も出来た。僕は僕の日常へ帰っていく、それでいい。震災から一ヶ月。いま、と打ったら午後2時47分、と変換が出た。少し瞑って、また歩きだそう。

2011年04月22日(金)

いろいろ思うことはあるが、考えるまでには至らない。葉桜が美しい。葉桜は何を待つのか。

病院の帰り道。本屋さんとジャンク屋へ立ち寄り、めぼしいものを物色する。本屋さんでは、魔方陣グルグルを描いていた人のその外伝「舞勇伝キタキタ」一~四巻と、「世界の終わりと夜明け前」という漫画を購入。後者は表紙買い。最近は本当に考える事をしないから、文庫本やハードカバー、専門書籍の棚には近寄らぬまま、会計を済ませた。ジャンク屋では9x系のWindowsが動きそうな筐体を探すが見つからない。ふと視界に入ったメトロノームをこっそりかちかちと揺らしてみて、少しだけ欲しくなる。必要の無いもの、必要とされるつもりの無いもの。僕はそういうものに愛おしさを感じる。ただ、これが今である必要もない。だいたい君は少々無骨だったから。

原付にガソリンを入れたのち喫茶店へ。アレンジコーヒーを飲みつつ煙草でぼんやり。サービスとはなんだろうかなどと下らない事に思考を巡らせる。たぶん対価を支払う値打ちのある空間や環境の提供といったものがそうなんだろうと結論づけて、花曇りな窓の向こう、交差点の往来を眺めていた。いつでもどこでも僕は、煙草を二本か五本吸ったらその場を立ち去る事にしていて、今日は五本潰した。お気に入りのライターを二つとも修理に出していたので百円ライターを使ったが、どうも気に入らない。据え置きの灰皿は底が若干浮いていて、灰を落とす度にことりと動いた。くつろぎながら静かに周りの物音を聞くのが好きなのだが、自分が音を立てるのはさして心地よいものではない。大して気分を害したわけでもない。百円玉五枚分のサービスを程よく味わったつもりになったところで店を出、帰途へ着いた。

家の郵便箱を覗くと先日Amazonの古本市場で買った「ネクロマンサー」と言う漫画の最終刊が届いていた。いつぞやここで書いた「できそこないの物語」。シリウスコミックスつながりでちらりとクロスオーバーするシーンがあり、孫引き感覚で買ったのだが、最終話を読んでこの漫画は少なくともはずれではなかったかなと思った。「本は出会い頭の妙」と言ったのは誰だったか。

休題。

Twitterとよく似た国産のショートメッセージSNS、Wassrを利用するようになってもうすぐ一年が経つ。SNSは何でもそうだがWassrというのは特に、共感と共有、繋がりを強調されたサービスだと感じる。簡単にレスを付けられる事、レスの代わりに「イイネ!」という意志表現の機能がある事が大きいのだろう。ツールの使い方なんて人のそれぞれで良い。けれど、一昔前のほめぱげ管理人がアクセスカウンタに一喜一憂していたのと同じ感覚で、僕はWassrへPostするときWassr受けが良いかどうかという事をいくらかでも考えたりしている。そういうのは多少疲れるし、楽しい時もある。きっと、さらりと日々の断片を屈託なくPost出来たなら。でもそれは、ネットと日常の関係が逆であって。

休むに似たりな思考の断片ってのは書いていても面白くはないし、読まれないものだ。TwitterもWassrもヱニスの名前で登録してある。貴方が気になったなら、そのときは、左のメニューからよろしくどうぞ。

そうそう。最近この前髪焦げたの更新の頻度が落ちているのは、わっさーとついったへぽつぽつ投稿しているから。先週は土手の野蒜を掘り出して食べたり、夜桜を見たりしていた。特に読まれるようなものでもないし、今日はこの辺でネタの断片を投下して、寝よう。

旅立ちのあとで
なあ……お前は村に残っても良かったんだぞ?
ぼくの背中の上でともだちが呟いた。なんだか自信のない声。おとつい村を出たときから、ずっとこんな調子。
どうしてお前はこんな俺の気まぐれに付き合ってくれるんだろうな。
どうしてって? 走るのは気持ちがいいし、眺めもいろいろ変わって飽きないからさ。ぼくはそう答えて緑いっぱいの川べりを大またのギャロップで駈けぬける。草むらを流れる風と、真上からふってくるお日さまの光。こんなにさわやかで気持ちがいいのにね。
そうだな。俺の旅には何の宛もないのに。
でも、とっても楽しいよ。それに、ともだちがともだちらしくないのはなんかヘン。元気だそうよ。どんどん濃くなるまわりの景色にあわせてぼくはさっきよりも力強く地面をけった。背中のともだちが格好をくずして、あわてた様子でぼくのくびすじにつかまる。
何だよ、今日はやけに張り切ってるじゃんか……全く、お前の言葉が分かれば本当に良いのにな。
ぼくは分かるよ。まだ知らないずっと遠くへ行くんだよね。しっかりつかまってて!

3.11の地震(東日本大震災)で綻んでしまった那須篠原玉藻稲荷神社

2011年04月23日(土)

貫が落ちた 滑り崩れた石段二十日、久しぶりに玉藻稲荷神社へ行ってきた。この辺りの桜も散り始める頃だからと、油揚と桜酒を持って出掛けてきたのだが、稲荷神社の様子は割合酷かった。社殿と狐塚、創建八百周年記念の朱の鳥居は何ともなかったが、あの地震で石の鳥居は貫(下の横棒)が落ち砕けていて、誰かが除けたのか柱の脇に並んでいた。石段は地面ごと滑ったかのように、や、その通りに崩れて石組みが緩んでいた。

倒れてしまった右のお狐様一番酷かったのは右のお狐様だ。お狐様が乗っていた何枚かの石と碑がまるごと倒れ、お狐様そのものは境内の端っこにちょこんと立っている有様だった。左のお狐様は何ともなかった様子。境内へ至る石段も右側の方が崩れ方は酷かったから、もともとその辺りの地面が柔だった事もあるのだろう。けれど、この近辺は3.11の三度の大揺れで最大震度六強を観測していたそうだ。すらりと背の高く立派にたたずんでいたあの両像が、片方だけでも無事なことに感謝するしかない。社殿に油揚を三切れお供えして、お賽銭と二礼二拍一礼。

水の抜けた鏡が池玉藻の前が正体を見破られ、矢で射貫かれたときの伝承の池、鏡が池も地震の影響を被っているらしかった。水がすっかり抜けて涸れていたのだ。この池は湧水池で、稲荷の手前の水芭蕉の原へそろそろと水を供給している、筈だった。地面の下の構造が違ってしまったのだろうか。湿地そのものはちょいと踏み込んでみると水が染み出してきたから、それらが枯れる事はすぐにはないだろう……けれど。

鳥居と狐塚祠狐塚の手前の鳥居は笠木も貫も倒れて、両の柱だけが立っていた。危険と書かれたテープが張ってあったが、ここまで酒を持ってきておいて帰るのも申し訳ないので、失礼しますと心で呟いてお供えをした。桜の花びらを閉じ込めたお酒だ。玉藻の前はもしかしたらちょっと苦手かもしれないな、なんて苦笑いしつつ。

石段の下、スタンプラリーの看板の前でざっと周囲を眺めてみて、これは当分元には戻らないだろうな、と思った。八百年以上存えていれば色々あっただろうが、今回の地震だってそれらに勝るとも劣らぬ天災だ。近所の氏子の方々が頑張ってくれる事を願うばかり。

ミズバショウ参道を戻って駐車場へ歩いて行くとき、砂利敷きの道のあちこちに桜の花びらがちらほらと落ちている事に気がついた。山桜だろうか。辺りをきょろきょろ見回してみても桜の木なんて無かったし、一体どこから舞い散ってきたんだろう。来たときは気付かなかったが、まさか、ね。

田園と桜在りし日の稲荷神社の事はこの「前髪焦げた」で少し書いたし、ある方がPicasaウェブアルバムに沢山写真をアップして下さっているので(リンク)、かつての玉藻稲荷に興味のある方は是非ご覧なって欲しい。それと、帰り道でのおまけ写真。田に水が入った。もう代搔きの季節だ。

2011年05月09日(月)

五月三日から六日まで、三泊四日の小旅行に出掛けていた。栃木の北の端っこから犬吠埼へ、そして茨城沿岸を北上するために、買い物かご付きの黄色い原付で出発。現地からの実況を少しばかりついったやわっさーへ投稿しているので、気になる奇特な方はサイトのinformationのリンクからどうぞ。

犬吠埼灯台を望む君ヶ浜初日。暁の出立。上着は三枚着ればいいだろうと読んだが、これは初っぱなから最後まで裏目に出続けた。夜明けはとにかく一番冷え込む時間帯だ。昼ごろ茨城の海へ出るまで、コンビニを見つける度に暖かい缶コーヒーと煙草で小休止を入れた。那珂川沿いの国道294号線を南下。途中で三毛の美猫と出会う。にゃ、と鳴きながらすり寄ってきて、写真を撮ろうとしている内によそへ行ってしまった。その先で飼い主らしい女性が「あきら、おいで」と言って連れ沿って行ったから、あきらさんは賢いんだなあと思った。そして水戸市街で迷うこと暫し、何とか海沿いの51号線へと出る。そこから四時間程掛けて、灯台の見える犬吠埼の君ヶ浜しおさい公園へと到着。小雨の降る強く寒い北風の夕方だった。早速灯台と原付の写真をデジ一で撮っていると、大学生らしき数人が寄ってきてコンデジを見せ、集合写真を撮って欲しいという。ふと見やると海を背にした欄干の前で十名程の僕よりも若い一行がわいわいやっていた。サークルかなんかだろうか、思い出の写真が欲しいのかなあ、などと考えながら快く引き受けた。じゃあ撮ります、いち足すいちはー? なんて僕も調子の良いものだ。何枚か撮ってカメラを返すと幾人もからお礼を言われた。こんなことは悪くない。そうして一行が去った後で、防風の植え込みの脇に、海側へ面するように手早くテントを組む。テントの中で濡れたジャケットを乾かし暖をとるため、Zippoの携帯用ガスコンロでお湯を沸かし、コンビニ弁当と熱い豚汁を頂いた。磯のとどろきや風のうなり、屋根を叩く雨音、色んな音に包まれて煙草を吸いつつのんびり。そのうち夏用のシュラフにくるまり瞬く間に眠りへと落ちた。

アールグレイ・クラシックで迎えるテントの朝二日目は未明から気持ちの良い晴れ。ガスコンロで湯を作り、ルピシアのボール型茶こしに詰めた茶葉を湯の小鍋で淹れる。海が燦々と輝き潮風も心地よい。アールグレイを飲みながら太陽の下で改めて眺めると、犬吠埼灯台は白亜の巨大な塔だった。ひとまずコンビニ弁当を平らげてから、君ヶ浜の磯をぶらぶらと歩いてみる。がらくた蒐集が趣味な僕の御眼鏡にかなうものはあまり見当たらなかった。小石を幾つか拾ってはポケットへ転がしてまたぶらぶら。気が済むまでそうやって、その気になってきたところでテントと荷物を畳み、崖の高台の上の灯台へ向かった。

電気どろぼう灯台には二つ駐車場があったが、僕はどうやら遠回りをするらしい近道と書かれた入り口へ来てしまったらしい。お食事処や宴会所、土産物屋へ続いている廊下の脇にソファと灰皿、電気のコンセントが見つかったので、しばらくそこで一服しつつスマホの充電というか盗電をしてしまった。廊下の往来を観察して、コンセントに刺さっている変なものに気付く人がいないようなのを確認すると、僕はふらふらと土産物屋の方へ歩いて行った。途中でお食事処のおかみさんとすれ違ったので開いている時間を訪ねたのち、お土産の品々を物色。どこの土産屋でも良くある品ばかりだが、それがかえって旅情のようなものを満たしてくれる。漁船用の壊れた集魚灯が1500円とか2500円で売られていて、これは少し欲しいなと思った。が、似たようなものは二、三年前に大洗の海辺で拾い自室の机に飾ってある。結局、水色ラメ入りイルカの蛍光キーホルダーを買った。これは小学生かそこらの頃同じものをどこかで買った記憶があり、懐かしくて手を出してしまった。そのうちふらりと灯台のある方へ向かった。

鯉のぼりの犬吠埼灯台鯉のぼりの掲げられた犬吠埼灯台──道案内の犬吠埼にはInubou"sa"kiとローマ字が振ってあった──の入り口で東日本大震災宛ての募金チケットを買って、まずは資料展示室へと入る。リチャード・ヘンリー・ブラントンという人のブロンズ像があった。明治政府の御雇外国人だったということだ。日本の近代航路標識事業の創設を主として、鉄道・電信・都市計画など多岐にわたる分野で業績を残した人であったらしい。僕はパソコンにいっとき灯台画像フォルダというのを作って収集していたから、こういうお雇いさんにはかっこよさとロマンを感じる。長崎鼻のほう 水平線はやっぱり丸いのだ一通り資料を眺め、読み、念を入れてデジ一で壁の説明を丸々取り込み、予備知識も万端と言うことで灯台へ上ることに。犬吠埼灯台の回り階段は九十九段あった。結構息の切れる階段だ。降りる人と上る人とで道を譲り合いつつてっぺんへ。狭い潜り戸をくぐると眼下に煌めく太平洋があった。うむ、素晴らしく何も言うことはない。旅の幾つかの目標のうち、一つがこれで果たされた。感動のままに再び階段を下りる。出口のところで資料展示館というのが目に入ったので、とりあえず入ってみることにする。モザイクタイル写真の灯台の絵と、資料で読んだ灯台のレンズ、フレネルレンズというものの原寸見本らしきものがあった。灯台のレンズはフレネルレンズきらきらと輝いていて綺麗だ。無数のプリズムを組み合わせて作られているためこのように見えるそう。

……犬吠埼灯台の光源はメタルハライドランプが使用されており、第一等のフレネルレンズを通して36km先にまで達します……灯台のレンズは、レンズの焦点距離で表のように等級が決められています。そこで第1等レンズを使用している灯台を第1等灯台と呼びます……現在、1等や2等の大型の灯台レンズが新しく制作されることはなくなり、反射鏡と組み合わせたり、フレネル・レンズを複式にした、小型で高性能の機種になっています……

とのこと。展示館には犬吠埼灯台の様々な写真や船乗りたちのロープの様々な結び方などが展示されていた。

サザエのつぼ焼きひとしきり灯台欲を満足させたところで先のお食事処にて海のものを戴くことにした。表の日の光を良く取り込んだ和風れすとらん「船主」へ入り、奥の席で壁のメニューとお品書きを交互に眺める。サザエのつぼ焼きなど美味しそうではないか。迷った末、刺身定食と一緒に注文をお願いした。前者はすぐに運ばれてきた。生きたサザエを火あぶりなのだ。次第に香ばしい潮と野生の香りが漂ってきた。貝の蓋がきゅっと引っ込んでぐつぐつと煮える。見計らって火箸とフォークでこじ開けて下さいね、と言われたが、慣れない手つきで蓋に挑戦しても中々隙間にフォークの先っぽが刺さらない。ちょうど刺身定食を持ってきたおかみさんにお願いすると、するっとワタまで引き抜いてくれた。お礼を言ってサザエに食らいつく。うむ、苦くて旨くてこりこりしていて。ビールなど欲しいと言ってみたくなったがこの後また原付で走らねばならないのでやめておいた。刺身定食にはわさびがたっぷり乗っている。ああ、ここで旨いもん食べながら酔っ払ってみたい、心底そう思った。大根のツマまで一筋も逃さず食し、腹がくちくなったらお会計。食後の一服と言うことで店を出、廊下の出口そばのソファに腰を下ろして電気どろぼうが済むまでボケッとしていた。

貝殻の海さて、来た道を戻らねばならない。次の日に大洗と那珂湊を巡るためだ。午後一時半頃に犬吠埼を発ち、国道124号と51号線を北上する。距離およそ100km、四時頃に大洗海浜公園へ着いた。原付から荷物を下ろして駐車場へ近い砂浜にテントを張る。夕闇が迫っていたが、陽が完全に落ちるまで、まだしばらく間があった。ビーチコーミングなんて洒落たことでもと、めぼしいものを拾いに海岸へ歩いて行くと、浜の高いところにハマグリやらシジミらしい貝殻が呆れる程転がっていた。多分3.11の津波の時に打ち上げられてしまったのだろう。辺りは別段臭わなかった。波打ち際の海のお便り波打ち際を歩いていると、だんだん潮が満ちてきているらしく、ちょうどそこに今洗われようとしているハマグリの貝殻がぽつんとあった。思わず持っていたデジ一で連続撮影。こういうさまは『前髪焦げた』でのんべんだらりと書いているお話の挿絵にちょうど良いんじゃないかな、なんて考えたり。ヒトデの干涸らびたのや白い貝殻を幾つか拾ってテントへ戻った。コンビニ弁当と豚汁をがつがつと食べ、煙草を好きなだけ吸い、地吹雪のように飛んで打ち付けられてくる砂の音を聞きながら、気がつけばぐっすり眠っているのだった。

三日目。暁よりも早く起床。今日という未明を楽しもうと、リュックの中にとっておいたスコーンやクッキー、チョコレートなどを取り出し、オランジュショコラの紅茶を淹れてのんびり夜明けを待つ。深夜二時かそこら頃、少し離れた駐車場で、何ともいえず珍妙な音楽を馬鹿でかい重低音でカーステレオから流している阿呆がいた。三時半頃に若人たちの駄弁り声。六時か七時頃にはサーファーらしき人が数人と連れ添いらしきいい歳したおねーちゃんたちがテントの前を往復していった。要するにここはそういう場所なのだ。が、テントの中に引きこもってガスコンロに鍋をくべ、表の朝の空気を取り込みながらのほほんとしていると、何も気にならないのが不思議な感じではある。消えた足跡時間を掛けて朝食を味わい、陽もやや昇ってきたところで腹ごなしに浜辺を散歩。波打ち際に誰かの足跡を見つけたので何となく撮ってみる。後で見直して気がついたが、この足跡、途中で消えているのだ。波にかき消されたんだろうか。何だか変なもの。

朝七時半頃テントを畳むことに。その調子でいけばアクアワールド大洗水族館へ朝一番に入ることが出来るはずだと算段したためだ。しかし、警備員の方々に二輪車駐車場を案内して貰いつつ入り口へ赴くと、既に家族連れたちが三組ばかり並んでいて、おまけに開館は八時半からだった。好きでやっていることだが、僕はイベント施設で並ぶのは相当苦手な方である。しかも後からどんどん家族連れや恋人組が後ろに並ぶ。前の方では一組の家族連れが揃って床というか地べたにあぐらを掻いて座っていた。旅先でなくともそういう光景を目にしてしまうのは情けないものだ。だがやがて時はいたり、入場ゲートが開いたのでその場を離れることが出来、ほっとした。

イルカのジャンプ九時から「イルカ・アシカ オーシャンライブ」という演目がなされるというビラを貰ったので会場へ。前列の方は水しぶきで濡れますので……などのアナウンスの後にレジャーシートの販売タイムが挟まれていた。上手いものだと思ったが邪念は捨てることに決めているのだ。はじめにアシカのショウ。時折ズルもしたがいろいろな芸を見せてくれた。調教師との掛け合いが愛嬌たっぷりだ。一人と一匹で頑張るアシカの名前を聞いたのに忘れてしまった。確か女の子だったように思う。続いてオキゴンドウとイルカ二頭のショウ。大ジャンプをしたり水中逆立ちをしたり、客席のそばでお腹を見せたりと、イルカ好きにとっては辛抱たまらないひととき。いやあ実にめでたかった。約三十分の演目で、一日七回プログラムがあると言うことなのだが、連休末日だったためか一度目の会場は先着順であっという間に満杯だったなあ。

ゆらゆら漂うマンボウその後、水族館内を順路に従って巡る。見たもの、撮ったものは沢山あるが、とりあえず一番大きそうな魚、マンボウを。縦横共に人の背丈よりもでかかったかも知れない。そういえばエトピリカなんて鳥の名前を見て「ん?」と思ったのだけれど、家に帰ってきてからそれが「情熱大陸」のエンディングテーマ曲のタイトルだったと気がついた。Wikipediaには『エトピリカ:ウミスズメ科の鳥。エトピリカとはアイヌ語でくちばしの美しい鳥の意味。絶滅危惧種(環境庁)』とある。確かにくちばしの大きな鳥ではあった。水槽の中のラッコやアザラシがこちらを見つめているようなのを面白く思ったりもした。彼等は水の中では俊敏だ。ゴマフアザラシだったか、見ていると器用に壁でターンして泳いでいたっけ。

満足いくまで館内を見学し、入退出ゲートを再びくぐり、足早に土産物ショップへ入った。実を言うとこれが水族館での僕のメインイベントなのである。お目当ては動物のぬいぐるみ。この大洗水族館では過去二度、イルカのでっかいぬいぐるみをお連れしている。予算の都合が付く限り気に入ったものを連れて帰りたいと願って旅程に組み込んだのだ。原付に乗せられないような時は宅配便で送って貰おうかなとさえ考えていた。が。結局散々悩んだ末に、皇帝ペンギンの仔供のハンドパペットをひとつ購入した。肌触りはふかふかすべすべですんごく愛らしい。うちには僕と同い年のパペットウサギさんがいるから、これで対になるわけだ。ひゃっほう。

ナマコとホヤが好奇心を刺激するぬいぐる欲も満たしたところでそろそろ那珂湊漁港へ向かうことに。適当な方向へ橋を渡って適当な通りの端へ原付を止め、適当な魚市場へと足を踏み入れた。出たとこ勝負である。ふらふらと人混みをすり抜けつつ市の磯と潮の香りを嗅ぎ、何だかいろいろ変わったものに目を楽しませていた。そこに魚の切り身売りのおっちゃんが現れ、本マグロの中トロ三千何某と書いてあるのをこれこれ一緒に買うなら合わせて二千幾らにしちゃるよ、とか言うのだ。値札にはなんの意味があるのか。よく分からないが美味そうだし景気もいい。その真鯛が食いたい、お幾らするのかと聞くと半額程度である。考えているうちにおっちゃんは真鯛二切れのパックをもうビニール袋に突っ込んで、氷貰うならあっちだから、と言う。千円札を渡すと何故かお釣りが返ってきて、おっちゃんはおう間違えたねえ、と笑った。何だか気持ちがいい。そんな空気に飲まれた僕はふらふらと歩いて回って、別のおっちゃんに、酒の肴に向いてるおっちゃんのおすすめ教えてくれと尋ねた。そうだなあ、サヨリの焼いたのなんか美味いよ。そう言っておっちゃんはもうかごに手を伸ばしている。30cm程の大きさの揃ったサヨリを六匹。塩振って焼くのさと教えて貰った。とにかく美味そうでそうしてぶらついているうち、今度は生きたカキとレモンが山積みになっているのを見掛ける。当たり前だが大きさで値段が違う。どうやって生で食うの、とかどのくらい保つの、とか尋ねると、蓋開いたんなら一晩は生でも、と答えてくれた。焼いてもいいし生でもいいし、開いて貝柱切って、レモン汁ぶっかけて、と言うわけなので、三種類の大きさの真ん中を四つ売って頂いた。生もんだからあそこで氷貰ってね、タダだけど箱詰めするんなら四百円だよ、そう言われて、おばちゃんとおねーさんが受付をしているカウンターに発泡スチロール箱と氷をもらいに行った。これだけ買えば沢山だろうと思ったのだ。魚に貝に氷をどっちゃり箱へ入れて貰い、発泡スチロール箱を抱え僕はふらふらと市場を抜けて原付の所へ戻った。原付の荷台は小さいので、ゴム紐できつく括る。もうこの車にも僕の背中にも物を乗せる場所はない。

さて、出発……の前に僕は電話を掛けた。茨城県高萩の友人、Sさん宅へだ。彼とは連休に入る前、一度連絡を取っていた。そっちに遊びに行くから、ついでに寄るかもと。Sさんは勤務時間の不安定な職場にいて、急に仕事が入ることも良くあると言っていた。今日の夜、これから酒飲みに寄ってもいいかと聞きたかったのだが、自宅電話は出ないままだった。仕方がないかと思いながらも、僕の自宅への帰り道は高萩の国道461号線、Sさん宅のすぐそばを通るのだ。一応彼のアパートで待ってみるかと重たい装備で茨城沿岸を北上。住宅地で少し道に迷い、うろ覚えの彼のアパートを見つけた時は日が暮れるちょい前だった。夜に八溝山地の峠越えをするのは気分ではない。というか嫌だ。止むを得ずというかなんというか、僕は結局そのアパートの駐車場の影の片隅にテントを張り、Sさんが夜の間に帰ってくることに淡い期待を抱いて眠りへと落ちた。

道ばたのヤマブキ四日目、最終日。アパートの電気は消えたままだった。ま、そういうことも時にはある。明け方に冷え込んだのでテントの中でガスコンロで暖をとり、陽が昇るまで待つ。朝七時半頃荷物を畳み、Sさんの部屋のポストにメモを残し、栃木へ向かって出発。道中、花貫渓谷の花貫ダムの脇を通り、遅咲きの山桜と木々の新緑のコントラストに目を奪われた。そこかしこにヤマブキが黄金色の花綵のように咲き乱れていて、道すがら山菜採りの方々を幾人も見掛けた。海のものも美味いが山の旬のものも美味い。多羅の芽など摘んで天ぷらや御浸しにするのだろう。国道をひたすら走り、まっすぐ自宅へは帰らずに道々の古本屋へ立ち寄った。水族館でぬいぐるみにさしてお金を掛けなかったことで割合な金額が浮いたままだったので、前々から揃えたいと思っていた蟲師のコミックを探し回ったのだ。数件巡って、蟲師全十巻の他に古本のオフィシャルブックを手に入れた。めちゃんこ重たくて背中が痛い。給油するため鄙びたガソリンスタンドへ入って店のじいちゃんにお願いしていると、満艦飾な格好の原付を見た彼は、旅をなさっているんですね、うらやましいですなあ、と微笑んだ。

戦利品そんなこんなで自宅の部屋へ帰ってきたのが六日の午後二時半。お腹も大概空いていたが、それよりも道中四日間リュックを背負い続けていたことでの背中の痛みと疲れの方が酷かった。うだうだと本棚に手入れして、夕方お風呂に入ってすぐお布団へ潜り込み、硬くなくて寒くない安心できる寝床があることの幸せをしっかりかみしめ、ぐっすりと翌朝まで眠り込んだ。

持ち帰った海の幸については先日家族と食し、ついでに母が実家から貰ってきたシロキ(コシアブラ)の御浸しも一緒に頂いた。こうして僕は旅の思い出と共に海鮮と山菜をたらふく味わったのだった。Sさんに関しては後日連絡が取れ、夏になったら今度は必ず会って酒を飲めるようにしようと約束を交わし、一安心したところ。こうして雑記を書いていると長いようで短いような四日間だったと思う。どちらにしても今日の雑記は長いほう。細かく書けばもっと色々あったと記憶しているけれど、この辺で一区切りにしよう。

あ。昨日は母の日だった。母が祖母を那須のチューリップ畑へ連れて行ったので、同行して二人の写真を撮影し、プリントアウトしたのを渡した。それから取って置きの葛菓子と砂糖菓子をそれぞれに。喜んで貰えたようで、こんな機会でもないと何も出来ないから、ね。今日はここでおしまい。

2011年05月27日(金)

緑先週だったか少し前、大田原市街地の社寺巡りをしていて、ちょっと妙な目にあった。

一つは曰くのある神社へちょっかいを出した直後の帰りに、原付の鍵をシート下へ閉じ込めてしまったことに気がつき難儀したこと。もう一つは稲荷神社でおにぎりを食べていてきつね雨に降られたこと。ま、こじつけのような気もするが、後から考えると面白かったので、からかわれたんだろうと思っておこう。

社寺巡りなんて書いたが実は地名探りである。紫塚という地名にまつわる悲しい民話を聞いたことがきっかけ。えーと……

紫塚

昔々、大田原のまちを治める殿様がいたころのお話。お城に紫という名の美しい女中がいた。紫には婚約を交わした浪人がいたが、殿様は紫に惚れ、側室になれと迫る。紫は殿様の使いが来る度にそれを拒絶した。とうとう嫉妬に駆られた殿様は婚約者の浪人を打ち首にしてしまう。それでも紫は気持ちを変えなかったので、今度は彼女までも城の近くへ生き埋めにしてしまった。いつしか誰ともなしに、その辺りは「紫塚」と呼ばれるようになったという。

明治時代に入って。土地のものがその一帯を拓こうとすると、その度に青大将が現れたそう。そしてそれが現れると必ず近くの者が病に苦しめられた。人々は青大将を、紫の婚約者である浪人が彼女を想って生まれ変わり、塚のあった土地を守っているものと考えた。そこで小さな神社を建て、祀ったということだ。

神社の名前は出さないが、地図サービスで調べると出てくるので興味のある方はどうぞ。質素というか簡素というか、とにかくちっちゃな神社だった。

きつね雨きつね雨に降られたのは住宅地の奥、三吉稲荷という稲荷の境内でだった。詳しいことは分からなかったが、この稲荷神社は近所のとある会社の中の人が、商売繁盛とそのついでにしだれ桜の大木(三吉滝桜)をまつって、おまけに隣接する道祖神も巻き込む形で建てたものらしい。昭和五十二年三月吉日建之とのことで結構立派なものだった。

市街の社寺を回っていて気がついたこと。どれもこれも水場の隣にある。具体的に言うと水路とか川だ。風水か何かなのだろうか。この辺は城下町、宿場町だったからなあ。別段水場が近くにあっても驚きはしないのだが、少し気になる。

昨日の話。かねてから埼玉県春日部市のアズミノ工業さんへ修理に出していたポラロイドカメラSX-70初期モデルがニコイチになって戻ってきた。アズミノ工業さんでニコイチにして戴いたポラロイドカメラSX-70分かり易く言うと、海水に浸けて壊したもの、地震の時壊れてしまったもの二つのポラが手元にあって、日ポラのカスタマセンターへ修理依頼を出したところ、アズミノ工業さんへ送って欲しいと言われた次第。「二つのポラの壊れてないところをそれぞれくっつけて一つに直して下さい」……とまあ、何とも無茶な相談だったが、全くその通りになって帰ってきたのだから、アズミノ工業さんの錬金術には感心するばかり。以前にも一度あちらへポラロイドカメラの修理依頼をしたことがあり、とても好感の持てる対応をして戴いた。

画像に写っている二つのポラのうち、左は完動品、袋に入っているカメラは外のガワだけ。「残しますか?」と訊かれはいとお願いしたのだ。色々と思いを察して戴いた、良い修理だった。一万六千円とお金は掛かったが。ついでだし、SX-70 FOREVER辺りでカラーフィルムパックを買ってみようかな。

2011年06月27日(月)

月曜日の休息。

午前中、銀行へお金の振り込みに行ってきた。列に並んでいてぼんやりしていたため、前にいたおばさんに不審がられた。つまらない事だ。

久々に雑記を書こうとすると色々あるようで何にもない。しいて言えば、ラジオ番組へのリクエストが明日朝にオンエアされることと、近々普通車の運転免許を速成で取る予定が入ったこと、くらいだ。TwitterとWassrで毎日少しずつ呟いていると長いものを書く気力が無くなってしまう。

ああ、そういえばジョギングと筋トレを毎朝行うようにはなった。まだ日は浅いがそれでも割かし持久力は付いた感じがする。学生時代以来久々に美容健康に気を使い始めて、自分のお肌と体重のダメダメさにがっかり。夏の間に一回りしっかと痩せて綺麗になれたら、秋は楽しいことになりそうだ。

そうだった。教習所通いと同じくして就職活動も始めるつもり。僕の身体はもうずいぶんと健康で人並みになったし、脚の痺れは気にするほどでもなくなった。まともに仕事をして食い扶持を稼ぎ、自活する。とても健康そうだ。頑張らねば。ん、かかりつけのお医者さんから「最近は頑張っているね、でも気負いすぎてはいけないよ」と、励まされると共に釘を刺された。けど、頑張らなきゃ這い上がれない。ここ三ヶ月ほど、朝三時には既に起きてなにやかやすることが日課となっている。少しずつ自分というものが分かってきた。今は新しい習慣を作ることが出来る周期だ。やれることをやる、後ろを振り向かずにすむにはそれをこなすしかない。今はほんの一握りの人々にしか評価されなくても、こつこつと続けていればきっと結果はついてくる。僕は僕なりに努力してる、なんて事、出来るなら誰にもひけらかしたくない。

最近は夜明けが早いので、早起きしていると朝の独りだけな時間をのんびり楽しむことが出来る。それで色々工夫をする。お茶をうまく淹れようとしたり朝顔やゴーヤの観察日記など付けたり。でも殆どはのんびり何も考えずにいる。以前は考え込むことが多かった。この頃は行動が先に出る事のほうが多い。好ましい傾向だ。

「豚の死なない日」でも読みたい気分だが、あれは僕の中で過去のものなのでいつか、もっと心に余裕の出来た時に。蝉が鳴くのは梅雨明け頃だろうか。蛍はもうじき出てくる。この辺りでは朝四時きっかりに蜩が鳴く、ということをちょうど一年ほど前に書いた記憶がある。んー……確かめたところ、サイト開設から今日で一年なんだな。サーバーレンタル代の支払い更新がもうすぐ来ると言うことか。

この一年はもそもそしていた。今年の初めに「穏やかな年になりそう」などと書いておいて色々あったが、それは致し方ない。ともあれこの夏は様々なことが起きそうだ、なんてことは毎年思っているのだけれど。本当に今夏は変われそうな気がする。

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